この単元の位置づけ
単元10でイギリスが到達した「議会が王を制約する」形が、この単元で理論として整理され、大西洋を渡って新しい国家の原理になります。そして次の単元(産業革命)と合わさって、19世紀の国民国家が形づくられます。
革命の設計図が、先に書かれた
啓蒙思想と社会契約説
国家は神が定めたものではなく、人々が契約によって作ったものだ——この考え方が革命の理論的な土台になります。ロックは政府が信託に背いたときに人民が抵抗できるとし、モンテスキューは権力を三つに分けて相互に抑制させることを説き、ルソーは主権が人民にあると主張しました。ロックは独立宣言に、ルソーは人権宣言に、それぞれ強く影響しています。誰の思想がどちらに流れ込んだかは頻出です。
課税への抵抗が、独立になった
アメリカ独立革命
七年戦争で財政が悪化したイギリスは、植民地への課税を強化します。
植民地側は本国議会に代表を送っていないことを理由に「代表なくして課税なし」と反発しました。ボストン茶会事件を経て、武力衝突に至ります。
ジェファソンが起草した独立宣言は、ロックの思想を下敷きに、人民が政府を変更する権利を明記しました。
フランスやスペインの参戦もあって独立が承認され、成立した合衆国憲法には人民主権・三権分立・連邦主義が組み込まれます。理論が、実際の国家の設計に使われた最初の例です。
特権を持つ身分が、負担を負っていなかった
フランス革命の構造
旧制度のもとで、聖職者と貴族は免税などの特権を持っていました。負担を担っていたのは、人口の大半を占める第三身分です。
財政難から三部会が招集されると、議決方法をめぐって対立が起きます。第三身分は国民議会を結成し、憲法を制定するまで解散しないと誓いました。バスティーユ襲撃を経て封建的特権が廃止され、人権宣言が採択されます。
財政問題が身分制の矛盾を表面化させた——ここが構造です。
その後、議会は立法議会・国民公会と変わりました。王政が廃止されて共和政となり、ジャコバン派の恐怖政治を経て、テルミドールのクーデタで転換します。
革命を終わらせた男が、革命を輸出した
ナポレオン
クーデタで権力を握ったナポレオンは、法の前の平等と私有財産の不可侵を定めた法典を制定し、皇帝となりました。
トラファルガーの海戦では敗れたものの大陸では勝利を重ね、大陸封鎖令でイギリスを孤立させようとします。しかしロシア遠征の失敗を機に転落しました。
重要なのは結果です。征服によって革命の理念が各地に持ち込まれた一方、支配を受けた側にはナショナリズムが目覚めるという逆の効果も生みました。次の単元の出発点はここにあります。
大西洋を越えて、波及した
ラテンアメリカの独立
アメリカ独立とフランス革命の影響を受け、ラテンアメリカでも独立運動が起こります。ハイチが黒人主体の共和国として独立し、シモン=ボリバルやサン=マルティンの活動によって各地が独立しました。ただし独立後も大土地所有制は残り、社会構造は大きく変わりませんでした。政治的独立と社会の変革は別——この点が論述で問われます。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
国民議会(憲法制定)→ 立法議会 → 国民公会(王政廃止・共和政)→ 総裁政府。どの議会が何を決めたかを入れ替える誤りが頻出です。王政の廃止は国民公会です。
ロック=抵抗権、独立宣言に影響。モンテスキュー=三権分立。ルソー=人民主権、人権宣言に影響。人物と思想の入れ替えが定番です。
トラファルガー=海戦でナポレオンは敗北。アウステルリッツ=陸戦で勝利。勝敗が逆にされます。海か陸かで区別してください。
独立宣言=アメリカ、ジェファソン起草、ロックの影響。人権宣言=フランス、国民主権と所有権の不可侵。どちらの文書に何が書かれているかを取り違えないでください。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
政治史・思想史・史料の三つが重なる、私大で最も出題密度が高い単元のひとつです。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
市民革命について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- アメリカ独立宣言は、ジェファソンによって起草された。
- フランスでは、立法議会が王政の廃止を決定した。
- ナポレオンは、トラファルガーの海戦でイギリス艦隊に敗れた。
