冷戦とは?始まりから終結までを一本で理解する

冷戦とは?始まりから終結までを一本で理解する
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冷戦は、アメリカとソ連が直接戦火を交えないまま約45年間対立した状態です。出来事が多く見えますが、「対立 → 雪どけ → 再燃 → 終結」という4つの波として捉えれば整理できます。共通テストでも国公立論述でも最頻出の単元です。

冷戦とは(定義と対立の構図)

一言でいうと第二次世界大戦後、アメリカを中心とする西側(資本主義)陣営ソ連を中心とする東側(社会主義)陣営が、直接の全面戦争を避けながら世界的に対立した状態。1947年ごろ〜1989年。
西側(アメリカ陣営) 東側(ソ連陣営)
政治・経済 資本主義・議会制民主主義 社会主義・共産党一党支配
経済援助 マーシャル=プラン(ヨーロッパ復興援助) コメコン(経済相互援助会議)
軍事同盟 NATO(北大西洋条約機構) ワルシャワ条約機構
情報組織 コミンフォルム(共産党情報局)

「冷たい戦争」と呼ばれるのは、核兵器の存在により直接戦争ができなかったからです。代わりに、代理戦争・軍拡競争・宇宙開発競争・イデオロギー宣伝という形で争われました。

第1波:冷戦の形成(1945〜53)

  1. 大戦末期のヤルタ会談で戦後処理が話し合われたが、東欧の扱いをめぐって対立の芽が生じていた。
  2. ソ連が東欧諸国に社会主義政権を樹立。チャーチルは「鉄のカーテン」演説でこれを批判した。
  3. 1947年、アメリカがトルーマン=ドクトリン(共産主義封じ込め)とマーシャル=プランを発表。これが冷戦の開始とされる
  4. 1948〜49年、ベルリン封鎖。ソ連が西ベルリンへの交通を遮断し、西側は空輸で対抗した。
  5. 1949年、NATO結成、東西ドイツの分裂ソ連の原爆保有中華人民共和国の成立——冷戦が世界規模になった年。
  6. 1950〜53年、朝鮮戦争。アジアにおける最初の熱戦となった。
1949年は転換点NATO・東西ドイツ分裂・ソ連の核保有・中国革命が同じ年に重なります。「1949年に何が起きたか」を問う出題は頻出なので、この4つをセットで覚えてください。
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第2波:雪どけと危機(1953〜62)

  1. 1953年のスターリンの死後、フルシチョフ平和共存路線へ転換。1956年にスターリン批判を行った。
  2. スターリン批判の衝撃でポーランドの反政府運動ハンガリー事件が発生。ソ連は軍事介入して鎮圧した。
  3. 同じ1956年、エジプトのナセルによるスエズ運河国有化からスエズ戦争(第2次中東戦争)が発生。英仏の影響力低下が明らかになった。
  4. 1955年のバンドン会議(アジア=アフリカ会議)第三世界が台頭。平和十原則を採択した。
  5. 1961年、東ドイツがベルリンの壁を建設。
  6. 1962年、キューバ危機核戦争の一歩手前まで進んだが回避され、以後、米ソは直接対話の必要を認識した。
スターリン批判の二面性ソ連国内では緊張緩和を意味しましたが、東欧では「自由化できるのでは」という期待を生み、かえって反乱を招いたのです。ハンガリー事件はその代表例で、ソ連の限界が露呈しました。

キューバ危機の後、ホットラインの設置、部分的核実験禁止条約核拡散防止条約が結ばれ、緊張緩和が進みます。危機が対話を生んだという因果です。

第3波:デタントと新冷戦(1960年代後半〜80年代前半)

  • デタント(緊張緩和)ニクソン訪中(1972年)、米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)、西ドイツブラント東方外交全欧安全保障協力会議
  • 多極化 — フランスのド=ゴールがNATO軍事機構を脱退、中ソ対立、日本と西欧の経済成長。米ソ二極から多極へ
  • ベトナム戦争(〜1975年)— アメリカが撤退し、その威信と経済が傷ついた
  • プラハの春(1968年)— チェコスロヴァキアの自由化をソ連が武力鎮圧。東側の統制の限界を示した
  • 新冷戦ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)とアメリカレーガン政権の強硬路線で緊張が再燃

