現代の経済を整理する|危機のたびに振り子が振れる

現代の経済を整理する|危機のたびに振り子が振れる
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現代の経済史は出来事が多すぎて手がつかない、という相談をよく受けます。しかし動いているのは2本の振り子だけです——①政府の役割(自由放任→大きな政府→小さな政府)②貿易の開き方(自由→保護→自由)振り子を振らせるのは常に危機であり、しかも前の危機への答えが次の危機を用意します。この見取り図に事件を掛けていきます。

2本の振り子で読む — 振らせるのは常に危機

一言でいうと20世紀以降の世界経済を、政府がどこまで経済に関与するかと、国境をどこまで開くかという2つの選択の歴史として捉える見方。大きな危機のたびに、この2つが振れてきた
時期 政府の役割 貿易の開き方 振らせた危機
19世紀後半 自由放任 自由貿易(イギリス主導)
1930年代 政府の介入 高関税とブロック化 世界恐慌
戦後〜60年代 大きな政府 GATTの下で自由化 第二次世界大戦
70〜80年代 小さな政府 自由化は続く ドル=ショックと石油危機
冷戦後 市場を重んじる グローバル化 冷戦の終結
近年 政府の役割を問い直す議論 保護的な揺り戻し 金融危機と格差
  1. 危機が起きると、それまでの政策が答えを出せないことが誰の目にも見えるようになる。
  2. 人々は反対側の答えを求める。市場に任せて失敗すれば政府へ、政府に任せて失敗すれば市場へ
  3. 新しい答えは、しばらくのあいだうまく働く。
  4. しかしその答え自体が、次の問題を作り出す
  5. 恐慌への答え(政府が需要を作る)は、財政の膨張とインフレへの弱さという宿題を残したとされる。
  6. 石油危機への答え(規制を緩め市場を開く)は、格差と不安定という宿題を残したという見方が強い。
  7. だから振り子は止まらない。「最終的に正しい配置」は歴史上まだ現れていない
  8. 入試では、どの危機がどちら向きに振らせたかだけを押さえれば足りる。
2本を別々の軸として扱う政府の役割と貿易の開き方は、いつも同じ向きに動くわけではありません。1930年代は「大きな政府+保護」、戦後は「大きな政府+自由貿易」、1980年代以降は「小さな政府+自由貿易」——3通りの組み合わせが実際に存在しました。この2軸を混ぜて書く答案が非常に多いので、必ず分けてください。
「自由放任」を字義どおりに取らない何もしない政府は歴史上存在しません。19世紀の自由貿易も、航路を守る海軍と、契約を保護する法制度に支えられていました。「関与するかしないか」ではなく「どこまで関与するか」の程度の問題として書くのが正確です。

世界恐慌 — 4つの答えに共通するのは「市場に任せるのをやめた」こと

恐慌の答案は類型の暗記に流れがちです。比較の軸を2本持つと、一段深く書けます——①政府がどこまで踏み込んだか ②足りない需要をどこに求めたか

類型(国) 政府の踏み込み方 需要をどこに求めたか
ニューディール(アメリカ) 公共事業と労働者の保護 国内市場の購買力
ブロック経済(イギリス・フランス) 通貨圏と関税の管理 本国と植民地の囲い込み
ファシズム(ドイツ・イタリア) 軍需を軸とする統制 再軍備と対外進出
計画経済(ソ連) 国家が生産量を決める 世界市場の外側
  1. アメリカが対外融資を引き揚げると、不況は各国へ伝わった。
  2. 各国はまず関税を引き上げた。自国の産業を守る判断だが、相手も同じことをするため世界の取引量そのものが縮んだ
  3. 取引が縮めば失業はさらに増える。ここで各国は「政府が何をするか」を選ばされた
  4. アメリカは、政府が支出して需要を作る道を選んだ。
  5. イギリスとフランスは、植民地を含む経済圏の内側で取引を完結させる道を選んだ。
  6. 広い経済圏を持たないドイツ・イタリア・日本は、軍需と対外進出に活路を求めた。
  7. ソ連は世界市場と切り離されていたため打撃が小さく、計画経済への関心が国際的に高まったとされる。
  8. 結果として、恐慌のあとに自由放任を続けた大国は一つもなかった
「違い」だけでなく「共通点」を書く多くの答案は4類型の違いだけを並べて終わります。「4つとも自由放任を放棄した点では同じで、分かれたのは介入の手段と、需要を求めた先である」——この一文を最初に置くと、以下の列挙が比較として機能します。日本世界史塾では、この「共通点→相違点」の順序を比較論述の型として徹底させています。
「アメリカ=自由貿易の擁護者」は時期を選ぶ1930年代前半のアメリカは関税を大きく引き上げており、貿易の縮小に加担した側です。アメリカが自由貿易の旗手になるのは第二次世界大戦後のこと。「同じ国でも、立場は時期によって入れ替わる」——ここを外すと年代の判定を誤ります。
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ブレトン=ウッズ体制 — 外は自由貿易、内は大きな政府という組み合わせ

