ロシア革命とは?二月革命から十月革命、ソ連成立まで

ロシア革命は、世界初の社会主義国家を生んだ事件です。混乱しやすいのは1917年に革命が2回あったから。二月革命=帝政の打倒/十月革命=ボリシェヴィキの権力掌握と切り分ければ、以後のソ連成立までは一直線に理解できます。
背景 — なぜロシアで起きたのか
ロシアは工業化が遅れ、皇帝(ツァーリ)の専制が続いていました。日露戦争の敗北を機に1905年の血の日曜日事件から第1次ロシア革命が起こり、皇帝はドゥーマ(国会)の開設を約束しますが、まもなく反動化します。
- 専制政治への不満 — 憲法も議会も実質的に機能しなかった。
- 農民問題 — 1861年の農奴解放令は土地を有償としたため、農民は貧困から抜け出せなかった。
- 労働者の困窮 — 遅れて始まった工業化で劣悪な労働条件が広がった。
- 第一次世界大戦 — 総力戦に耐えられず、食料不足と大量の戦死者が体制への不満を決定的にした。
二月革命(三月革命)— 帝政の打倒
- 1917年3月(ロシア暦2月)、ペトログラードで食料を求める労働者のデモとストライキが発生。
- 鎮圧に向かった兵士が民衆側につき、各地にソヴィエト(労働者・兵士の評議会)が組織された。
- ニコライ2世が退位し、ロマノフ朝が滅亡した。
- 自由主義者を中心とする臨時政府が成立。しかしソヴィエトも並存し、二重権力状態となった。
- 臨時政府は戦争を継続したため、民衆の不満は解消されなかった。
ここが最大のポイントです。民衆が求めたのは「パンと平和と土地」でしたが、臨時政府は戦争をやめませんでした。この乖離が、次の革命を呼び込みます。
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十月革命(十一月革命)— ボリシェヴィキの権力掌握
- 亡命先から帰国したレーニンが「四月テーゼ」を発表。「すべての権力をソヴィエトへ」と訴え、臨時政府との協力を否定した。
- 1917年11月(ロシア暦10月)、ボリシェヴィキが武装蜂起して臨時政府を倒した。
- ただちに「平和に関する布告」(無併合・無償金・民族自決の講和)と「土地に関する布告」(地主の土地の無償没収)を発表。
- 憲法制定議会で第一党になれなかったため、これを武力で解散し一党独裁を固めた。
- 1918年、ブレスト=リトフスク条約でドイツと単独講和し、第一次世界大戦から離脱した。
ボリシェヴィキが支持を得たのは、民衆が最も求めていた「平和」と「土地」を即座に約束したからです。理念の正しさではなく、要求への応答の速さが勝敗を分けました。
内戦からソ連成立、そしてスターリン体制へ
- 革命に反対する反革命軍(白軍)との内戦が勃発。日本を含む列強が対ソ干渉戦争(シベリア出兵)を行った。
- ソヴィエト政権は赤軍(トロツキー組織)と戦時共産主義(食料の強制徴発、企業の国有化)で対抗し、勝利した。
- 1919年、世界革命を目指すコミンテルン(第3インターナショナル)を結成。
- 戦時共産主義で生産が激減したため、1921年に新経済政策(ネップ)へ転換。小規模な私企業と余剰農産物の販売を認める部分的な市場経済の導入だった。
- 1922年、ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立。
- レーニンの死後、「一国社会主義」を唱えるスターリンが、「世界革命」を唱えるトロツキーを追放して実権を握った。
- スターリンは五カ年計画で重工業化と農業の集団化(コルホーズ・ソフホーズ)を強行。急速な工業化を達成する一方、多数の犠牲と大粛清を生んだ。
また、ロシア革命の成功は世界中の民族運動・労働運動に影響を与えました。中国共産党の結成、アジアの民族解放運動への支援など、20世紀の国際関係を規定する軸が、ここで生まれます。
入試で狙われるポイント総覧
- 二月革命=帝政打倒・臨時政府成立・二重権力
- 十月革命=ボリシェヴィキが臨時政府を倒す
- レーニンの四月テーゼ=「すべての権力をソヴィエトへ」
- 平和に関する布告と土地に関する布告
- ブレスト=リトフスク条約で大戦から離脱
- 戦時共産主義 → ネップ → 五カ年計画という経済政策の変遷
- スターリン=一国社会主義/トロツキー=世界革命
- 1922年にソ連成立
- Q1. 1917年の二月革命の結果、退位した皇帝と滅亡した王朝は。
- A. ニコライ2世、ロマノフ朝
- Q2. 労働者・兵士の評議会を何というか。
- A. ソヴィエト
- Q3. レーニンが帰国後に発表した方針を何というか。
- A. 四月テーゼ
- Q4. 十月革命直後に出された2つの布告を答えよ。
- A. 平和に関する布告と土地に関する布告
- Q5. 1921年に導入された、部分的に市場経済を認める政策は。
- A. 新経済政策(ネップ)
- Q6. 一国社会主義を唱えた人物と、世界革命を唱えた人物は。
- A. スターリンとトロツキー
よくある質問
- なぜ1917年に革命が2回あるのですか?
- 二月革命で帝政が倒れ臨時政府ができたものの、その臨時政府が戦争を継続したため民衆の要求に応えられず、十月革命でボリシェヴィキが政権を奪ったからです。
- 二月革命と三月革命は違いますか?
- 同じ革命です。当時ロシアがユリウス暦を使っていたため、西暦では3月にあたります。同様に十月革命は西暦では11月です。
- ボリシェヴィキとメンシェヴィキの違いは?
- ボリシェヴィキ(多数派)はレーニンが率い、少数精鋭による革命を主張。メンシェヴィキ(少数派)は段階的な革命を主張しました。名称と主張の入れ替えが頻出です。
- ネップはなぜ導入されたのですか?
- 戦時共産主義による強制徴発で農民の生産意欲が落ち、経済が破綻したためです。小規模な私企業と余剰農産物の販売を認める部分的な市場経済の導入でした。
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