中世の「外への拡大」を整理する|植民地とは呼べない支配

中世の「外への拡大」を整理する|植民地とは呼べない支配
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中世に近代的な意味での植民地はありません。所有する側の主権国家も、本国のために作らされる経済も存在しないからです。それでも外へ広がる動きは確かにありました。そしてその広がり方は拠点を点で押さえる型領土ごと呑み込む型に分かれます。この分岐が、のちの海の帝国と陸の帝国になります

「中世の植民地」が用語として成り立たない理由

一言でいうと中世の外への拡大とは、近代のように主権国家が本国の利益のために遠隔地を統治した仕組みではない。入植・軍事征服・交易拠点の確保という別々の形で外へ広がった動きの総称である。「中世の植民地」は、近代の枠組みを過去に持ち込んだ不正確な言い方になる。

入試で「植民地」という語が出てくるとき、頭に置かれているのは19世紀のインド帝国やオランダ領東インドのような姿です。所有する国があり、そこへ原料を送り、そこから製品を買わされ、住民は本国人と別の法的地位に置かれる——この一式がそろって初めて植民地と呼べます。中世の拡大には、この一式がどれもそろいません。だからといって外へ出ていく動きがなかったわけではないのです。呼び名を変えれば、見えてくるものがあります。

  1. 近代の植民地には、それを所有する本国、すなわち主権国家が要る。境界の内側を排他的に支配する国家である。
  2. 中世ヨーロッパの権力は国王・諸侯・教会・都市に分かれており、領域を丸ごと代表する主体がいなかった
  3. 近代の植民地は原料を送り、本国の製品を買うという役割を、経済の側から割り当てられる。
  4. 中世の入植地が主に作ったのはそこで暮らすための穀物であり、遠方の産業に合わせて作物を替えるのが常態ではなかった。
  5. 近代の植民地では本国人と現地の人々の法的な地位が区別され、統治の職も分けられる。
  6. 中世の拡大先では、現地の有力者が支配層に加わることも、征服者が現地の君主に臣従することも珍しくなかった。
  7. 3つの条件がどれも欠けているため、中世については「拡大」「入植」「交易拠点」と呼び分けるのが正確である。
古代の植民市 中世の拡大 近代の植民地
担い手 母市を出た市民団 諸侯・騎士団・商人都市 主権国家と特許会社
もとの地との関係 独立した別のポリス 従属とは限らず多様 本国の主権に従う
経済上の役割 人口のはけ口と交易 開墾と中継の利益 原料供給地と製品市場
代表例 マッサリア・ネアポリス 東方植民・十字軍国家 インド帝国・オランダ領東インド
断りを入れてから中身に入る「中世に近代的な植民地は存在しないが、外へ向かう拡大は確かにあった」——設問に「中世 植民地」という語が並んでいたら、まずこの一文を置いてください。そのうえで入植・征服・交易拠点という3つの形に分けて書けば、用語の誤用を避けながら知識を出し切れます。日本世界史塾では、この用語を時代に合わせて選び直す作業を答案の第一手として教えています。
「東方植民」の「植民」に引きずられないドイツ人の東方植民という語には「植民」が入っていますが、指しているのは農民の移住と開墾です。本国のための生産を強いる近代の植民地支配とは別物です。用語に含まれる字面ではなく、実際に何が行われたかで判断してください。逆に、ヴェネツィアなどが押さえた地中海の島々では砂糖やぶどう酒が輸出向けに作られ、これを近代のプランテーションの先駆と見る説もあります。

押し出された人々 — ノルマン人の定住とエルベ川以東への移住

中世の拡大でいちばん人数が多かったのは、軍隊ではなく住み着いた人々です。北方からは船で、西からは陸路で、人が動きました。動いた理由はどちらも元の土地では養いきれなかったという一点に帰ります。そして重要なのは、着いた先で彼らが何をしたかです。

