この単元の位置づけ
前の単元までに見たササン朝ペルシアとビザンツ帝国は、この単元でイスラーム勢力に領域を奪われる側になります。次の単元(中世ヨーロッパ)では、十字軍という形で両者が正面から衝突します。地中海世界が三つの勢力に分かれる出発点がここです。
商業都市で、唯一神の教えが始まった
ムハンマドとヒジュラ
背景には交易路の変化がありました。ビザンツ帝国とササン朝の抗争で従来の路が使いにくくなり、アラビア半島の内陸ルートにあるメッカなどが中継地として栄えます。
この地でムハンマドは、唯一神アッラーの啓示を受けたとして偶像崇拝を否定し、神の前での平等を説きました。既存の秩序で利益を得ていたメッカの大商人はこれを迫害します。ムハンマドはメディナへ移住しました(ヒジュラ)。
移住先で、信仰にもとづく共同体ウンマが形成されます。のちにメッカを征服し、カーバをイスラームの聖殿としました。
宗教共同体がそのまま政治共同体でもある——この性格が、以後の展開を決めます。
後継者を選び、一気に外へ広がった
正統カリフ時代
ムハンマドの死後、共同体はカリフ(後継者)を選出して指導させました。この時代に大征服が進み、ササン朝を滅ぼし、シリアとエジプトをビザンツ帝国から奪います。征服地の異教徒には人頭税(ジズヤ)と地租(ハラージュ)を課しましたが、改宗を強制しませんでした。啓典の民には信仰の継続が認められており、この寛容さが急速な拡大を可能にした一因です。
世襲化が、宗派の分裂を生んだ
ウマイヤ朝とアラブ帝国
第4代カリフのアリーが暗殺されると、ムアーウィヤがカリフ位を世襲とし、ダマスクスを都としてウマイヤ朝を開きます。
この過程で宗派が分かれました。代々のカリフを認めるスンナ派と、アリーとその子孫のみを指導者と認めるシーア派です。
ウマイヤ朝はアラブ人を支配層とし、非アラブ人の改宗者(マワーリー)にもジズヤやハラージュを課し続けました。ムスリムになっても税負担が軽くならない——この不平等が体制の弱点になります。
領域は西はイベリア半島に及び、さらに北上したところでフランク王国に阻まれました。
不満を取り込んだ側が、次の王朝になった
アッバース朝とイスラーム帝国
マワーリーの不満を結集した運動によってウマイヤ朝は倒され、アッバース朝が成立してバグダードが造営されます。
新王朝はイスラーム法にもとづき、民族を問わずムスリムであれば平等とする原則を掲げました。アラブ人にもハラージュが課され、非アラブ人の官僚や軍人が登用されます。
ウマイヤ朝を「アラブ帝国」、アッバース朝を「イスラーム帝国」と呼び分けるのは、この違いによるものです。ハールーン=アッラシードの時代が最盛期とされます。
一つだったはずの権威が、分かれていった
分裂と文化の成熟
イベリア半島では後ウマイヤ朝が、北アフリカではシーア派のファーティマ朝が成立しました。カリフを称する政権が並び立ちます。
バグダードでもブワイフ朝が入城して実権を握り、のちにセルジューク朝の君主がスルタンの称号を与えられました。カリフは宗教的権威として残り、政治の実権は別の者が握るという形になります。
一方で文化は成熟しました。ギリシアの学問がアラビア語に翻訳され、医学・哲学・数学が発展します。唐から製紙法が伝わったことが、書物の普及を支えました。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
ジズヤ=異教徒に課される人頭税。ハラージュ=土地に課される地租。アッバース朝ではムスリムであってもハラージュを負担しました。「アッバース朝でムスリムはすべての税を免除された」は誤りです。
ウマイヤ朝=アラブ人優位(アラブ帝国)、都はダマスクス。アッバース朝=ムスリム平等(イスラーム帝国)、都はバグダード。都の名と統治原則をセットで覚えると入れ替えに気づけます。
スンナ派は歴代カリフを正統と認める多数派。シーア派はアリーとその子孫のみを指導者と認めます。ファーティマ朝がシーア派である点は頻出です。
カリフは宗教的権威を含む後継者の称号。スルタンは政治的支配者の称号で、セルジューク朝の君主が与えられました。アミールは司令官・総督。権威と実権が分離した状況を説明させる論述で必要になります。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
イスラーム史は受験生が手薄になりやすく、そのぶん差がつく分野です。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
イスラーム世界について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- 正統カリフ時代の征服では、異教徒に対して改宗が強制されることはなかった。
- ウマイヤ朝は、ダマスクスを都とした。
- アッバース朝では、アラブ人であることを理由に地租が免除された。
- ファーティマ朝は、シーア派の王朝であった。
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なぜ誤りか。アラブ人の特権を維持したのはウマイヤ朝です。アッバース朝はムスリムであれば民族を問わず平等という原則を採り、アラブ人にもハラージュを課しました。二つの王朝の統治原則が入れ替えられています。
この設問の型。王朝の性格をひとつ前の王朝のものにすり替える型です。イスラーム史は王朝が連続するので、この作り方が非常にしやすい分野になっています。「アラブ帝国=ウマイヤ/イスラーム帝国=アッバース」という対を必ず持ってください。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
ムハンマドがメッカからメディナへ移住した出来事を( A )という。彼の死後、共同体は後継者として( B )を選出した。征服地の異教徒には、人頭税である( C )が課された。
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この設問の型。用語の定義をそのまま問う形式ですが、Cでジズヤとハラージュのどちらかを選ばせるのが定番です。ジズヤ=人/ハラージュ=土地と、対象で覚えてください。
