この単元の位置づけ
単元07(中世ヨーロッパ)の末尾で、教皇権が失墜し王権が伸びはじめました。その延長線上に、この単元の主権国家体制があります。そして次の単元(絶対王政)は、ここで確立した主権国家が最も強力に運営された形です。
人間そのものを見はじめた
ルネサンス
東方貿易で富を蓄えたイタリアの都市、とりわけメディチ家のフィレンツェが舞台になりました。古代ギリシア・ローマの文化を手がかりとして、人間性を再評価する動きが起こります。
ダンテやペトラルカ、マキァヴェリ、そしてレオナルド・ミケランジェロ・ラファエロらが活躍しました。北方ではエラスムスやトマス=モアが、教会や社会を批判的に描いています。
技術面では火薬・羅針盤・活版印刷が改良されました。とりわけ活版印刷は、思想が短期間で広範囲に伝わることを可能にします。宗教改革が急速に広がった前提は、ここにあります。
アジアへ行こうとして、世界がつながった
大航海時代
オスマン帝国の進出で東方貿易の負担が増すなか、二つの条件が重なります。香辛料を直接手に入れたいという動機と、羅針盤・造船技術の向上です。
ポルトガルはエンリケ航海王子の事業を起点に、バルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達し、ヴァスコ=ダ=ガマがインド航路を開きました。
スペインはコロンブスを支援して大西洋を西へ向かわせ、マゼランの一行が世界周航を成し遂げます。
アメリカ大陸ではコルテスがアステカを、ピサロがインカを滅ぼし、ポトシなどの銀山が開発されました。
銀が、封建領主を没落させた
商業革命と価格革命
この単元で最も重要な因果です。
まず商業革命——貿易の主役が地中海から大西洋岸に移り、経済の中心が北西ヨーロッパへ移動しました。
次に価格革命——アメリカ大陸から大量の銀が流入し、物価が持続的に上昇します。
ここで決定的だったのは、封建領主の収入が固定額の地代だったことです。物価が上がっても収入は増えません。実質的な収入が目減りし、領主層は没落しました。逆に、商品を売る商工業者や、生産物を市場に出せる農民は有利になります。
大航海が中世の身分秩序を内側から崩したのは、この経路によるものです。
信仰が、国家に取り込まれた
宗教改革
ルターは贖宥状を批判し、信仰によってのみ義とされること、聖書のみが権威であることを説きました。活版印刷によって、主張は急速に広まります。
ドイツではアウクスブルクの和議によって、諸侯がルター派かカトリックかを選ぶことが認められました。ここで注意すべきは、これが個人の信仰の自由ではないという点です。
カルヴァンは予定説を説きました。職業を神の召命とみなす考え方は、商工業者に受け入れられます。
イギリスでは国王が教会の首長となり、教会が国家の内側に置かれました。
カトリック側も手をこまねいてはいません。トリエント公会議とイエズス会の活動で立て直しを図りました。
宗教戦争の果てに、国家の形が決まった
ウェストファリア条約
ドイツを舞台とする三十年戦争は、宗教戦争として始まりながら、各国の利害が絡む国際戦争へ変質しました。
終結したウェストファリア条約では、領邦にほぼ完全な主権が認められて神聖ローマ帝国は有名無実化します。あわせてスイスとオランダの独立が承認され、カルヴァン派も公認されました。
互いに上位者を持たない主権国家が並び立ち、勢力均衡で秩序を保つ——この体制がここで確立します。教皇や皇帝という普遍的権威の時代が、正式に終わりました。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
商業革命=貿易の主役と経済の中心が地中海から大西洋岸へ移ったこと。価格革命=銀の流入による物価の持続的上昇。定義の入れ替えが頻出です。「商業革命により物価が上昇した」は誤り。
アウクスブルク=諸侯がルター派かカトリックかを選択(個人の自由ではない、カルヴァン派は対象外)。ウェストファリア=カルヴァン派も公認。「アウクスブルクでカルヴァン派が認められた」は誤りです。
ルター=信仰義認説・聖書中心主義、ドイツ語訳聖書。カルヴァン=予定説、職業召命観、商工業者に受容。人物と教説の入れ替えが定番です。
ディアス=喜望峰に到達。ヴァスコ=ダ=ガマ=インド航路を開いた。到達点が入れ替えられます。コロンブス(大西洋を西へ)、マゼラン(世界周航)も同様に整理してください。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