  1. ノルマン人は耕地に乏しい北方から船で出て、交易と略奪を重ねながら各地に住み着いた。
  2. 定住先では現地の言語と信仰を受け入れ、その土地の支配者へと変わっていった。
  3. ノルマンディー公国は、首領ロロ西フランク王から土地を認められて臣従する形で成立した。
  4. つまり征服者が現地の王の家臣になるという、近代の植民地とは正反対の関係が生じている。
  5. エルベ川以東へは、ドイツ人の農民・商人・騎士が数世紀にわたって移り住んだ。
  6. 招いた側の領主は身分の自由や地代の軽減といった条件を示して人を集めたとされる。
  7. 入植者は遠くへ送るためではなく、自分たちが食べるために森と湿地を耕地へ変えた。
  8. この流れの延長にブランデンブルク辺境伯領ドイツ騎士団領が育ち、のちのプロイセンへつながる。
ノルマン人の定住先 どう成立したか
ノルマンディー公国 首領ロロが西フランク王に臣従して成立
ノルマン朝 ノルマンディー公ウィリアムがイングランドを征服
両シチリア王国 南イタリアとシチリア島を征服して建国
ノヴゴロド国・キエフ公国 リューリクの一族がスラヴ人の地へ進んだとされる
デーン朝 クヌートがイングランドと北海の周辺を支配
アイスランド・グリーンランド 北大西洋の島々へ入植。北アメリカにも到達したとされる
移動は「押し出す力」で説明する元の土地が人を養えなくなると、人は外へ出る——この説明は時代を越えて使えます。古代ギリシアの植民市も、19世紀にヨーロッパからアメリカ大陸へ渡った移民も、押し出す力が働いた点では同じです。違うのは受け入れ側の姿で、古代と中世は土地そのものが目的、19世紀は工場の働き口が目的でした。この対比を一行添えると、移民史の設問にもそのまま流用できます。
移住先は無人ではなかったエルベ川以東にはスラヴ系の人々が住んでおり、移住は征服とキリスト教化を伴いました。バルト海沿岸ではドイツ騎士団が現地の人々を服属させています。「空白地の開拓」と書くと事実に反します。なお、この動きを自国の東方進出の根拠として持ち出す議論が近代の民族主義のなかで現れたとされ、中世の出来事と後世の解釈は分けて扱う必要があります。
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十字軍国家はなぜ消え、レコンキスタはなぜ定着したか

  1. 第1回十字軍が聖地を占領し、イェルサレム王国が建てられた。
  2. その周囲にアンティオキア公国・エデッサ伯領・トリポリ伯領が並んだ。
  3. 統治には西欧の封建的な主従関係がそのまま持ち込まれ、現地の制度と接ぎ木された。
  4. 支配層は海を渡ってきた少数の騎士で、住民の多くはムスリムや東方のキリスト教徒のままだった。
  5. 防衛の中核はテンプル騎士団・ヨハネ騎士団などの宗教騎士団が担った。
  6. 遠征は来ては帰るものであり、住み着く人の流れが細いままだった。
  7. サラディンが聖地を奪回し、やがてアッコンも落ちて、東地中海に残った拠点は消滅した。
レコンキスタ 十字軍国家
地理 本拠と地続き 海を隔てた飛び地
人の流れ 北から継続して南下 遠征のたびに来て帰る
奪回地の扱い 人を入れて王国に編入 少数の騎士が現地住民を統治
宗教のあつかい のちに改宗か退去を迫る 現地の信仰が残り続ける
結末 グラナダ陥落で完了 およそ200年で消滅
定着の条件は「地続き」と「人の補充」同じ宗教的な軍事運動でも、イベリア半島では国が育ち、東地中海では消えました。分けたのは本拠と地続きかどうか人が絶えず流れ込んだかどうかです。比較の相手としてローマの属州を置くとさらに鮮明になります。ローマは属州の有力者へ市民権を広げて支配層に取り込みましたが、十字軍国家は現地住民を統治される側に置き続けました。取り込んだ支配は続き、隔てた支配は続かない——この一文が書ければ十分です。
第4回十字軍が変えた行き先聖地を目指した軍が、輸送を請け負ったヴェネツィアの利害によってコンスタンティノープルを占領し、ラテン帝国が置かれました。ここで注目すべきは、この結果ヴェネツィアが東地中海の島々と港を手に入れたことです。軍事遠征が、商業都市の拠点網に転化した——次の節の話へまっすぐつながります。

点で押さえるか、面で呑み込むか — 二つの型が近代へ分かれる

ここが本題です。中世の拡大を並べると、支配のしかたが二種類しかないことに気づきます。航路上の要所だけを押さえて通行と取引の利益を吸う型と、土地ごと領有して人と税を握る型です。前者はイタリアの商人都市が、後者はモンゴル帝国とレコンキスタが体現しました。