  1. 戦後の設計で最も避けたかったのは、取引の縮小と通貨の切り下げ競争の再現であった。
  2. そこで為替を固定し、貿易の条件を安定させた。IMFは一時的に赤字となった国へ融資し、切り下げ競争を防ぐ役割を担った。
  3. 中心に据えられたのはドルである。戦争で生産設備を損なわず、金を大量に保有していたのがアメリカだけだったためである。
  4. 金1オンス=35ドルで交換に応じ、各国の通貨はドルに対して一定の比率に保たれた。
  5. 同時に、各国が国内で雇用と福祉の政策をとる自由は残された。国際的な資本の移動には、各国が制限を置くことが認められていた。
  6. この組み合わせが要である。国内の失業に政府が答えられれば、国民は保護貿易を求めにくい
  7. GATTの下で関税は段階的に下げられ、西側諸国は長期の成長を経験した。
  8. 戦後の自由貿易は、大きな政府とセットで初めて維持できた——現在ではこの見方が有力である。
19世紀の金本位制 ブレトン=ウッズ体制
中心の通貨 ポンド ドル
為替 金を基準に固定 ドルを基準に固定(調整の余地あり)
国内政策 為替の維持が優先 雇用と福祉を優先できる
資本の移動 ほぼ自由 制限が認められた
終わり方 世界恐慌で各国が離脱 1971年に金との交換を停止

なお、この枠組みは世界全体の体制ではありません。東側はCOMECONという別の経済圏を作っており、冷戦は経済の仕組みまで二重にしていたという点は、答案で意外に評価されます。

「なぜドルだったのか」を説明できるか基軸通貨は宣言で決まるのではなく、生産力・金の保有・軍事力という裏づけがあって成立します。ポンドからドルへの交代は、その裏づけが移った結果です。逆に、裏づけが弱まれば体制は揺らぐ——ここまで書けると、崩壊の説明が同じ論理でつながります。
崩れた理由と、順序西欧と日本の復興でアメリカの相対的な地位が下がり、戦費などの支出でドルが海外に積み上がりました。世界へドルを供給し続けるほど金との交換への信頼が薄れる、という矛盾が指摘されてきました。1971年に交換が停止され、その後、主要国は変動相場制へ移りました。石油危機が原因で崩れたと書くと、原因と結果が逆になります。

石油危機で折り返す — そして途上国は3つの道に分かれた

なぜ振り子は「小さな政府」へ戻ったのか

  1. 1973年の石油危機で原油価格が急騰し、先進国では物価の上昇と不況が同時に進んだ
  2. 需要を作れば景気は戻るという戦後の処方が効かなかった。値上がりの原因が需要の不足ではなく、供給の側の制約にあったためである。
  3. 財政の赤字と物価の上昇が同時に問題となり、政府の介入そのものへの批判が強まった。
  4. イギリスやアメリカでは、規制緩和・国営企業の民営化・減税を掲げる政権が支持を集めた。
  5. 為替は変動相場となり、資本の移動への制限も緩められていった。
  6. こうして「小さな政府+自由貿易」という配置が生まれた。
  7. 1930年代の「大きな政府+保護」とは、2軸とも正反対である。

資源ナショナリズム — 売る側が値段を決める

  • 産油国はOPECを、アラブの産油国はさらにOAPECを組織し、生産量と価格の決定権を国際的な石油会社から取り戻した
  • 背景には、政治的な独立のあとに経済的な独立が課題として残ったという第三世界に共通の問題意識があった
  • 早い例としてメキシコの石油国有化があり、1950年代のイランでも国有化が試みられたが、政変により挫折したとされる
  • 1970年代には、資源に対する主権や公正な価格を求める主張が国際的な場でも掲げられた(新国際経済秩序の要求)
  • 一方、資源を持たない途上国は原油の値上がりで打撃を受け、途上国どうしの格差(南南問題)が表面化した

同じ危機に、3つの答え

戦略 主な地域 中身 つまずいた点
輸出志向工業化 東アジア・東南アジアの一部 世界市場に売る製品を国家が選んで育てる 外需と資金の流れに左右される
輸入代替工業化 ラテンアメリカなど 高関税で保護し輸入品を国内生産に置き換える 競争力が育ちにくく累積債務
資源輸出への依存 産油国など 資源を国有化し価格を管理する 価格が下がると財政が傾く

