古代の植民を整理する|近代の植民地支配とは別物である

「古代の植民地」という言い方は、実は正確ではありません。近代の植民地が本国の主権のもとに置かれた従属地域を指すのに対し、ギリシア人が海の向こうに築いた植民市は送り出した側の支配を受けない別のポリスでした。人が出ていく移住型か、航路の点を押さえる交易型か、住民ごと支配する支配型か——この3つで切り分けます。
「古代の植民地」と書く前に — 移住型・交易型・支配型に分ける
はじめに用語の断りを入れます。近代の植民地という語は、宗主国が主権を握り、現地の住民には本国の国民と同じ権利を与えないという上下の関係を前提にしています。この枠をそのまま古代に当てはめると、事実と食い違う場面が出てきます。古代に起きたのは、それとは原理の違う三種類の現象でした。
- 近代の植民地は、政治の決定権を本国が握り、経済も本国の利益に組みこむ形で成り立っていた。
- 古代には、この上下の枠にあてはまる例もあれば、まったくあてはまらない例もある。
- そこで①移住型 ②交易拠点型 ③支配型の3つに分けて読む。
- ①は人が本拠を離れ、行った先で新しい共同体を作る形。ギリシアの植民市がこれにあたり、国家が兵や農民を送りこむ軍事移住もこの系統の変種である。
- ②は領域ではなく港という点だけを押さえ、航路でつなぐ形。フェニキアの拠点網がこれにあたる。
- ③は住民を動かさず、その上に統治と徴税の仕組みをかぶせる形。ローマの属州がこれにあたる。
- 見分ける問いはひとつ——動いたのは人か、それとも支配の仕組みのほうか。
- この問いに答えられれば、同じ「植民」という語で呼ばれていても中身の違いが説明できる。
| 型 | 動いたもの | 本拠との関係 | 代表例 |
|---|---|---|---|
| 移住型 | 人(市民とその家族) | 原則として対等・別々の国 | ギリシアの植民市 |
| 交易拠点型 | 商人と船 | 交易上の結びつきが中心 | フェニキアの港市 |
| 支配型 | 統治と徴税の仕組み | はっきりした上下関係 | ローマの属州 |
| 移住型(軍事) | 兵と入植した農民 | 本拠と結びついたまま | ローマの植民市・中国の屯田 |
ギリシアの植民 — 土地が足りないから出ていき、出れば別の国になる
ギリシア人が前8世紀ごろから地中海と黒海の沿岸に広がった最大の理由は、征服欲ではなく食べていけなくなったからだとされます。山がちな地形では耕地がもともと限られ、そのうえ相続のたびに土地が分けられます。人口が増えれば、分け与える耕地が尽きる。だから一部の市民が船に乗りました。交易の利を求めた例や、内紛に敗れて出ていった例もありますが、動きの根にあったのは耕地の不足です。
- ギリシア本土は平地が少なく、穀物の自給には早い段階で限界があった。
- 耕地は相続のたびに細分化され、人口が増えると新しく土地を得られない者が生まれた。
- ポリスは出ていく人々と、その指導者を選んで送り出したとされる。
- 出発の際には母市の神域から火を分けて運ぶなど、宗教の面でのつながりが保たれたとされる。
- しかし到着した先で建てられた植民市(アポイキア)は、独自の法と役人を持つ別のポリスとなった。
- 送り出した側は母市(メトロポリス)と呼ばれたが、税を取り立てる立場ではなかった。
- 植民市は穀物や木材を送り、ぶどう酒・オリーブ油・陶器を受け取る交易の結び目になった。
- 同時にアルファベット・神々・ポリスという政治の形が地中海の広い範囲へ運ばれた。
| 植民市 | 現在の地名 | 送り出したとされるポリス |
|---|---|---|
| マッサリア | マルセイユ | フォカイア |
| ネアポリス | ナポリ | クマエ(先行する入植地) |
| タラス | タラント | スパルタ |
| シラクサ | シチリア島南東部 | コリントス |
| ビザンティオン | イスタンブル | メガラ |
| キュレネ | リビア東部 | テラ島 |