- モンテスキューは、権力を三つに分けて相互に抑制させることを説いた。
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なぜ誤りか。王政の廃止と共和政の樹立を決めたのは国民公会です。立法議会ではありません。
この設問の型。フランス革命は議会が4回変わるため、「どの議会が何を決めたか」の入れ替えが最も作りやすい誤りになります。国民議会=人権宣言と憲法、国民公会=王政廃止と処刑、と主要な決定を一つずつ紐づけてください。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
( A )は政府が信託に背いた場合の抵抗権を説き、その思想はアメリカ独立宣言に影響を与えた。フランスでは第三身分が( B )を結成し、のちに人権宣言が採択された。ナポレオンは( C )を発してイギリスを経済的に孤立させようとしたが、失敗に終わった。
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この設問の型。思想・制度・政策が一問に混在する形式です。思想家は「どの文書に影響したか」まで覚えておくと、A のような設問で迷いません。
上位校ではここが深くなる。「人民主権を説いた思想家は」(ルソー)、「恐怖政治を主導した人物は」(ロベスピエール)まで問われます。
フランス革命が勃発した背景について、旧制度における身分と負担の関係に触れながら120字程度で説明せよ。
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旧制度のもとで聖職者と貴族は免税などの特権を持ち、人口の大半を占める第三身分が税負担を担っていた。度重なる戦争と宮廷の浪費で財政が破綻し、特権身分への課税を図って三部会が招集されると、議決方法をめぐる対立から第三身分が国民議会を結成し、革命が始まった。(125字)
採点者が探しているもの。加点の核心は「財政難が身分制の矛盾を表面化させた」という接続です。身分制の説明だけ、あるいは財政難の説明だけでは半分にしかなりません。両者がどうつながったのかを書いてください。
よくある失点。「国民が貧しかったから」で片づけること。革命の直接の引き金は特権身分に課税しようとしたことであり、そこから議決方法の対立に発展しています。
次の史料は、フランス革命期に採択されたある宣言の一部である。これを読み、下の問いに答えよ。
第三条 あらゆる主権の原理は、本質的に国民に存する。いかなる団体も、いかなる個人も、国民から明示的に発しない権威を行使することはできない。
第十七条 所有は、神聖かつ不可侵の権利である。
(訳文は日本世界史塾による)
この史料について述べた文として適切なものを次のア〜エから一つ選べ。
- 第三条には、主権が国王にあるという原理が示されている。
- 第十七条には所有権の不可侵が示されており、有産市民層の利害が反映されている。
- この宣言は、国民公会において王政廃止と同時に採択された。
- 第一条は、社会的な差別を一切認めないことを定めている。
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史料の特定。第三条の「主権は国民に存する」という文言から、これがフランス人権宣言だと分かります。ルソーの人民主権論が反映された条文です。
アが誤り。主権は国民にあると書かれています。史料に書いてあることをそのまま反転させた選択肢で、史料を読まずに知識だけで答えると引っかかります。
ウが誤り。人権宣言を採択したのは国民議会です。王政廃止を決めた国民公会とは別の議会です。
エが誤り。第一条は「共同の利益にもとづくのでなければ」という条件つきで差別を否定しています。「一切認めない」という言い切りは、史料の限定を無視したものです。
イが正しい理由。第十七条が所有権を神聖不可侵としている点は、この宣言の性格を示す最重要ポイントです。革命を主導したのが有産市民層であり、彼らの財産を保障する内容になっている——ここに気づけるかどうかが、史料問題の勝負どころです。
この設問の型。早稲田の政治経済学部では史料問題が毎年出ます。ポイントは「史料に書いてあること」と「知識」を分けて処理することです。アとエは史料を丁寧に読めば切れます。ウは知識で切ります。まず史料本文だけで判定できる選択肢を処理し、残りを知識で詰める——この順序で解いてください。
