この単元の位置づけ
単元09で確立した主権国家体制を、実際に運営する形が絶対王政です。そしてこの単元でイギリスが到達した「議会が王を制約する」という形が、次の単元(市民革命)でフランスやアメリカへ波及していきます。
王が国家を一手に握る仕組み
絶対王政の中身
絶対王政を支えたのは、王直属の常備軍と官僚制という二つの装置です。どちらも維持に莫大な費用がかかるため、財源として重商主義が採られました。国の富を貴金属の量ではかり、輸出を伸ばし輸入を抑え、特許会社に独占権を与えて貿易を管理します。理論面では、王の権力は神から与えられたものだとする王権神授説が唱えられました。軍・官僚・財源・理論——この4点セットが絶対王政の骨格です。
銀を持っていた国が、先に沈んだ
スペインとオランダ
フェリペ2世のスペインは、新大陸の銀とポルトガル併合によって「太陽の沈まぬ国」と呼ばれました。しかし銀に頼って国内の産業が育たず、宗教的な不寛容からネーデルラントの独立を招き、無敵艦隊の敗北を経て衰退します。逆に独立したオランダは、東インド会社を設立し、アムステルダムが国際金融の中心となりました。資源を持つことと、豊かであり続けることは別——この対比は論述で使えます。
フランスは、王が握りきった
ルイ14世
アンリ4世がナントの王令で宗教内乱を収め、リシュリューが王権を強化し、ルイ14世の親政で絶対王政は頂点に達します。コルベールが重商主義政策を進め、ヴェルサイユ宮殿が権威を可視化しました。しかし度重なる侵略戦争で財政は悪化し、さらにナントの王令を廃止したことで商工業を担っていたユグノーが国外へ流出し、経済的な体力を損ないます。強さの絶頂に、次の危機の種が含まれていました。
イギリスは、議会が握り返した
二つの革命
ジェームズ1世とチャールズ1世が王権神授説を掲げて専制を行うと、議会は権利の請願で対抗しました。
対立は内戦に発展します。クロムウェルの指導でピューリタン革命が起こり、共和政が成立しました。しかしクロムウェルの統治も独裁的で、その死後に王政が復古します。
復古した王がカトリック化を進めると、議会は無血で王を交代させ、権利の章典によって議会の優位を確定させました(名誉革命)。ここに立憲王政が成立し、のちに責任内閣制が慣行として定着します。
フランスが王に集中させた同じ時期に、イギリスは議会に移した——この対比が、この単元の核心です。
東欧は、逆方向へ動いた
再版農奴制と啓蒙専制君主
西欧で商工業が発展し農奴制が解体していったのに対し、エルベ川以東では正反対のことが起きます。西欧向けに穀物を輸出するため、領主が直営地を拡大して農民をより強く土地に縛りつけました(農場領主制=再版農奴制)。
プロイセンのフリードリヒ2世、オーストリアのヨーゼフ2世、ロシアのエカチェリーナ2世らは、啓蒙思想を掲げつつ上からの改革を進めます。しかし農奴制という土台には手をつけられませんでした。
同じ時期に、西と東が正反対に動いた——この非対称は頻出テーマです。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
ピューリタン革命=内戦を経て共和政、クロムウェル。名誉革命=流血なく王が交代し、権利の章典で議会が優位に。「名誉革命で共和政が成立した」は誤りです。
発布はアンリ4世、宗教内乱の収拾。廃止はルイ14世で、ユグノーの国外流出を招いた。人物と方向が入れ替えられます。
同じ時期に西欧では農奴制が解体し、東欧では強化されました。「近世のヨーロッパでは一様に農奴が解放された」は誤り。理由(西欧向け穀物輸出)まで押さえてください。
プロイセン=フリードリヒ2世、オーストリア=マリア=テレジアとヨーゼフ2世、ロシア=エカチェリーナ2世。国と人物の入れ替えが定番です。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
政治史・外交史の色が濃い単元です。とくに法学部・政治経済学部で重い扱いを受けます。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
近世ヨーロッパについて述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- ルイ14世は、ナントの王令を廃止した。
- 名誉革命の結果、権利の章典が定められた。
- エルベ川以東では、近世を通じて農奴制が解体に向かった。
