ピューリタン革命と名誉革命の違い|1649・1660・1689年と「無血」の地域差
日本世界史塾|17世紀イングランドの政治と史料読解
ピューリタン革命と名誉革命は、王政を廃止したのか、君主を交代させて王権を制限したのかで比べます。その間に1660年の王政復古があります。名誉革命を「どの地域でも無血だった」と説明したり、二つの革命を初めから計画された成功・失敗の二段階とみなしたりしてはいけません。
このページでは年代と地域を整理します。条文の条件を読む練習は、数強塾の権利の章典・史料読解3問へ進んでください。
ピューリタン革命・王政復古・名誉革命を年表で分ける
| 時期 | 人物・出来事 | 比較する制度・範囲 |
|---|---|---|
| 1628年 | チャールズ1世と権利の請願 | 議会によらない課税、裁判なしの投獄などが争点。 |
| 1629~1640年 | 議会を招集しない親政 | 文書の要求と、その後の統治の実態は別に確かめる。 |
| 1649年 | チャールズ1世の処刑、王政・上院の廃止、共和政の宣言 | 国王の処刑と王政の廃止は、関連する別の出来事。 |
| 1660年 | チャールズ2世の帰還と王政復古 | 1649年から11年後。王の復帰を、すべての対立の解消と同一視しない。 |
| 1688年 | ウィレムの軍事上陸とジェームズ2世の逃亡 | イングランドの政権交代と、アイルランド・スコットランドでの戦闘を分ける。 |
| 1689年 | ウィリアム3世・メアリ2世、権利宣言と権利の章典 | 王政は存続。2月の宣言と12月の法律化を区別。 |
権利の請願が出ても、議会政治が完成したわけではない
1628年の権利の請願では、議会によらない課税、裁判を経ない投獄、軍法や兵士の強制宿泊などが問題とされました。チャールズ1世の承認があっても対立は続き、1629年には議会が解散され、次の招集まで11年が経過します。英国議会の請願解説で、要求された内容と、その後の出来事を別々に確認できます。
親政期には船舶税などの財源確保と宗教政策への反発が重なりました。スコットランドへの新しい祈祷書の導入に対する抵抗が戦争へつながり、戦費を必要とした王は1640年に議会を招集します。英国議会の親政期解説をもとに、宗教上の対立→戦争→財政需要→議会の招集という関係を追ってください。課税だけを唯一の原因にすると、対立が強まった経過を説明できません。
1649年の国王処刑と、1660年の王政復古
1649年1月30日にチャールズ1世が処刑され、3月に王政と上院が廃止され、5月には共和政が宣言されました。英国議会の国王処刑と共和政の解説は、それぞれを別の段階として示しています。「処刑の日に制度のすべてが変わった」と一つにまとめないようにします。
クロムウェルの死後、後継者リチャードは軍と議会を統御できず、1659年に護国卿を辞任しました。その後の権力争いを経て、1660年にはチャールズ2世が帰還します。英国議会の王政復古の解説を参照してください。共和政が続かなかったことは、国王と議会をめぐる問題がすべて解消したことを意味しません。「王政復古で歴史が振り出しに戻った」という比喩で、制度の変化や経験まで消してしまわないことが大切です。
名誉革命の「無血」は、地域と時期を限定して読む
1688年11月、オランダのウィレムは招請を受けて軍を率いイングランドへ上陸しました。ジェームズ2世の陣営から離反が起こり、王はフランスへ逃れます。軍事行動のない政権交代だったわけではありません。
英国議会の上陸と政権交代の解説は、イングランドでは比較的流血が少なかった一方、アイルランドとスコットランドでは激しい流血を伴ったと説明しています。また、国王と議会の新しい関係は、その後の数年間にも変化しました。「名誉革命=全域で無血」「1689年に現在の議会政治が完成」と、地域や時間を広げて読まないでください。
1689年の権利宣言と権利の章典は、同じ年の別の段階
1689年2月、ウィリアムとメアリへ共同の王位が正式に提供された際に権利宣言が読み上げられました。12月には両君主の裁可を得て法律となり、権利の章典と呼ばれます。英国議会の宣言と法律化の解説は、「即位の条件として宣言の受諾を迫った」という通説的な説明を否定しています。宣言の提示・君主の即位・法律化を一つの瞬間に圧縮しないことが、史料を正確に読む第一歩です。
権利の章典は王権への制約と臣民・議会の権利に関する法律であり、王政を廃止した文書でも、現代の普遍的な人権を一括して宣言した文書でもありません。英国の法令公式サイトにある成立時の本文では、議会の承認による収入、平時の常備軍、議会での発言などの条件を確認できます。
史料の読み方:文書名と年代だけでなく、「誰の権限を、どの行為について、どの条件で制約したか」を書きます。条文から分かることと、後の政治制度の発展から分かることも区別します。
日本世界史塾オリジナル確認問題3問
本教材のために作成した問題です。大学や共通テストの過去問ではありません。
問1
次を古い順に並べ、年を付けなさい。ア:王政復古 イ:権利の請願 ウ:権利の章典の法律化 エ:チャールズ1世の処刑。
問1の解答・根拠を開く
解答例:イ(1628年)→エ(1649年)→ア(1660年)→ウ(1689年)。
確認するポイント:国王の処刑、君主の復帰、法律の成立を、同じ種類の出来事だと思わず年表に置く。
問2
「名誉革命は軍事行動も流血もない出来事だった」を、地域を分けて修正しなさい。
問2の解答・根拠を開く
解答例:ウィレムは1688年に軍を率いてイングランドへ上陸した。イングランドでの政権交代は比較的流血が少なかったが、アイルランドとスコットランドでは戦闘と流血があった。
確認するポイント:一つの地域の経験を全域へ拡大しない。軍事上陸と流血の程度も別の項目。
問3
資料Aは1689年2月に権利宣言が読み上げられたこと、資料Bは同年12月に法律となったことを説明する。「宣言と法律は同じ日に成立した」という説明を直しなさい。
問3の解答・根拠を開く
解答例:同じ1689年でも、2月の権利宣言の読み上げと12月の権利の章典の法律化は別の段階である。
確認するポイント:年だけが一致していても、行為と月を照合する。二つの段階を一つにまとめない。
よくある質問
名誉革命を無血革命と覚えてよいですか。
イングランドでは比較的流血が少なかった、という範囲を添えます。軍事上陸や、アイルランド・スコットランドの戦闘がなかったことにしてはいけません。
権利の請願と権利の章典の違いは。
1628年のチャールズ1世に対する請願と、1689年のウィリアム3世・メアリ2世のもとで法律となった章典です。王権への制約という共通点だけでなく、年代・君主・文書の段階を比べます。
王政復古は、革命の前にすべて戻ったという意味ですか。
国王の帰還と君主制の復帰を指します。国王と議会の対立の解消や、過去の制度変更・経験がすべて消えたことまで意味する用語ではありません。
次に読む教材
出典・制作情報
- 英国議会:権利の請願
- 英国議会:チャールズ1世の親政
- 英国議会:国王処刑と共和政
- 英国議会:護国卿政の終結と王政復古
- 英国議会:名誉革命の上陸・地域差・その後の変化
- 英国議会:権利宣言と権利の章典
- 英国法令公式サイト:権利の章典・成立時本文
出典確認:2026年10月10日。編集・教材制作:日本世界史塾編集部。説明と問題は学習用の要約・独自教材です。
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