上位校ではここが深くなる。「イスラーム法を何と呼ぶか」(シャリーア)、「非アラブ人の改宗者を何と呼ぶか」(マワーリー)まで問われます。制度用語は誰に何が課されるかを一行で言えるようにしておいてください。
ウマイヤ朝からアッバース朝への交替において、支配のあり方がどのように変化したかを、税制に触れながら120字程度で説明せよ。
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ウマイヤ朝はアラブ人を支配層とし、非アラブ人の改宗者にも人頭税や地租を課したため不満が高まった。この不満を取り込んで成立したアッバース朝は、イスラーム法のもとで民族を問わずムスリムの平等を原則とし、アラブ人にも地租を課すとともに非アラブ人を官僚や軍人に登用した。(128字)
採点者が探しているもの。加点されるのは「アラブ人中心」から「ムスリム平等」への転換と、それを税で具体化した記述です。制度用語を挙げるだけで転換の中身がない答案は伸びません。
よくある失点。「差別があったので革命が起きた」で終わってしまうこと。設問は支配のあり方がどう変わったかを聞いているので、交替後の状態まで必ず書いてください。
イスラーム勢力の拡大と領域について述べた次の①〜⑤のうち、正しいものを二つ選べ。
- 正統カリフ時代に、ササン朝が滅ぼされた。
- ウマイヤ朝は、イベリア半島に進出した。
- アッバース朝は、ダマスクスを都として建設された。
- 後ウマイヤ朝は、北アフリカのカイロを都とした。
- セルジューク朝の君主は、カリフの称号を与えられた。
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③が誤り。ダマスクスはウマイヤ朝の都です。アッバース朝はバグダードを造営しました。
④が誤り。後ウマイヤ朝はイベリア半島の王朝です。カイロを都としたのはファーティマ朝。地域が入れ替えられています。
⑤が誤り。セルジューク朝の君主が与えられたのはスルタンの称号です。カリフは宗教的権威として別に存在し続けました。
この設問の型。「正しいものを二つ選べ」は、早稲田で見られる複数選択形式です。誤りを探す形式と違い、確信を持てる正解を積み上げる解き方になります。誤りの作り方は今回の3種類——都の入れ替え・地域の入れ替え・称号の入れ替え——がほぼすべてです。
この単元での対策。早稲田では地図を要する問題が毎年出ます。イスラーム王朝は「どこを本拠に、どこまで広がったか」が設問の中心なので、白地図に王朝ごとの都と領域を書き込む作業を一度やっておいてください。文字だけで覚えていると、地域の入れ替えに気づけません。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- ムハンマドがメディナへ移住した。
- ウマイヤ朝が成立した。
- アッバース朝が成立した。
- ササン朝が滅ぼされた。
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並べ方の筋道。①メディナへの移住は共同体の出発点。④ササン朝の滅亡は正統カリフ時代の大征服によるもので、②ウマイヤ朝の成立より前です。その後、②アラブ人優位のウマイヤ朝、③ムスリム平等のアッバース朝と続きます。共同体の成立 → 正統カリフの大征服 → ウマイヤ朝 → アッバース朝という一本の線です。
④の位置が最大の引っかけ。ササン朝の滅亡を「ウマイヤ朝の遠征によるもの」と思い込むと順序を誤ります。大征服の主役は正統カリフ時代で、ウマイヤ朝はその後に成立した王朝です。拡大が先、王朝の世襲化が後——この順序を押さえてください。
整序で問われるのは体制の段階。イスラーム史は王朝が連続するため、「どの体制の時期の出来事か」で分類するのが最も確実です。単元04(中国の王朝)、単元11(フランスの議会)と同じ考え方です。
ウマイヤ朝とアッバース朝では、税制のあり方がどのように異なったか。3行程度(100字前後)で説明せよ。
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ウマイヤ朝はアラブ人を支配層とし、非アラブ人の改宗者にも人頭税や地租を課した。アッバース朝ではムスリムの平等を原則とし、アラブ人にも地租を課す一方、改宗者の人頭税は免除される形へ改められた。
この設問の型。明治大学商学部の大問Ⅴで出る短論述です。経済史からの出題が多いとされ、税制はその典型的な素材になります。
3行で書く型。設問が「どのように異なったか」と対比を求めているので、王朝ごとに一文ずつ割り当てます。因果を長く展開する余地はありません。対比を問われたら、比較する軸を一つに絞る——ここでは「誰に何が課されたか」です。
採点者が探しているもの。核心は「民族による区別」から「信仰による区別」への転換です。単に税の名前を挙げるだけでは足りません。ウマイヤ朝はアラブ人かどうかで扱いを変え、アッバース朝はムスリムかどうかで扱いを変えた——この軸の移動を示してください。
削る判断。ジズヤ・ハラージュ・マワーリーといった用語を全部入れたくなりますが、100字では窮屈になります。用語より構造を優先し、余裕があれば用語を足す順序で書いてください。
この転換が王朝交替そのもの。マワーリーの不満がアッバース朝成立の原動力だったので、税制の説明がそのまま政治史の説明になります。短論述では、こうした一石二鳥の構造を選ぶと字数が節約できます。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
通史を順番に読む
中世ヨーロッパは、地中海の東側と南側がイスラーム勢力の下に入ったことで、内陸へ重心を移して形を変えていきます。のちの十字軍という反転攻勢も、この単元で見た勢力図が出発点です。
例題は解けても、
本番の答案は別ものです。
自分の答案が何点なのかは、自分では判断できません。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。