アフリカ分割とは?地図の上で国境が引かれた20年

地図と条約文書を囲んで話し合う19世紀ヨーロッパの外交官の色鉛筆イラスト
19世紀ヨーロッパの会議外交(AI制作・色鉛筆画)。歴史的背景をもとにしたイメージで、特定の人物・現場の再現ではありません。
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アフリカ分割の異常さは、「現地に行ったことのない人々が、ヨーロッパの会議室で地図に線を引いた」点にあります。ベルリン会議で決められたルールは「早い者勝ち」——実効支配した国が領有を主張できる。この一点が20年間の争奪戦を引き起こし、民族の分布を無視した国境が、現在まで紛争の一因となっています。

なぜ19世紀後半だったのか

一言でいうと19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパ列強がアフリカ大陸をほぼ全域にわたって分割・領有した動き。ベルリン会議(1884〜85年)で分割の原則が定められた。
  1. それ以前、ヨーロッパのアフリカ進出は沿岸部の交易拠点にとどまっていた。内陸は気候と病気のため進出が困難だった。
  2. キニーネによるマラリア対策、蒸気船、連発銃などにより、内陸への進出が可能になった。
  3. 第2次産業革命により、石油・ゴム・銅などの新しい原料が必要になった。
  4. 金融資本が過剰となり、資本の投下先が求められた。
  5. 国内の社会的な不満を対外進出でそらすという動機もあった。
  6. リヴィングストン・スタンリーらの探検によって内陸の情報がもたらされた。
  7. ベルギー国王レオポルド2世がコンゴの領有を進めたことが、列強の競争に火をつけた。
「帝国主義の定義」を書く帝国主義=独占資本と金融資本の段階で、資本の投下先と原料供給地・市場を求めて列強が世界を分割した動き。「商品輸出の段階から、資本輸出の段階へ」という転換が本質です。単に「植民地を求めた」ではなく、なぜこの時期なのかを経済段階から説明してください。
技術と医学の役割「なぜ19世紀後半に内陸へ進出できたのか」——キニーネによるマラリア対策という答えを書ける受験生はほとんどいません。技術と医学の進歩が帝国主義を可能にしたという視点は、確実に加点されます。

ベルリン会議 — ルールが競争を加速した

  1. ビスマルクの主催でベルリン会議が開かれた。
  2. コンゴをレオポルド2世の私的な領有地とすることが認められた。
  3. 分割の原則として「先に占有し、実効支配した国が領有できる」と定められた。
  4. この原則により、先を越される前に占領するという競争が加速した。
  5. 現地の民族分布・言語・宗教は考慮されなかった。
  6. 20年ほどで、エチオピアとリベリアを除くほぼ全域が分割された。
「ルールが争いを生んだ」ベルリン会議は争いを調停するための会議でしたが、定めたルール(早い者勝ち)が、かえって争奪戦を激化させました。「秩序を作るための取り決めが、競争を加速させた」——この逆説は論述で強い。日本世界史塾では、この点を帝国主義単元の核として扱っています。
独立を保った2国エチオピアはアドワの戦いでイタリアを撃退して独立を維持しました。リベリアはアメリカの解放奴隷が建てた国です。「なぜこの2国だけか」は頻出の設問です。
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列強の政策 — 縦と横の交差

国 政策 内容
イギリス 縦断政策 カイロ・ケープタウン・カルカッタを結ぶ3C政策
フランス 横断政策 アルジェリアからサハラを越えてジブチへ
ドイツ 後発 3B政策(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)でイギリスと対立
ベルギー コンゴ 国王の私的領有から国家の植民地へ
イタリア 後発 エチオピア侵入に失敗、リビアを獲得
ポルトガル 旧勢力 アンゴラ・モザンビーク
  1. イギリスの縦断とフランスの横断が、スーダンのファショダで衝突した(ファショダ事件)。
  2. フランスが譲歩して衝突は回避された。ドイツの台頭という共通の脅威があったためである。
  3. これを機に英仏は接近し、英仏協商が結ばれた。
  4. エジプトはイギリス、モロッコはフランスの勢力範囲と相互に承認した。
  5. モロッコの権益をめぐってドイツが2度介入したが(モロッコ事件)、いずれも退けられ、かえって英仏の結束を強めた。
  6. 南アフリカでは、イギリスが南アフリカ戦争(ブール戦争)でオランダ系入植者の国家を併合した。
「ファショダから第一次世界大戦へ」ファショダ事件で英仏が衝突を避けたことが、英仏協商→三国協商へつながり、第一次世界大戦の対立構図を作りました。「アフリカでの譲歩が、ヨーロッパの同盟関係を決めた」——アフリカ分割と第一次世界大戦を一本でつなぐこの因果は、東大・一橋の論述で頻出です。
南アフリカ戦争の動機金とダイヤモンドの鉱山が目当てでした。セシル=ローズが中心人物です。「帝国主義の動機を資源から具体的に説明できる好例」として押さえてください。

