宗教改革とは?ルターとカルヴァン、そして国家との関係

宗教改革は1517年のルターの問題提起から始まった、カトリック教会を根本から揺さぶった運動です。入試で決定的なのは、「なぜ諸侯や国王がこれを支持したのか」という政治的・経済的な動機と、ルター派とカルヴァン派の違いです。信仰の話としてだけ読むと、論述で必ず失点します。
宗教改革とは(きっかけと主張)
直接のきっかけは、教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂の改築費を集めるため、ドイツで贖宥状を大量に販売したことです。ドイツは統一国家がなく教皇の影響力が強かったため、「ローマの牝牛」と呼ばれるほど収奪されていました。
- 信仰義認説 — 人は善行や贖宥状ではなく、信仰によってのみ救われる
- 聖書中心主義 — 信仰の基準は教会の権威ではなく聖書のみ
- 万人司祭主義 — すべての信者は等しく司祭であり、聖職者身分の特権を否定する
なぜ諸侯・国王が支持したのか — 政治的動機
宗教改革が単なる神学論争で終わらなかったのは、世俗権力にとって都合がよかったからです。ここが入試の核心です。
- 教会領を没収できる — 教会は各地に広大な領地を持っていた。改革を支持すれば、それを自らのものにできる。
- 教皇への上納金が止まる — 国外へ流出していた富が国内に残る。
- 皇帝からの自立 — 神聖ローマ皇帝カール5世はカトリックの擁護者だった。諸侯にとってルター支持は皇帝への対抗手段になった。
- 国王が教会の首長になれる — イギリスのように、国家が教会を支配下に置ける。
一方、農民たちはルターの「万人司祭主義」を身分制度の否定と受け取り、ドイツ農民戦争(1524〜25年、ミュンツァー指導)を起こしました。しかしルターはこれを厳しく批判し、諸侯による鎮圧を支持します。
結果、アウクスブルクの和議(1555年)で領主がカトリックかルター派かを選ぶ権利が認められました。個人の信仰の自由ではなく、領主の選択権である点、またこの時点でカルヴァン派は公認されていない点が頻出の注意事項です。
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カルヴァンと、その広がり
スイスのジュネーヴで改革を行ったカルヴァンは、ルターより徹底した立場をとりました。
| ルター派 | カルヴァン派 | |
|---|---|---|
| 救済観 | 信仰義認説 | 予定説(救われる者はあらかじめ神が決めている) |
| 職業観 | 職業は神から与えられた務め | 職業労働に励み蓄財することは神の意志にかなう |
| 支持層 | 諸侯・領主 | 商工業者・市民 |
| 教会組織 | 領主の権威を認める | 長老主義(信者の代表が教会を運営) |
| 広がった地域 | ドイツ北部、北欧 | スイス・オランダ(ゴイセン)・フランス(ユグノー)・イギリス(ピューリタン)・スコットランド(プレスビテリアン) |
予定説は一見すると救いのない教えに見えますが、「自分は救われる側だ」と確信するために禁欲的に働き成果を上げるという行動を生みました。この倫理が資本主義の精神を育てたという議論(マックス=ヴェーバー)は、論述で触れると評価されます。
イギリス国教会と対抗宗教改革
イギリス国教会 — 上からの改革
イギリスの改革は、信仰の内発的な運動ではなく国王の都合から始まりました。ヘンリ8世が離婚を教皇に認められなかったため、首長法(国王至上法)(1534年)で自ら教会の首長となったのです。
- ヘンリ8世 — 首長法、修道院の解散と土地没収
- エドワード6世 — 一般祈祷書を制定し教義面でもプロテスタント化
- メアリ1世 — カトリックへ復帰し、プロテスタントを弾圧(「血まみれのメアリ」)
- エリザベス1世 — 統一法(1559年)でイギリス国教会を確立
国教会は教義はプロテスタント、儀式はカトリック的という折衷的な性格を持ちます。これに不満を持つ人々がピューリタンで、のちのピューリタン革命やアメリカへの移住につながります。
対抗宗教改革 — カトリック側の反撃
- トリエント公会議(1545〜63年)— 教皇の至上権とカトリック教義を再確認し、聖職者の規律を正した。禁書目録も定められた
- イエズス会(イグナティウス=ロヨラが創設、フランシスコ=ザビエルら)— 海外布教に力を注ぎ、アジア・アメリカへ展開した
- 魔女狩りの激化 — 宗教的緊張の高まりを背景に、カトリック・プロテスタント双方の地域で起きた
イエズス会の海外布教は、大航海時代の進出と一体でした。ザビエルの日本来訪(1549年)もこの流れの中にあります。宗教改革がヨーロッパの外へ波及した例として押さえてください。
宗教戦争と、その帰結
- ユグノー戦争(フランス、1562〜98)— サンバルテルミの虐殺を経て、アンリ4世がナントの王令(1598年)でユグノーに信仰の自由を認め終結。のちルイ14世が廃止し、商工業者が国外へ流出して経済を痛めた。
- オランダ独立戦争(1568〜1609)— スペインのカトリック強制に対し、カルヴァン派のゴイセンが抵抗。北部7州がユトレヒト同盟を結び独立へ。
- 三十年戦争(1618〜48)— ベーメンの新教徒の反乱から始まり、カトリック国フランスが新教側で参戦したことで宗教戦争から国家間の勢力争いへ変質した。
- ウェストファリア条約(1648年)— カルヴァン派の公認、スイスとオランダの独立承認、ドイツ諸領邦の主権承認。主権国家体制が成立した。
- Q1. ルターが1517年に批判した、教会が販売していたものは。
- A. 贖宥状(免罪符)
- Q2. ルターの3つの主張を答えよ。
- A. 信仰義認説・聖書中心主義・万人司祭主義
- Q3. 1555年の和議で宗派の選択権を認められたのは誰か。
- A. 領主(諸侯)
- Q4. カルヴァンが説いた救済に関する教えは。
- A. 予定説
- Q5. フランスとオランダにおけるカルヴァン派の呼称を答えよ。
- A. ユグノーとゴイセン
- Q6. イギリス国教会を確立した法と国王は。
- A. 統一法、エリザベス1世
よくある質問
- 宗教改革はなぜドイツから始まったのですか?
- 統一国家がなく教皇の影響力が強かったため収奪が激しく、「ローマの牝牛」と呼ばれる状態だったからです。諸侯にとっても、皇帝や教皇から自立する好機でした。
- ルターは農民の味方だったのですか?
- 違います。ドイツ農民戦争を厳しく批判し、諸侯による鎮圧を支持しました。これにより宗教改革は社会革命ではなく、諸侯主導の政治運動という性格を強めます。
- アウクスブルクの和議で信仰の自由は認められましたか?
- 認められたのは領主が宗派を選ぶ権利であり、個人の信仰の自由ではありません。またこの時点ではカルヴァン派は公認されていません(公認はウェストファリア条約)。
- カルヴァン派はなぜ商工業者に広がったのですか?
- 職業労働に励み蓄財することを神の意志にかなうと位置づけたためです。禁欲的に働く倫理が商工業者の生き方と合致しました。
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