Unit 07

中世ヨーロッパ

王が最も弱く、教皇が最も強かった時代。この単元の軸は「権力が分散した状態から、どうやって再び集まっていったか」という一本の線です。封建制・教会・十字軍・都市——一見ばらばらな項目が、この線の上に順番に並びます。

Overview

この単元の位置づけ

前の単元(イスラーム世界の成立)で拡大したイスラーム勢力と、この単元の西欧が十字軍で正面から衝突します。そして十字軍の失敗が、次の単元(大航海時代と主権国家)への扉を開きます。中世の終わりは、近世の始まりと地続きです。

1

ゲルマンの王が、ローマとキリスト教を継いだ

フランク王国

ゲルマン諸部族の移動によって西ローマ帝国が滅んだあと、有力になったのがフランク王国です。クローヴィスがアタナシウス派に改宗したことで、ローマ系住民と教会の支持を得られました。
カール=マルテルはイスラーム勢力の北上を阻みます。ピピンは教皇に領地を寄進しました(教皇領の起源)。
そしてカール大帝がローマ教皇から帝冠を受けます。ここでローマの伝統・ゲルマンの実力・キリスト教の権威が一つに結びつき、西欧世界が成立しました。
その後の分割によって、のちのドイツ・フランス・イタリアの原型ができます。

2

守ってくれる人と契約した

封建制と荘園制

ノルマン人やマジャール人の侵入が続くなか、人々は身近な有力者に保護を求めました。土地を与える代わりに軍役を負う主従関係が広がり、封建制が成立します。
ここで重要なのは、この関係が双務的な契約だという点です。主君が義務を果たさなければ、家臣は関係を破棄できました。複数の主君に仕えることもできます。周の封建制が血縁で結ばれるのとは根本的に違います。
経済的な基盤は荘園でした。農民は農奴として移動の自由を持たず、賦役や貢納を負います。
そして領主は不輸不入権を持ち、国王の役人でさえ立ち入れませんでした。だから王権が弱かったのです。

3

教会が、王より上に立った

叙任権闘争

ローマ教会は西欧全域に階層組織を張りめぐらせ、精神面だけでなく現実の権力を持ちました。
世俗の君主が聖職者を任命する慣行を改めようとした教皇グレゴリウス7世と、皇帝ハインリヒ4世が正面から衝突します。破門された皇帝が雪の中で謝罪したカノッサの屈辱は、教皇権の優位を象徴する出来事となりました。
争いは最終的にヴォルムス協約で妥協が図られます。教皇権はその後さらに高まり、インノケンティウス3世の時代に絶頂を迎えました。

4

その頂点から、崩れ始めた

十字軍

セルジューク朝の進出に脅かされたビザンツ皇帝の要請を受け、教皇ウルバヌス2世が聖地回復を提唱します。
第1回では聖地を回復しました。しかし以後は失敗が続き、第4回にいたってはヴェネツィア商人の思惑からコンスタンティノープルを攻撃するという本末転倒に終わります。
結果は重大でした。提唱した教皇の権威は失墜し、遠征を担った諸侯や騎士は費用と犠牲で没落し、相対的に王権が伸びます。
同時に東方との交易が活発になり、商業と都市が復活しました。

5

都市と貨幣が、古い秩序を溶かした

中世の終わり

北イタリアや北ドイツの都市が交易で栄え、皇帝や領主から自治権を得ました。「都市の空気は自由にする」という言葉のとおり、都市は農奴身分から逃れる場でもあります。
農村も変わりました。貨幣経済が浸透すると、領主は賦役より貨幣地代を求めるようになります。さらに黒死病による人口の激減が労働力の価値を高め、農民の地位が上がりました。領主が締めつけを図ると、各地で農民反乱が起きています。
教会の権威も落ちました。教皇はフランス王に屈して教皇庁がアヴィニョンへ移され、その後の教会大分裂で権威をさらに失います。
諸侯は戦乱で没落しました。こうして分散していた権力は国王のもとへ集まっていきます。

Confusables

混同しやすいところ

正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。

カノッサの屈辱 と ヴォルムス協約

カノッサの屈辱=皇帝が教皇に謝罪した出来事で、教皇優位の象徴。ヴォルムス協約=叙任権闘争の妥協的な決着。「カノッサで叙任権闘争が終結した」は誤りです。

ヨーロッパの封建制 と 周の封建制

ヨーロッパは双務的な契約で、複数の主君に仕えられます。周は血縁と宗法で結ばれます。両者を比較させる論述が出ます。

第1回十字軍 と 第4回十字軍

第1回は聖地を回復。第4回はコンスタンティノープルを占領し、聖地に向かっていません。「十字軍はすべて聖地に向かった」は誤りです。

教皇のアヴィニョン移転 と 教会大分裂

アヴィニョン移転は教皇庁がフランス王の影響下に置かれた状態。教会大分裂はその後、複数の教皇が並立した状態。順序と内容が入れ替えられます。

Private Universities

早稲田・明治・青山学院ではこう問われる

西ヨーロッパ史は早稲田の中心分野のひとつで、出題量が多い領域です。

過去問の掲載についてこのページの例題は、各大学の出題形式に合わせて当塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題そのものは掲載していません。実物は各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
Practice