何が残ったのか — 独立後の課題

  1. 民族の分布を無視した直線的な国境が引かれ、独立後もそのまま受け継がれた。
  2. 一つの国に複数の対立する民族が含まれ、逆に同じ民族が国境で分断された。
  3. 経済は単一の一次産品に依存するモノカルチャーとされ、独立後も変わらなかった。
  4. 宗主国の言語が公用語として残り、教育や行政の基盤となった。
  5. 1960年に17カ国が独立し「アフリカの年」と呼ばれた。
  6. アフリカ統一機構(OAU)が結成され、のちにアフリカ連合(AU)へ発展した。
  7. しかしコンゴ動乱など、独立直後から紛争が続いた地域もある。
独立後も残ったもの 帝国主義期の由来
直線的な国境 ベルリン会議以降の分割
モノカルチャー経済 プランテーションと鉱山開発
宗主国への経済的従属 原料供給地としての位置づけ
民族対立 分割統治と国境の恣意性
「政治的独立と経済的従属」を再び使うラテンアメリカ独立で身につけた「政治的には独立したが、経済的な従属は残った」という視点が、そのまま使えます。これを新植民地主義といいます。一つの視点を複数の地域・時代に応用する——これが世界史の学習で最も効率のよい方法です。
南アフリカの特殊性南アフリカではアパルトヘイト(人種隔離政策)が制度化され、国際的な経済制裁と国内の抵抗によって20世紀末に撤廃されました。「独立と、国内の人種差別の撤廃は別の課題だった」という点で、公民権運動とも比較できます。

入試で狙われるポイント総覧

  • 進出を可能にした条件=キニーネ・蒸気船・連発銃
  • ベルリン会議(1884〜85年)をビスマルクが主催、原則は実効支配による領有
  • イギリス=縦断政策・3C政策(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)
  • フランス=横断政策、ドイツ=3B政策
  • ファショダ事件でフランスが譲歩→英仏協商→三国協商へ
  • モロッコ事件はドイツの介入だが、かえって英仏を結束させた
  • 南アフリカ戦争(ブール戦争)——セシル=ローズ、金とダイヤモンド
  • 独立を保ったのはエチオピア(アドワの戦い)とリベリア
  • 1960年=アフリカの年、OAU → AU
共通テストでの出方「ベルリン会議でアフリカの民族分布に配慮した国境が定められた」は誤り(無視された)。「ファショダ事件でイギリスが譲歩した」も誤り(フランス)。「エチオピアはイタリアに征服された」も誤り(アドワの戦いで撃退。のちの侵攻は1930年代)。この3つは定番です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. アフリカ内陸への進出を可能にした、マラリア対策の薬は。
A. キニーネ
Q2. アフリカ分割の原則を定めた会議と、その主催者を答えよ。
A. ベルリン会議、ビスマルク
Q3. イギリスとフランスのアフリカ政策をそれぞれ何というか。
A. 縦断政策と横断政策
Q4. 英仏がスーダンで衝突した事件と、譲歩した国を答えよ。
A. ファショダ事件、フランス
Q5. アフリカで独立を保った2つの国を答えよ。
A. エチオピアとリベリア
Q6. 1960年に17カ国が独立したことを何と呼ぶか。
A. アフリカの年

よくある質問

なぜ19世紀後半に分割が進んだのですか?
キニーネによるマラリア対策や蒸気船・連発銃により内陸進出が可能になったことと、第2次産業革命で新しい原料と資本の投下先が必要になったことが理由です。技術と経済段階の両方から説明してください。
ベルリン会議は何を決めたのですか?
先に占有し実効支配した国が領有できるという原則です。争いを調停するための会議でしたが、このルールがかえって争奪戦を加速させました。民族分布は考慮されていません。
ファショダ事件はなぜ重要なのですか?
フランスが譲歩したことで英仏が接近し、英仏協商から三国協商へつながったからです。アフリカでの譲歩がヨーロッパの同盟関係を決め、第一次世界大戦の対立構図を作りました。
独立後も問題が残ったのはなぜですか?
民族分布を無視した国境がそのまま受け継がれ、モノカルチャー経済と宗主国への従属も続いたためです。政治的独立と経済的従属は別の問題であり、これを新植民地主義といいます。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤
藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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