- 重商主義のもとで、特許会社に貿易の独占権が与えられた。
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なぜ誤りか。エルベ川以東では農奴制はむしろ強化されました(再版農奴制)。西欧向けに穀物を輸出するため、領主が直営地を広げて農民を土地に縛りつけたためです。西欧の動きをそのまま東欧にも当てはめた誤りです。
この設問の型。一方の地域で起きたことを、全域に広げる型です。「ヨーロッパでは」「一様に」といった表現が出たら、西と東で違わないかを疑ってください。近世のヨーロッパは非対称に動いているのが原則です。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
絶対王政は、王直属の常備軍と( A )を基盤とし、その費用をまかなうために( B )政策が採られた。イギリスでは名誉革命の結果、議会の優位を定める( C )が制定された。
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この設問の型。制度の構成要素を問う形式です。絶対王政は「常備軍・官僚制・重商主義・王権神授説」の4点セットで覚えておくと、どれが空欄でも埋まります。
上位校ではここが深くなる。「ルイ14世の財務総監は誰か」(コルベール)、「権利の請願はどの王に対して提出されたか」(チャールズ1世)まで問われます。
近世において、西ヨーロッパと東ヨーロッパの農村社会が正反対の方向へ変化した理由を、120字程度で説明せよ。
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西ヨーロッパでは商工業と貨幣経済が発展し、領主が賦役より貨幣地代を求めたため農奴制は解体に向かった。一方、東ヨーロッパでは西欧向けの穀物輸出が拡大したため、領主が直営地を広げて農民を土地に縛りつけ、農場領主制のもとで農奴制がかえって強化された。(122字)
採点者が探しているもの。加点の核心は「西欧向けの穀物輸出」という接続です。東欧が単独で逆行したのではなく、西欧の発展が東欧の農奴制を強化したという因果を書けているかが分かれ目になります。
よくある失点。西と東を並べて書くだけで、両者がつながっていることを示さない答案。「正反対の方向へ変化した理由」を問われているので、一つの市場でつながっていた点に触れてください。
17世紀のイギリスにおいて、国王と議会の関係がどのように変化したかを250字程度で説明せよ。その際、次の4つの語句を必ず用い、用いた箇所に下線を引くこと。
王権神授説 / 権利の請願 / ピューリタン革命 / 権利の章典
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ステュアート朝の国王は王権神授説を掲げて議会を軽視し、議会の同意なき課税を行った。これに対し議会は権利の請願を提出して抵抗したが、国王は議会を解散して専制を続けた。対立は内戦に発展し、ピューリタン革命によって国王は処刑され共和政が成立する。しかし革命後の統治も独裁的となり、王政が復古した。復古した国王がカトリック政策を進めると、議会は流血を伴わずに国王を交代させ、権利の章典を定めて議会の同意なしに立法や課税を行えないことを確認した。こうして主権は国王から議会へ移り、立憲王政が確立した。
この設問の型。早稲田法学部で例年出される語句指定つき250〜300字の論述です。単元07で扱った形式と同じですが、法学部は主題が政治外交に寄り、近世・近現代からの出題が多いという違いがあります。この単元はその中心にあたります。
指定語句が示す構成。4語がそのまま時系列になっています。王権神授説(対立の前提)→ 権利の請願(議会の抵抗)→ ピューリタン革命(武力衝突)→ 権利の章典(決着)。語句を並べた時点で骨格は完成しています。あとは各語句に60字前後を割り当てるだけです。
採点者が探しているもの。主題は「関係の変化」なので、始点と終点の逆転——王が議会を軽視する状態から、議会の同意なしに王が動けない状態へ——を明示してください。個々の事件を正しく説明していても、この一文がない答案は伸びません。
よくある失点。王政復古を書き落とすこと。指定語句にないので飛ばしがちですが、ピューリタン革命と名誉革命の間に一度王政に戻っていることを書かないと、なぜもう一度革命が必要だったのか説明できません。指定語句にない出来事こそ、答案の質を分けます。