この単元は経済史の色が濃く、学部の性格がそのまま出題に出ます。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
大航海時代と宗教改革について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- バルトロメウ=ディアスは、アフリカ南端の喜望峰に到達した。
- アメリカ大陸から流入した銀により、ヨーロッパで物価が持続的に上昇した。
- アウクスブルクの和議により、個人が信仰を自由に選べるようになった。
- カルヴァンは予定説を説き、その教えは商工業者に受け入れられた。
解答と解説を見る
なぜ誤りか。アウクスブルクの和議で認められたのは諸侯がルター派かカトリックかを選ぶ権利であり、個人の信仰の自由ではありません。またカルヴァン派は対象外でした。
この設問の型。権利の主体をすり替える型です。「諸侯」を「個人」に置き換えるだけで誤りが成立します。条約や和議を覚えるときは、誰に、何が認められたのかを必ずセットにしてください。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
大航海時代を経て、貿易の中心が地中海から大西洋岸へ移ったことを( A )という。また、アメリカ大陸産の銀が流入したことで物価が上昇した現象を( B )という。三十年戦争を終結させた( C )条約では、領邦に主権が認められ、神聖ローマ帝国は有名無実化した。
解答と解説を見る
この設問の型。AとBは必ずセットで問われ、必ず入れ替えられます。「商業=場所が変わった/価格=値段が変わった」と、語のとおりに覚えるのが最も確実です。
上位校ではここが深くなる。「ポルトガル・スペインの勢力範囲を定めた条約は」(トルデシリャス条約)、「インカ帝国を滅ぼした人物は」(ピサロ)まで問われます。
価格革命がヨーロッパの封建社会に与えた影響について、封建領主の収入構造に触れながら120字程度で説明せよ。
解答例と解説を見る
アメリカ大陸産の銀が大量に流入して物価が持続的に上昇した。封建領主の収入は固定額の地代であったため、物価上昇に応じて増えず、実質的な収入が目減りして領主層は没落した。一方、商品を市場で販売する商工業者や農民は利益を得て、封建的な身分秩序は動揺した。(124字)
採点者が探しているもの。加点の核心は「地代が固定額だった」という一点です。ここを書かないと、なぜ物価上昇が領主だけを直撃したのかが説明できません。物価上昇と領主没落の間には、この一段が必ず必要です。
よくある失点。「インフレが起きて経済が混乱した」で終わること。設問は封建社会への影響を聞いているので、身分秩序が動揺したところまで届かせてください。
次の文章を読み、設問1・2に答えよ。
16世紀以降、アメリカ大陸で産出された大量の銀がヨーロッパへもたらされ、物価の持続的な上昇を引き起こした。この銀はヨーロッパにとどまらず、アジアへも流出した。一方、貿易の中心は地中海から大西洋岸へと移り、( A )と呼ばれる変化が生じた。こうした経済の再編は、( B )を終結させたウェストファリア条約によって主権国家体制が確立していく時代の土台となった。
設問1 空欄( A )( B )に入る最も適切な語句を記せ。
設問2 下線部「アジアへも流出した」に関連して、この時期のアジアにおける銀の流通について述べた文として適切なものを次のア〜エから一つ選べ。
- 明では、諸税と徭役を銀で一括納入する一条鞭法が行われた。
- 清では、銀の不足により、税の納入が現物に戻された。
- 日本の銀は産出量が乏しく、東アジアの銀流通には関与しなかった。
- アジアでは銀が用いられず、もっぱら金貨が流通していた。
解答と解説を見る
設問2の検討。アが正しい。明では一条鞭法によって諸税と徭役が銀で一括納入されるようになりました。銀の流入がアジアの税制まで変えたことを示す典型例です。
イは誤り。清では地丁銀が行われ、銀納はむしろ定着しました。
ウは誤り。日本の銀は当時の東アジアの銀流通で大きな役割を果たしています。
エは誤り。銀こそがこの時代の国際的な決済手段でした。
この設問の型。早稲田の文学部・文化構想学部や商学部で使われる、文章に空欄と下線部を仕込み、複数の設問をぶら下げる形式です。文章自体が答えのヒントになっているので、空欄を埋めてから下線部設問に進むのが正しい順序になります。