  1. ヴェネツィアとジェノヴァが求めたのは広い領土ではなく、港・商館・関税上の特権であった。
  2. ヴェネツィアは第4回十字軍の結果としてクレタ島やエーゲ海の島々を押さえた。
  3. ジェノヴァは黒海のカッファキオス島を拠点に、内陸の産品を地中海へ運び出した。
  4. 支配したのは面ではなく、航路上に並ぶ点と、それを結ぶ線である。
  5. 少ない人員と船で中継の差益と通行の権利を握れる点に、この型の強みがある。
  6. 対してモンゴル帝国は、征服した地域を領土に編入して税と兵を取り立てた
  7. 駅伝制で結ばれた広い面が、そのまま支配の範囲になった。
  8. ただしロシアではキプチャク=ハン国諸侯に貢納を出させる間接支配をとり、この支配は「タタールのくびき」と呼ばれる。
交易拠点型(点と線) 領土編入型(面)
中世の例 ヴェネツィア・ジェノヴァ モンゴル・レコンキスタ
求めたもの 航路と関税上の特権 土地と人と税
必要な人員 少なくて済む 統治機構と駐留が要る
弱点 拠点を失うと網が切れる 維持の費用が重い
近世以降の後継 ポルトガル・オランダの海洋帝国 スペインの新大陸支配・ロシア・清
大航海時代の二つの型は中世に原型があるポルトガルはアジアでゴア・マラッカ・ホルムズと拠点を連ねるにとどまり、内陸を領有しませんでした。これはイタリア商人の型の延長です(同じポルトガルでもブラジルは面の支配へ進み、二つの型は一国のなかで併存します)。スペインは新大陸に副王領を置き、エンコミエンダ制で先住民の労働力を握りました。こちらはレコンキスタの型の延長です。拠点を連ねる海の帝国と、面を領有する陸の帝国。その原型はどちらも中世にあります。——ここまで書ける受験生はほとんどいません。ロシアの東方進出や清の内陸支配も、後者の系列に並べられます。
拠点網が運ぶのは商品だけではない黒海沿岸の拠点から船に乗って、疫病が地中海の各港へ届いたとされます。点と線の網は効率がよいぶん、危険も同じ速さで通すのです。ヨーロッパへの黒死病の経路を問われたら、この拠点網を答えの骨格に据えてください。

入試で狙われるポイント総覧

  • 中世に近代的な植民地はない——本国となる主権国家も、本国向けの経済編成も存在しない
  • 拡大の3形態=入植(ノルマン人・東方植民)・軍事征服(十字軍国家・レコンキスタ)・交易拠点(イタリア商人都市)
  • ノルマン人は現地の言語と信仰を受け入れて同化した。ロロは西フランク王に臣従してノルマンディー公国を得た
  • ノルマン朝=ウィリアムデーン朝=クヌート両シチリア王国ノヴゴロド国・キエフ公国=リューリクの一族
  • 東方植民の帰結=ブランデンブルク辺境伯領・ドイツ騎士団領、のちのプロイセンの母体
  • 十字軍国家=イェルサレム王国・アンティオキア公国・エデッサ伯領・トリポリ伯領サラディンの奪回とアッコン陥落で消滅
  • レコンキスタは地続きで人の補充が続いたため定着し、グラナダ陥落で完了した
  • ヴェネツィア=第4回十字軍とラテン帝国、クレタ島ジェノヴァ=黒海のカッファ、キオス島
  • 二つの型の行き先=交易拠点型はポルトガル・オランダ領土編入型はスペインの新大陸支配・ロシア・清
共通テストでの出方「東方植民は無人の地への移住であった」は誤り(スラヴ系の人々が居住しており、征服とキリスト教化を伴った)。「クヌートがノルマンディー公国を建てた」も誤り(ロロ。クヌートはデーン朝)。「ジェノヴァがクレタ島を、ヴェネツィアがカッファを拠点とした」も誤り(逆)。人物と建国の対応都市と拠点の対応が最頻出です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 中世について「植民地」という語を避けるべき理由を答えよ。
A. 所有主体となる主権国家がなく、本国のための経済編成も伴わないため
Q2. ノルマンディー公国を建て、西フランク王に臣従したノルマン人の首領は。
A. ロロ
Q3. ドイツ人の東方植民から育ち、のちのプロイセンの母体となった領域を2つ答えよ。
A. ブランデンブルク辺境伯領とドイツ騎士団領
Q4. 第4回十字軍がコンスタンティノープルを占領して建てた国は。
A. ラテン帝国
Q5. ジェノヴァが黒海に置いた代表的な交易拠点を答えよ。
A. カッファ
Q6. 中世の拡大を支配の形で2つに分けると。
A. 交易拠点型(点と線)と領土編入型(面)

よくある質問

中世に植民地はなかったのですか?
近代的な意味での植民地はありません。所有する主権国家も、本国のために作らされる経済もないからです。ただし入植・軍事征服・交易拠点という形の外への拡大は確かにありました。答案では、この断りを入れてから中身を書きます。
東方植民は近代の植民地支配と何が違うのですか?
本国へ送るための生産ではなく、入植者自身が暮らすための開墾だった点が決定的です。領主は身分の自由や地代の軽減を示して人を集めたとされ、支配というより誘致に近い面がありました。ただし現地の人々を服属させた事実は消えません。
十字軍国家が続かず、レコンキスタが定着したのはなぜですか?
本拠と地続きかどうかと、人が絶えず流れ込んだかどうかです。イベリア半島には北から人が入り続けましたが、東地中海へは遠征のたびに来て帰るだけでした。少数の支配層が現地住民を統治し続ける形は、長続きしません。
交易拠点型と領土編入型の区別は、どこで使えますか?
大航海時代以降の設問でそのまま効きます。ポルトガルとオランダは拠点を連ねる型、スペインの新大陸支配やロシア・清の内陸支配は面を領有する型です。中世に原型があると書ければ、時代をまたぐ論述で差がつきます。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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