時間配分。法学部は大問5題を60分で処理します。記号選択の大問1〜4は教科書レベルが中心なので、ここを速く確実に片づけ、論述に15分以上を残すのが基本戦略です。論述は構成を決めてから書き出せば、書き直しの時間が消えます。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- 権利の請願が議会から国王に提出された。
- 名誉革命の結果、権利の章典が定められた。
- ナントの王令が廃止された。
- クロムウェルの指導のもとで共和政が成立した。
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並べ方の筋道。イギリス(①④②)とフランス(③)が混ざっている点がこの設問の要点です。イギリス側は権利の請願 → 内戦と共和政 → 王政復古 → 名誉革命という順序で確定します。問題は③をどこに挟むかです。
③の位置の決め方。ナントの王令を廃止したのはルイ14世で、その親政期はイギリスの王政復古の時期と重なります。つまり④共和政の後、②名誉革命の前。「フランスで王が権力を握りきっていたのと同じ頃、イギリスでは議会が握り返しつつあった」——この対比が、この単元の軸そのものです。
地域横断の整序への対処。複数国が混ざる整序では、まず国ごとに順序を確定し、次に接点となる人物や時期で接続するのが確実です。ここではルイ14世とチャールズ2世が同時代人であることが接続点になります。
早稲田は地域横断を好みます。国ごとに別々の年表を作って終わりにせず、同じ時期に他国で何が起きていたかを横に並べておいてください。単元14の帝国主義でも同じ形式が出ます。
17世紀のヨーロッパにおいて、主権国家体制が成立していく過程を240字程度で説明せよ。
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宗教改革以降、宗派の対立は各国の利害と結びつき、ドイツを舞台とする三十年戦争は国際戦争へ変質した。終結時のウェストファリア条約では、神聖ローマ帝国内の領邦にほぼ完全な主権が認められ、帝国は有名無実化した。あわせてスイスとオランダの独立が承認され、カルヴァン派も公認される。これにより、教皇や皇帝という普遍的権威が各国の上位に立つ構造は失われた。以後のヨーロッパは、互いに上位者を持たない主権国家が並び立ち、勢力均衡によって秩序を保つ体制へ移行した。
早稲田の論述との決定的な違い。明治大学政治経済学部の論述には、指定語句がありません。早稲田では指定語句が答案の骨格を与えてくれますが、明治では何を書くかを自分で決める必要があります。「覚えたことをそのまま出すだけでは書けない」と言われるのはこのためです。
枠組みの作り方。指定語句がないときは、設問文から要素を自分で3つ立てます。この設問なら「成立していく過程」なので、①きっかけ(三十年戦争)②決定的な取り決め(ウェストファリア条約の内容)③その結果どういう体制になったか(勢力均衡)。書き出す前にこの3点をメモする——それだけで答案が崩れなくなります。
採点者が探しているもの。この設問の核心は「普遍的権威が消えた」という一点です。条約の内容を列挙しても、それが何を意味したのかを書かなければ「過程」の説明になりません。教皇・皇帝という上位者がいなくなったからこそ、対等な国家が並び立つ体制が生まれた——ここを一文で示してください。
字数と時間。明治政経は60分で語句記述・選択・論述をこなします。240字の論述に使えるのは実質15分程度です。要素を3つメモする作業に2分、書くのに10分、見直し3分という配分を練習で固めておいてください。
この単元が狙われる理由。明治政経・経営は政治外交史が出題分野で、近世以降からの出題が多いとされます。主権国家体制の成立はその条件に完全に合致するため、優先度の高いテーマです。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
通史を順番に読む
市民革命は、絶対王政が築いた国家の枠組みはそのままに、主権の所在だけを王から国民へ移す動きです。壊したものと残したものを分けて読むと、混乱しません。
指定語句にない出来事が、
答案の質を分けます。
王政復古を書けるかどうか。その差は自分では気づけません。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。