この単元で差がつく理由。設問2はヨーロッパ史とアジア史をまたいでいます。銀の流れという一本の線で世界が接続された時代なので、出題者は必ずここを横断させてきます。「価格革命=ヨーロッパの話」で止めず、その銀がどこへ行ったかまで追ってください。一条鞭法・地丁銀は、この文脈で覚えると忘れません。
商学部志望者へ。学部の性質上、経済分野の出題があります。この単元は直撃分野なので、貿易構造の変化・物価・税制という経済の観点で整理し直しておくと得点源になります。
大航海時代から主権国家体制の成立までについて述べた次の①〜⑤のうち、誤っているものを二つ選べ。
- バルトロメウ=ディアスは、インド航路を開拓してカリカットに到達した。
- ルターは、聖書のみを信仰の権威とする立場を説いた。
- ウェストファリア条約により、スイスとオランダの独立が国際的に承認された。
- 価格革命により、固定額の地代に依存していた封建領主の実質的な収入は増加した。
- トルデシリャス条約は、ポルトガルとスペインの勢力範囲を定めたものである。
解答と解説を見る
①が誤り。喜望峰に到達したのがディアス、インド航路を開いてカリカットに到達したのがヴァスコ=ダ=ガマです。人物と到達点が入れ替えられています。
④が誤り。物価が上がっても地代は固定額のままだったため、領主の実質的な収入は減少しました。だからこそ領主層は没落したのです。結論を反転させる典型的な作り方で、しかも一見もっともらしく読めます。
この設問の型。「誤りを二つ」は、一つ見つけた時点で読むのをやめると落とします。五つすべてを最後まで判定するのが鉄則です(単元03と同じ)。
④に気づけるかが分かれ目。①は人名の入れ替えなので比較的気づきやすいのですが、④は因果の向きを逆にする型で難度が上がります。この単元の核心である「なぜ領主が没落したのか」を理解していないと、文章の流れに引きずられて正しいと判断してしまいます。用語を覚えているだけでは足りず、方向まで押さえる必要があります。
商学部志望者へ。経済史はほぼ毎年出題されます。価格革命は「銀が入って物価が上がった」で止めず、誰が得をして誰が損をしたかまで言えるようにしてください。
価格革命とは何か。ヨーロッパ社会に与えた影響にも触れながら、3行程度(100字前後)で説明せよ。
解答例と解説を見る
アメリカ大陸産の銀が大量に流入したことでヨーロッパの物価が持続的に上昇した現象。固定額の地代に依存していた封建領主は実質収入が目減りして没落し、商工業者や市場向けに生産する農民が有利になった。
この設問の型。明治大学商学部は大問5題で、大問Ⅰ・Ⅱが語句記述とマークの併用、Ⅲ・Ⅳが全てマーク、そして最後の大問Ⅴが短めの論述という構成です。分量は3行程度で、歴史事象を説明させるタイプが出ます。
早稲田・明治政経との違い。早稲田の250〜300字や明治政経の240字とは要求が違います。3行では因果を長く展開できません。「これは何か」を一文で定義し、「その結果どうなったか」を一〜二文で足す——この型で書きます。
採点者が探しているもの。設問が「価格革命とは何か」と「影響」の二つを求めているので、答案も二部構成にします。定義(銀の流入による持続的な物価上昇)と影響(領主の没落と商工業者の台頭)。どちらか一方だけでは半分にしかなりません。
字数を削る技術。「ポトシ銀山」「ラティフンディア」といった固有名詞を入れたくなりますが、3行では入りません。固有名詞より、誰が損をして誰が得をしたかの構造を優先してください。短い論述ほど、この判断が得点を分けます。
この単元が狙われる理由。明治商学部は経済史や政治史などのテーマ史からの出題が多く、欧米史の比重も大きいとされます。価格革命と商業革命は、その条件に完全に合致するテーマです。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
通史を順番に読む
絶対王政は、大航海時代に流れ込んだ富と、宗教改革以降の宗派対立を背景に成立します。常備軍と官僚制を養う財源がどこから来たのかを、この単元とつなげて読んでください。
「銀がどこへ行ったか」を
追えているか。
ヨーロッパで止まる答案と、アジアまで届く答案では点が変わります。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。