南イタリアとシチリアには植民市が集中し、この一帯はマグナ=グラエキア(大ギリシア)と呼ばれました。黒海方面へはミレトスが多くの植民市を送り出したとされます。ここが重要な点で、ミレトスは黒海沿岸を領土にしたのではなく、同じ言葉を話す独立の都市を増やしたのです。近代のイギリスがインドを統治したのとは、まったく形が違います。
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フェニキアとカルタゴ — 領土ではなく航路を押さえる
フェニキア人が広い領土を作らなかったのは、作れなかったからです。本拠は東地中海の細長い海岸地帯で、背後はすぐ山地。しかも周囲には次々と大帝国が現れます。陸に広がる道が閉ざされていたため、海に出て点をつなぐしかなかった——この地理的な条件が、彼らの拠点網の形を決めました。
- ティルス・シドン・ビブロスなどの都市が、それぞれ独立して交易を営んだ。
- 背後に耕地が乏しく、内陸はアッシリアなどの強国に押さえられていた。
- そこで航路に沿って寄港地・補給と造船の拠点を置き、線と点で交易網を作った。
- 扱った品はレバノン杉・織物・ガラス製品・貝から取る染料などであった。
- 商取引の記録のために表音文字が用いられ、これがギリシア人に伝わって母音を表す字が加えられたとされる。
- 拠点のうち北アフリカのカルタゴはティルスの人々が建てたとされ、やがて本拠から自立した。
- カルタゴは西地中海の交易を握り、周辺で農業も営み、軍事は傭兵に多くを頼った。
- その勢力圏がローマとぶつかってポエニ戦争となり、敗れたのちにその地はローマの属州とされた。
| 勢力 | 時期 | 押さえたもの |
|---|---|---|
| フェニキアの諸都市 | 前1000年紀の前半 | 東地中海と航路上の寄港地 |
| カルタゴ | 前6〜前3世紀 | 西地中海の交易とイベリア半島南部 |
| ポルトガル | 16世紀 | インド洋の要港と商館 |
| オランダ | 17世紀 | 香辛料の産地と海峡 |
この表が示すのは、点を押さえる支配は古代に限らず繰り返し現れるということです。ポルトガルが要港と商館をつないだ形は、フェニキアの拠点網と構造がよく似ています。逆にスペインがアメリカ大陸で行ったのは、内陸まで含めて面で支配し、住民に労働を課す形でした。同じ「海の帝国」でも、点をつなぐか面を押さえるかで別物になるのです。
ローマと中国 — 取り立てる支配と、送りこむ支配
ローマは移住型と支配型の両方を持っていました。要地には本国とつながる入植者を送った植民市を置き、イタリア半島の外の征服地は属州として住民ごと統治する。前者は人が動き、後者は仕組みが動きます。そして最後に、ローマは支配される側を市民に変えるという手を打ちました。ここが近代の植民地帝国との決定的な分かれ目です。
- イタリア半島を征服する過程で、ローマは要地に軍道を通し、市民権やそれに準じる資格を持つ入植者を送りこんだ。
- この植民市はローマとのつながりを保ったままの拠点であり、ギリシアの植民市のように独立しなかった。
- 半島の諸都市には市民権の中身に差をつけて待遇を分け、結束して反抗しないようにした。
- 共和政の末期からは、退役した兵士を入植させる例が増え、植民市は恩賞の受け皿にもなった。
- イタリア半島の外の征服地は属州とされ、総督が派遣されて貢租が課された。
- 徴税は請負に委ねられ、請負人は取り立てた額と国庫に納める額の差を利益にできた。
- 総督の任期は短く在任中に富を蓄える誘因が働いたため、属州は繰り返し収奪の対象になった。
- 市民権を求めた同盟市が武力に訴えた同盟市戦争ののち、イタリアの自由民に市民権が広げられた。
- さらにカラカラ帝が帝国内のほぼすべての自由民に市民権を与え、支配される側と支配する側の線が薄れた。
送りこむ支配 — 中国の屯田
- 中国の王朝にとって、辺境の守備で最も重くのしかかったのは食糧を前線まで運ぶ費用であった。
- そこで兵や移住させた民に、その地で耕作させて自給させる方法が採られた。これが屯田である。
