冷戦とは?始まりから終結までを一本で理解する

冷戦は、アメリカとソ連が直接戦火を交えないまま約45年間対立した状態です。出来事が多く見えますが、「対立 → 雪どけ → 再燃 → 終結」という4つの波として捉えれば整理できます。共通テストでも国公立論述でも最頻出の単元です。
冷戦とは(定義と対立の構図)
| 西側(アメリカ陣営) | 東側(ソ連陣営) | |
|---|---|---|
| 政治・経済 | 資本主義・議会制民主主義 | 社会主義・共産党一党支配 |
| 経済援助 | マーシャル=プラン(ヨーロッパ復興援助) | コメコン(経済相互援助会議) |
| 軍事同盟 | NATO(北大西洋条約機構) | ワルシャワ条約機構 |
| 情報組織 | — | コミンフォルム(共産党情報局) |
「冷たい戦争」と呼ばれるのは、核兵器の存在により直接戦争ができなかったからです。代わりに、代理戦争・軍拡競争・宇宙開発競争・イデオロギー宣伝という形で争われました。
第1波:冷戦の形成(1945〜53)
- 大戦末期のヤルタ会談で戦後処理が話し合われたが、東欧の扱いをめぐって対立の芽が生じていた。
- ソ連が東欧諸国に社会主義政権を樹立。チャーチルは「鉄のカーテン」演説でこれを批判した。
- 1947年、アメリカがトルーマン=ドクトリン(共産主義封じ込め)とマーシャル=プランを発表。これが冷戦の開始とされる。
- 1948〜49年、ベルリン封鎖。ソ連が西ベルリンへの交通を遮断し、西側は空輸で対抗した。
- 1949年、NATO結成、東西ドイツの分裂、ソ連の原爆保有、中華人民共和国の成立——冷戦が世界規模になった年。
- 1950〜53年、朝鮮戦争。アジアにおける最初の熱戦となった。
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第2波:雪どけと危機(1953〜62)
- 1953年のスターリンの死後、フルシチョフが平和共存路線へ転換。1956年にスターリン批判を行った。
- スターリン批判の衝撃でポーランドの反政府運動とハンガリー事件が発生。ソ連は軍事介入して鎮圧した。
- 同じ1956年、エジプトのナセルによるスエズ運河国有化からスエズ戦争(第2次中東戦争)が発生。英仏の影響力低下が明らかになった。
- 1955年のバンドン会議(アジア=アフリカ会議)で第三世界が台頭。平和十原則を採択した。
- 1961年、東ドイツがベルリンの壁を建設。
- 1962年、キューバ危機。核戦争の一歩手前まで進んだが回避され、以後、米ソは直接対話の必要を認識した。
キューバ危機の後、ホットラインの設置、部分的核実験禁止条約、核拡散防止条約が結ばれ、緊張緩和が進みます。危機が対話を生んだという因果です。
第3波:デタントと新冷戦(1960年代後半〜80年代前半)
- デタント(緊張緩和) — ニクソン訪中(1972年)、米ソ戦略兵器制限交渉(SALT)、西ドイツブラントの東方外交、全欧安全保障協力会議
- 多極化 — フランスのド=ゴールがNATO軍事機構を脱退、中ソ対立、日本と西欧の経済成長。米ソ二極から多極へ
- ベトナム戦争(〜1975年)— アメリカが撤退し、その威信と経済が傷ついた
- プラハの春(1968年)— チェコスロヴァキアの自由化をソ連が武力鎮圧。東側の統制の限界を示した
- 新冷戦 — ソ連のアフガニスタン侵攻(1979年)とアメリカレーガン政権の強硬路線で緊張が再燃
この時期に重要なのは、米ソ双方が疲弊していったことです。アメリカはベトナム戦争とドル危機(金・ドル交換停止=ニクソン=ショック)で、ソ連は計画経済の停滞と軍事費の重圧で、それぞれ力を落としました。
第4波:終結(1985〜91)
- 1985年、ゴルバチョフが登場し、ペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を進めた。
- 新思考外交により中距離核戦力(INF)全廃条約を締結、アフガニスタンから撤退した。
- 1989年、東欧諸国で民主化が連鎖的に進み(東欧革命)、ベルリンの壁が崩壊した。
- 同年、マルタ会談でブッシュとゴルバチョフが冷戦の終結を宣言した。
- 1990年、東西ドイツが統一。
- 1991年、ソ連が解体し、独立国家共同体(CIS)が成立した。
冷戦後は、湾岸戦争、地域紛争と民族対立の噴出(ユーゴスラヴィア内戦など)、グローバル化、同時多発テロと続きます。冷戦という枠が外れたことで、抑えられていた対立が表面化したという因果が問われます。
入試で狙われるポイント総覧
- 冷戦の開始=トルーマン=ドクトリンとマーシャル=プラン(1947年)
- 1949年=NATO・東西ドイツ分裂・ソ連核保有・中華人民共和国成立
- フルシチョフ=平和共存とスターリン批判
- ハンガリー事件(1956)とプラハの春(1968)はソ連が武力介入
- キューバ危機(1962)の後に緊張緩和が進む
- ニクソン訪中(1972)と中ソ対立による多極化
- ゴルバチョフ=ペレストロイカ・グラスノスチ・新思考外交
- 1989年=ベルリンの壁崩壊・マルタ会談、1991年=ソ連解体
- Q1. 冷戦の開始を告げたアメリカの2つの政策を答えよ。
- A. トルーマン=ドクトリンとマーシャル=プラン
- Q2. 西側と東側の軍事同盟をそれぞれ答えよ。
- A. NATOとワルシャワ条約機構
- Q3. 1956年にスターリン批判を行った人物は。
- A. フルシチョフ
- Q4. 1962年に核戦争の危機となった事件は。
- A. キューバ危機
- Q5. ゴルバチョフが進めた改革と情報公開の政策名を答えよ。
- A. ペレストロイカとグラスノスチ
- Q6. 冷戦の終結が宣言された1989年の会談は。
- A. マルタ会談
よくある質問
- なぜ「冷たい」戦争と呼ぶのですか?
- 核兵器の存在により米ソが直接戦火を交えられなかったためです。代わりに代理戦争・軍拡競争・宇宙開発競争・イデオロギー宣伝という形で争われました。
- 冷戦はいつ始まったとされますか?
- 1947年のトルーマン=ドクトリンとマーシャル=プランを開始とするのが一般的です。ただしヤルタ会談時点ですでに対立の芽はありました。
- ハンガリー事件とプラハの春の違いは?
- ハンガリー事件(1956年)はスターリン批判後の自由化要求、プラハの春(1968年)はチェコスロヴァキアの「人間の顔をした社会主義」の試みです。いずれもソ連が武力介入して鎮圧しました。
- 冷戦はなぜ終わったのですか?
- ソ連の計画経済の行き詰まり、軍事費の重圧、ゴルバチョフの改革が東欧の統制を緩めたこと、情報化の進展が重なった結果です。軍事的敗北ではなく、体制間の経済競争の帰結でした。
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