対策。史料の文面を暗記する必要はありません。しかし独立宣言や人権宣言のように頻出の史料は一度通読しておくと、選択肢が史料に忠実かどうかを判断できるようになります。とくに人権宣言は第一条(自由と平等)・第三条(国民主権)・第十七条(所有権)の3つを押さえておけば十分です。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- 国民公会が王政の廃止を決定した。
- バスティーユ牢獄が襲撃された。
- ナポレオンが皇帝に即位した。
- テルミドールのクーデタによりロベスピエールが失脚した。
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並べ方の筋道。年号を暗記していなくても、議会の変遷を軸にすれば確定します。②バスティーユ襲撃は革命の始まりで、国民議会の時期。①王政廃止は国民公会の決定。④テルミドールのクーデタは、その国民公会の下での恐怖政治を終わらせた出来事。③ナポレオンの即位は、総裁政府を倒したあとの話です。国民議会 → 立法議会 → 国民公会 → 総裁政府 → ナポレオンという一本の線に、出来事を載せるだけで並びます。
この設問の型。フランス革命は議会が4回変わるため、年代整序の格好の材料です。個々の年号ではなく、どの議会の時期の出来事かで分類する——単元04の中国史(どの王朝の段階か)とまったく同じ考え方です。
よくある失点。①と④の前後を逆にすること。恐怖政治は王政廃止より後に起きています。「王を処刑した勢いのまま恐怖政治へ」という流れで覚えてください。
早稲田では年代整序が頻出です。とくに教育学部・社会科学部で出題されます。年号の丸暗記に走る前に、時期を区切る枠組みを持ってください。
フランス革命がヨーロッパ諸国に与えた影響について、240字程度で説明せよ。
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革命は身分制を廃し、主権が国民に属するという原理を掲げたため、周辺の君主国は自国への波及を恐れて干渉戦争を起こした。しかし戦争はかえって革命側の国民意識を高め、徴兵によって国民が戦う軍隊を生んだ。続くナポレオンの征服は、法の前の平等や封建的特権の廃止といった革命の理念を各地に持ち込む一方、支配された側には民族意識を目覚めさせた。戦後、列強は正統主義にもとづく秩序の回復を図ったが、いったん広まった自由主義と民族主義は各地で運動となり、その体制を内側から崩していった。
枠組みの作り方。明治政経の論述には指定語句がありません。設問文の「影響」という語から、自分で3点を立てます。①理念そのものの衝撃(干渉戦争)②ナポレオンによる拡散と反作用(民族意識)③戦後秩序への影響(ウィーン体制の動揺)。書き出す前にこの3点をメモしてください。
採点者が探しているもの。核心は「持ち込んだものと、目覚めさせたものが違う」という二面性です。ナポレオンは革命の理念を運びましたが、同時に支配への反発から民族意識を生みました。この意図せざる結果を書けるかどうかが上位答案の条件になります。
よくある失点。革命の経過(三部会からテルミドールまで)を書いてしまうこと。設問はヨーロッパ諸国への影響を聞いています。フランス国内の出来事は前提であって答えではありません。設問文の語を答案で受ける——これを毎回確認してください。
この単元が狙われる理由。明治政経・経営は政治外交史が出題分野で、近世以降からの出題が多いとされます。フランス革命とその波及は、その条件に完全に合致します。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。史料は歴史上の公表文書であり、訳文は当塾が作成したものです。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
通史を順番に読む
産業革命はイギリスで先に起きました。議会が王権を抑えた体制のもとで私有財産と契約が保護されたことが土台になります。政治の変化と経済の変化がかみ合った点を押さえてください。
史料は、読めば切れる選択肢から。
知識で解こうとして、書いてあることを見落とす答案が非常に多い。
体験授業では、実際に解いていただいた答案をその場で診断します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。