この単元は、入試でこう問われる

出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。

EXAMPLE 01共通テスト型/正誤判定

中世ヨーロッパについて述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。

  • 封建的な主従関係では、家臣が複数の主君に仕えることがあった。
  • 荘園の領主は不輸不入権を持ち、国王の役人の立ち入りを拒むことができた。
  • カノッサの屈辱によって、叙任権をめぐる争いは最終的に決着した。
  • 第4回十字軍は、コンスタンティノープルを占領した。
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正解:③

なぜ誤りか。カノッサの屈辱は教皇優位を象徴する出来事ですが、争いはその後も続き、決着はヴォルムス協約によって図られました。「最終的に決着した」という部分が誤りです。

この設問の型。有名な出来事に「これで終わった」という結末を貼り付ける型です。象徴的な事件と制度上の決着は別物なので、出来事は「何を示したか」と「何を決めたか」を分けて覚えてください。

EXAMPLE 02私大型/語句記述

次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。

教皇( A )は聖職叙任権をめぐって皇帝ハインリヒ4世と対立した。両者の争いは( B )協約によって妥協が図られた。その後、教皇( C )の時代に教皇権は絶頂に達したとされる。

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正解:A=グレゴリウス7世 B=ヴォルムス C=インノケンティウス3世

この設問の型。教皇の名前は数が多く、番号まで求められます。「誰と、何をめぐって、どうなったか」をセットで覚えていないと、名前だけでは出てきません。

上位校ではここが深くなる。「十字軍を提唱した教皇は誰か」(ウルバヌス2世)、「修道院改革の中心となった修道院は」(クリュニー修道院)まで問われます。教皇は年表に並べて整理してください。

EXAMPLE 03国公立型/論述(120字程度)

十字軍が西ヨーロッパ社会に与えた影響について、教皇・諸侯・国王それぞれの立場の変化に触れながら120字程度で説明せよ。

解答例と解説を見る
解答例

聖地回復に失敗したことで、遠征を提唱した教皇の権威は失墜した。遠征に参加した諸侯や騎士は多大な費用と犠牲を負って没落し、封建勢力が弱体化した。その結果、相対的に国王の力が強まり、王権の伸長が進んだ。また東方との交易が活発化し、商業と都市の発展を促した。(125字)

採点者が探しているもの。加点されるのは三者の増減がそろっているかです。教皇=下降、諸侯=下降、国王=上昇。設問が三つ指定しているのだから、答案も三つに配分してください。

よくある失点。「東方貿易が盛んになった」だけを書くこと。それは結果の一部にすぎず、設問が指定した三者に触れていなければ大きく減点されます。

EXAMPLE 04早稲田型/指定語句論述(300字程度)

中世ヨーロッパにおける教皇権と世俗権力の関係が、どのように変化したかを300字程度で説明せよ。その際、次の4つの語句を必ず用い、用いた箇所に下線を引くこと。

カノッサの屈辱 / ヴォルムス協約 / 十字軍 / アヴィニョン

解答例と解説を見る
解答例(300字程度)

聖職叙任権をめぐって教皇グレゴリウス7世と皇帝ハインリヒ4世が対立し、破門された皇帝が謝罪したカノッサの屈辱は、教皇権が世俗権力に優越することを示した。争いはヴォルムス協約で妥協が図られ、聖職者としての叙任は教皇が、世俗的な権利の授与は皇帝が行う形に整理された。その後、教皇が提唱した十字軍は当初こそ教皇の権威を高めたが、聖地回復に失敗すると権威は揺らぎ、遠征を担った諸侯や騎士が没落する一方で国王の力が伸びた。やがて課税をめぐりフランス王と対立した教皇は屈服し、教皇庁がアヴィニョンへ移されて王権の影響下に置かれる。こうして優位は教皇から世俗権力へと移っていった。

この設問の型。早稲田の政治経済学部などで出る指定語句つきの論述です。語句が4つ与えられている時点で、出題者は答案の骨格を指定しています。4つの語句を時系列に並べれば、それがそのまま段落構成になります。

採点者が探しているもの。この設問の主題は「関係の変遷」です。つまり始点と終点が逆転していること——教皇優位から世俗権力優位へ——を明示できているかが最大の加点要素になります。個々の出来事を正しく説明していても、変化の方向が書かれていない答案は伸びません。

よくある失点。指定語句を説明することが目的化して、4つの出来事の解説が並ぶだけになること。語句は材料であって主題ではありません。書き始める前に「最初はこうで、最後はこうなった」と一文で言えるか確認してください。