冷戦後 — 一つの市場と、その揺り戻し

  1. 冷戦の終結により、計画経済の側が市場経済へ移った。中国は先に改革開放を進め、政治体制を保ったまま市場を導入した
  2. GATTはWTOへ改組され、紛争を処理する仕組みが強められた。
  3. 輸送費の低下と情報技術の発達により、生産が国境を越えて分業されるようになった。
  4. 資本の移動が自由になり、1990年代末のアジアでは通貨危機が起きた。急激な資金の流出が実体の経済を直撃した。
  5. 先進国では産業の空洞化と格差の拡大が政治の争点となった。
  6. 2000年代末の世界的な金融危機では、各国政府が金融機関を支え、大規模な財政支出を行った——政府の役割が再び前に出た場面である。
  7. 近年は関税や貿易の枠組みを見直す動きが見られ、貿易の振り子も揺り戻している
振り子を動かすのは、経済ではなく政治経済政策は、選挙と世論の支持がなければ転換できません。恐慌後の政府介入も、石油危機後の小さな政府も、有権者が前の答えに失望したことで初めて実現しました。「なぜその転換が可能だったのか」と問われたら、①従来の政策の行き詰まり ②新しい主張が政治的な支持を得たことの2段で書いてください。
東アジアの成長を「市場に任せた結果」と書かない輸出志向の工業化では、国家が育てる産業を選び、資金と為替を管理しました。むしろ政府の関与は強いのです。「後から工業化する国ほど国家が前に出る」——19世紀のドイツやロシアと同じ型であり、産業革命の各国比較とそのまま接続できます

入試で狙われるポイント総覧

  • 2本の振り子=政府の役割(自由放任→大きな政府→小さな政府)と貿易の開き方(自由→保護→自由)
  • 恐慌への対応は介入の手段需要を求めた先の2軸で整理する
  • 恐慌後、自由放任を続けた大国はない——4類型の共通点
  • ブレトン=ウッズ体制=金・ドル本位制と固定相場、支える枠組みはIMF・世界銀行・GATT
  • 戦後の自由貿易は対内的な雇用・福祉政策とセットだったという見方
  • 順序は1971年のドル=ショック → 変動相場制 → 1973年の石油危機
  • スタグフレーションが大きな政府への信頼を崩し、規制緩和・民営化・減税
  • 資源ナショナリズム=OPEC・OAPEC、そして南南問題
  • 東アジアは輸出志向、ラテンアメリカは輸入代替/冷戦後はWTOとグローバル化、近年は揺り戻し
共通テストでの出方「石油危機を受けて金とドルの交換が停止された」は誤り(停止が先で、危機は後)。「スタグフレーションでは物価が下落する」も誤り(上昇と不況の同時進行)。「ラテンアメリカは輸出志向の工業化で高成長した」も誤り(輸入代替)。前後関係・用語の中身・地域と戦略の対応——狙われるのはこの3か所です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 現代の経済史を貫く2本の振り子とは何か。
A. 政府の役割(自由放任・大きな政府・小さな政府)と、貿易の開き方(自由貿易と保護貿易)
Q2. 世界恐慌への4つの対応に共通する点は何か。
A. 市場に任せる自由放任を捨て、政府が経済に関与したこと
Q3. ブレトン=ウッズ体制で、対外的な自由貿易と組み合わされた国内の政策は。
A. 政府が雇用と福祉に責任を負う政策。資本の移動への制限を伴った
Q4. ドル=ショック・石油危機・変動相場制への移行を古い順に並べよ。
A. ドル=ショック → 変動相場制 → 石油危機
Q5. スタグフレーションが経済政策に与えた影響を答えよ。
A. 需要を作る政策が効かないと示し、小さな政府への転換を促した
Q6. 輸出志向工業化と輸入代替工業化の違いを、需要を求める先で答えよ。
A. 輸出志向は世界市場に売り、輸入代替は国内市場向けに輸入品を置き換える

よくある質問

現代の経済史が覚えられません。どう整理すればよいですか?
2本の振り子に事件を掛けてください。政府の役割がどちらへ振れたか、貿易が開いたか閉じたか——この2つだけを危機ごとに判定すれば、細かい出来事は位置が決まります。
世界恐慌の各国の対応は、違いだけ覚えれば足りますか?
共通点を先に書けるかで差がつきます。4つとも自由放任を捨てた点は同じで、分かれたのは介入の手段と、需要を求めた先です。この順で書くと列挙が比較になります。
ブレトン=ウッズ体制はなぜ崩れたのですか?
アメリカの相対的な地位が下がり、海外に積み上がったドルの信認が揺らいだためです。世界へドルを供給し続けるほど金との交換への信頼が薄れる、という矛盾が指摘されてきました。1971年の交換停止が先で、石油危機は後です。
「小さな政府」への転換はなぜ起きたのですか?
石油危機で、需要を作る政策が効かなくなったからです。値上がりの原因が供給の側にあったため不況と物価上昇が同時に進み、規制緩和・民営化・減税を掲げる主張が政治的な支持を得ました。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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