この時期に重要なのは、米ソ双方が疲弊していったことです。アメリカはベトナム戦争とドル危機(金・ドル交換停止=ニクソン=ショック)で、ソ連は計画経済の停滞と軍事費の重圧で、それぞれ力を落としました。

第4波:終結(1985〜91)

  1. 1985年、ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカ(改革)グラスノスチ(情報公開)を進めた。
  2. 新思考外交により中距離核戦力(INF)全廃条約を締結、アフガニスタンから撤退した。
  3. 1989年、東欧諸国で民主化が連鎖的に進み(東欧革命)、ベルリンの壁が崩壊した。
  4. 同年、マルタ会談でブッシュとゴルバチョフが冷戦の終結を宣言した。
  5. 1990年、東西ドイツが統一
  6. 1991年、ソ連が解体し、独立国家共同体(CIS)が成立した。
終結の原因「なぜ冷戦は終わったか」は論述の定番です。①ソ連の計画経済の行き詰まりと技術革新への立ち遅れ ②軍事費の重圧 ③ゴルバチョフの改革が東欧の統制を緩めたこと ④情報化の進展で体制の実態が隠せなくなったこと——この4点で書くと厚みが出ます。日本世界史塾では、現代史を「体制間の経済競争」という視点で整理します。

冷戦後は、湾岸戦争地域紛争と民族対立の噴出(ユーゴスラヴィア内戦など)、グローバル化同時多発テロと続きます。冷戦という枠が外れたことで、抑えられていた対立が表面化したという因果が問われます。

入試で狙われるポイント総覧

  • 冷戦の開始=トルーマン=ドクトリンとマーシャル=プラン(1947年)
  • 1949年=NATO・東西ドイツ分裂・ソ連核保有・中華人民共和国成立
  • フルシチョフ=平和共存とスターリン批判
  • ハンガリー事件(1956)とプラハの春(1968)はソ連が武力介入
  • キューバ危機(1962)の後に緊張緩和が進む
  • ニクソン訪中(1972)中ソ対立による多極化
  • ゴルバチョフ=ペレストロイカ・グラスノスチ・新思考外交
  • 1989年=ベルリンの壁崩壊・マルタ会談1991年=ソ連解体
共通テストでの出方年代整序で頻出です。「ベルリン封鎖(1948)→ ベルリンの壁建設(1961)→ ベルリンの壁崩壊(1989)」という「ベルリン3点セット」は必ず言えるようにしてください。混同すると失点が連鎖します。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 冷戦の開始を告げたアメリカの2つの政策を答えよ。
A. トルーマン=ドクトリンとマーシャル=プラン
Q2. 西側と東側の軍事同盟をそれぞれ答えよ。
A. NATOとワルシャワ条約機構
Q3. 1956年にスターリン批判を行った人物は。
A. フルシチョフ
Q4. 1962年に核戦争の危機となった事件は。
A. キューバ危機
Q5. ゴルバチョフが進めた改革と情報公開の政策名を答えよ。
A. ペレストロイカとグラスノスチ
Q6. 冷戦の終結が宣言された1989年の会談は。
A. マルタ会談

よくある質問

なぜ「冷たい」戦争と呼ぶのですか?
核兵器の存在により米ソが直接戦火を交えられなかったためです。代わりに代理戦争・軍拡競争・宇宙開発競争・イデオロギー宣伝という形で争われました。
冷戦はいつ始まったとされますか?
1947年のトルーマン=ドクトリンマーシャル=プランを開始とするのが一般的です。ただしヤルタ会談時点ですでに対立の芽はありました。
ハンガリー事件とプラハの春の違いは?
ハンガリー事件(1956年)はスターリン批判後の自由化要求、プラハの春(1968年)はチェコスロヴァキアの「人間の顔をした社会主義」の試みです。いずれもソ連が武力介入して鎮圧しました。
冷戦はなぜ終わったのですか?
ソ連の計画経済の行き詰まり、軍事費の重圧、ゴルバチョフの改革が東欧の統制を緩めたこと、情報化の進展が重なった結果です。軍事的敗北ではなく、体制間の経済競争の帰結でした。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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