- 前漢は匈奴に対抗して西域に軍を置き、そこで屯田を営んだとされる。
- 三国の魏では、戦乱で荒れた土地に流民と兵を入植させる屯田が行われた。
- ねらいは①輸送の費用を減らす ②その土地を実際に押さえる ③人口を定着させるの3つである。
- 唐や清も、西域や新疆で同じ方法を用いたとされる。辺境を内地に近づけていく手段であった。
| ローマの属州 | 中国の屯田 | |
|---|---|---|
| 耕すのは誰か | もとからの住民 | 送りこんだ兵と移民 |
| 財の流れる向き | 属州から中央へ吸い上げる | 現地で自給し輸送を減らす |
| 現場の担い手 | 総督と徴税請負人 | 駐屯する軍と官 |
| 住民の行く先 | のちに市民権を与えて統合 | 辺境そのものを内地に変える |
入試で狙われるポイント総覧
- 古代の現象は移住型・交易拠点型・支配型に分ける。「古代の植民地」とひとまとめにしない
- ギリシアの植民の動機=人口の増加に耕地が追いつかないこと、および穀物の確保
- 母市(メトロポリス)と植民市(アポイキア)は原則として対等。宗教の縁は残るが支配関係ではない
- 主な植民市=マッサリア・ネアポリス・タラス・シラクサ・ビザンティオン・キュレネ。南イタリアとシチリアはマグナ=グラエキア
- 例外=アテネのクレルーキアとデロス同盟の貢納金は支配型へ踏み出した形
- フェニキア=ティルス・シドン。内陸へ広げられず、航路の点を押さえた。表音文字がギリシア文字のもとになったとされる
- カルタゴはティルスの人々が建てたとされ、のちに自立して西地中海を握り、ポエニ戦争で敗れた
- ローマ=属州(総督・貢租・徴税請負)と植民市(市民の入植)の二本立て。統合の到達点が同盟市戦争ののちの市民権拡大とカラカラ帝
- 中国の屯田=兵と民を送りこんで現地で耕させ、輸送の負担を抑えて辺境を保つ仕組み
- Q1. ギリシア人が植民市を建設した主な理由を答えよ。
- A. 人口の増加に耕地が追いつかず、穀物などの確保も必要だったため
- Q2. 母市と植民市の政治的な関係を答えよ。
- A. 原則として対等で、植民市は独自の法を持つ別のポリスとなった
- Q3. 現在のマルセイユとイスタンブルにあたるギリシアの植民市名を答えよ。
- A. マッサリアとビザンティオン
- Q4. カルタゴを建てたとされる都市と、その系統の民族を答えよ。
- A. ティルス、フェニキア人
- Q5. ローマが属州の徴税を委ねた相手と、その弊害を答えよ。
- A. 徴税請負人。取り立てた額との差が利益になるため収奪が進んだ
- Q6. 中国で兵や移民に辺境を耕させた仕組みと、そのねらいを答えよ。
- A. 屯田。輸送の負担を抑えつつ守備と実効支配を保つこと
よくある質問
- 答案に「古代の植民地」と書いてはいけないのですか?
- 避けたほうが安全です。植民地という語は近代の従属地域を指すため、ギリシアの植民市に使うと「母市が支配していた」という誤った意味に読まれます。植民市・植民活動・属州と書き分けてください。
- ギリシアの植民市と近代の植民地は何が違うのですか?
- 支配・被支配の関係があるかどうかです。植民市は独自の法と役人を持つ別のポリスで、母市に税を納める立場ではありませんでした。宗教や交易のつながりは残りましたが、政治的には独立しています。
- ローマの属州支配は近代の植民地支配と同じですか?
- 形は近いのですが、行き着いた先が違います。ローマは同盟市戦争ののちに市民権を広げ、カラカラ帝の時代には帝国内のほぼすべての自由民が市民となりました。近代の宗主国は、統治した地域の住民に本国と同じ権利を原則として与えていません。
- 中国の屯田は植民にあたるのですか?
- 移住型に近い形です。兵や民を辺境へ送りこみ、その地で耕させました。ねらいは食糧の輸送費を減らし、同時にその土地を実際に押さえることにあります。住民から取り立てるローマの属州とは向きが逆だと整理してください。
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