時間配分。300字の論述は、構成を決めずに書き始めると必ず破綻します。指定語句を時系列に並べ、各語句に割く字数を70字前後と決めてから書き出すと、書き直しがなくなります。

EXAMPLE 05早稲田型/年代整序

次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。

  • カノッサの屈辱が起きた。
  • 第1回十字軍が聖地を回復した。
  • 教皇庁がアヴィニョンへ移された。
  • ヴォルムス協約が結ばれた。
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正解:① → ② → ④ → ③

並べ方の筋道。教皇権の曲線で捉えます。①カノッサの屈辱は教皇権が皇帝に優越することを示した場面——上昇の局面です。②第1回十字軍は教皇の呼びかけに西欧全体が応じた、権威の頂点にあたります。④ヴォルムス協約は叙任権闘争の妥協的な決着。そして③アヴィニョンへの移転は、教皇がフランス王の影響下に置かれた下降の局面です。上昇 → 頂点 → 決着 → 下降という一本の曲線に載せれば並びます。

①と②の間隔に注意。カノッサと第1回十字軍は20年ほどしか離れていません。教皇権が皇帝を屈服させた直後に、その権威で全西欧を動員した——連続した出来事として捉えてください。離れた事件だと思っていると、間に他の選択肢を挟んでしまいます。

④の位置が引っかけ。ヴォルムス協約は「叙任権闘争の決着」なので、カノッサの直後だと思いがちです。しかし実際は第1回十字軍の後で、闘争は50年近く続いていました。象徴的な事件と制度上の決着の間には時間差がある——この単元のEXAMPLE 01と同じ論点です。

EXAMPLE 06青山学院大学 全学部日程型/速度重視の連続処理

次の文章を読み、設問1〜4に答えよ。目標時間は5分

西ローマ帝国の滅亡後、有力になったフランク王国では、クローヴィスが( A )派に改宗してローマ系住民の支持を得た。カール大帝がローマ教皇から帝冠を受けたことで、①ローマ・ゲルマン・キリスト教が結びついた西欧世界が成立する。
その後の侵入が続くなかで②封建制が広がり、経済的な基盤は荘園に置かれた。領主は( B )権を持ち、国王の役人でさえ立ち入れない。
教会は現実の権力を持ち、聖職叙任権をめぐって教皇と皇帝が衝突した。③この争いは最終的に協約で決着する。やがて教皇の呼びかけで( C )が始まるが、聖地回復に失敗すると教皇の権威は揺らいでいった。

設問1 空欄( A )〜( C )に入る語句を記せ。
設問2 下線部①の後、フランク王国の分割によって原型ができた国の組み合わせとして正しいものを選べ。
 ア ドイツ・フランス・イタリア イ イギリス・フランス・スペイン ウ ドイツ・ポーランド・イタリア
設問3 下線部②について誤っているものを選べ。
 ア 双務的な契約にもとづく イ 複数の主君に仕えられた ウ 血縁と宗法にもとづく
設問4 下線部③が決着した協約の名を記せ。

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解答:1 A=アタナシウス/B=不輸不入/C=十字軍 2 ア 3 ウ 4 ヴォルムス協約

この設問の型。青山学院大学の全学部日程は60分で大問3題・解答総数45〜50問——1問あたり約1.2分です。空所補充と下線部設問が連続するため、読み方の順序が得点を左右します。

解く順序。まず空所を埋める。文章の流れが確定します。②次に下線部設問。空所が埋まっていれば多くは即答できます。最初から精読してはいけません。

設問3が最重要。「血縁と宗法にもとづく」のは周の封建制で、ヨーロッパのそれは双務的な契約です。この単元の「混同しやすいところ」で扱った論点がそのまま出ています。知っていれば1秒、知らなければ30秒悩む——速度勝負の試験では、この差が積み重なって致命傷になります。

設問2のような組み合わせ選択。三択のうち、イは「イギリス」、ウは「ポーランド」が明らかに外れます。1つでも確実に誤りと分かる要素があれば、その選択肢ごと切れるのが組み合わせ問題の利点です。全部を検討する必要はありません。

青学で中世ヨーロッパが重い理由。青学は欧米史が中心で、この単元は重点分野です。文化史も必出とされるため、ロマネスク・ゴシックの建築様式やスコラ学も同じ速度で処理できるようにしておいてください。

※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。

Units

通史を順番に読む

東アジアの中世では、隋唐が科挙と律令で広域支配を組み立てます。ヨーロッパが土地を介した主従関係で秩序を作ったのに対し、中国は試験で選んだ官僚で作りました。同じ時代でも統治の原理が違います。

Trial Lesson

300字の論述は、
書く前に決まります。

構成を決めずに書き始めた答案は、必ず途中で破綻します。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。

入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。