この単元の位置づけ
前の単元(古代ギリシア)で生まれたヘレニズム世界を、ローマが飲み込んでいきます。次の単元以降で扱う中世ヨーロッパは、この帝国が分裂したあとの世界です。キリスト教の公認と国教化も、この単元の中で起きます。
平民が、身分闘争で権利を勝ち取った
ギリシアと同じく、戦う者が発言権を得た
ローマは王政から共和政に移りますが、当初は貴族(パトリキ)が政治を独占していました。しかし重装歩兵として戦ったのは平民(プレブス)です。
平民の地位は段階的に上がっていきます。まず護民官を得ました。次に慣習法が十二表法として成文化されます。リキニウス・セクスティウス法では、執政官の1人が平民から選ばれるようになりました。そして最終的に、ホルテンシウス法によって平民会の決議が元老院の承認なしに国法となります。
ギリシアと同じ構図——国防を担う者が参政権を要求する——がここでも起きています。
征服地をバラバラに扱って、団結させなかった
分割統治
イタリア半島を統一する過程で、ローマは征服した都市を植民市・自治市・同盟市に分け、待遇に差をつけました。都市どうしが結束してローマに反抗することを防ぐためです。この統治の巧みさが、のちの地中海支配の土台になります。
勝ちすぎたことで、社会が壊れた
この単元で最重要の因果
カルタゴとのポエニ戦争に勝ち、属州を獲得します。
ところが、ここから逆流が始まりました。属州から安価な穀物が流入し、長期の従軍で農地を荒らされていた中小農民が競争に負けて没落します。彼らは土地を手放して無産市民となり、都市へ流入しました。一方で有力者は、戦争で得た奴隷を使うラティフンディア(大農場)を経営して富を蓄えます。
結果として、重装歩兵の担い手だった自作農が消えました。兵を集められなくなった将軍は、無産市民に俸給を払って私兵を組織するようになります。
私兵を持つ有力者が争い、帝政に着地した
内乱の1世紀
最初に動いたのはグラックス兄弟でした。自作農の再建を目指しましたが、既得権を持つ元老院の反発で挫折します。
以後は有力者の抗争が続きました。マリウスとスラの対立、剣闘士スパルタクスの反乱を経て、ポンペイウス・クラッスス・カエサルによる第1回三頭政治が成立します。カエサルは独裁権を握りますが暗殺されました。第2回三頭政治のあと、オクタウィアヌスがアクティウムの海戦で勝利します。
彼はアウグストゥスの称号を受け、共和政の形式を保ったまま実権を握る元首政(プリンキパトゥス)を始めました。以後200年ほど続く安定期が「ローマの平和」です。五賢帝の時代に、帝国は最大版図に達しました。
建前を捨て、宗教で束ね直そうとした
専制君主政とキリスト教
3世紀に入ると各地の軍が皇帝を擁立する軍人皇帝時代となり、帝国は動揺します。
ディオクレティアヌス帝は共和政の建前を捨てて専制君主政(ドミナトゥス)へ移行し、帝国を4分割して統治しました。
続くコンスタンティヌス帝はミラノ勅令でキリスト教を公認し、コンスタンティノープルへ遷都します。さらにテオドシウス帝がキリスト教を国教とし、その死後に帝国は東西へ分裂しました。
西ローマ帝国はまもなく滅び、ここから中世が始まります。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
リキニウス・セクスティウス法=執政官の1人を平民から選ぶ。ホルテンシウス法=平民会の決議が元老院の承認なしに国法となる。名前が入れ替えられる典型例です。
元首政(プリンキパトゥス)はアウグストゥスが始めた、共和政の形式を残す統治。専制君主政(ドミナトゥス)はディオクレティアヌス帝以降の、建前を捨てた統治。「アウグストゥスが専制君主政を開始した」は誤りです。
第1回=ポンペイウス・クラッスス・カエサル。第2回=オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥス。構成員の入れ替えは頻出の誤り選択肢です。
公認はコンスタンティヌス帝のミラノ勅令。国教化はテオドシウス帝。この2つを同一人物にまとめる誤り選択肢が非常に多く出ます。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
同じ古代ローマでも、大学によって必要な精度が違います。学部ごとの詳細は各対策記事をご覧ください。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
古代ローマについて述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- 十二表法により、それまでの慣習法が成文化された。
- ホルテンシウス法により、執政官の1人が平民から選ばれることになった。
- ポエニ戦争の結果、ローマは属州を獲得した。
- テオドシウス帝は、キリスト教を国教とした。
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なぜ誤りか。執政官の1人を平民から選ぶと定めたのはリキニウス・セクスティウス法です。ホルテンシウス法は、平民会の決議が元老院の承認なしに国法となると定めたものです。法の名前と内容が入れ替えられています。
この設問の型。似た性格の法や制度の名前と内容を入れ替える型です。ローマの身分闘争は法律が3つ以上出てくるので、この型の格好の材料になります。法は「誰が・何を得たか」で覚えてください。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
ポエニ戦争後、属州から安価な穀物が流入したことで中小農民が没落した。一方、有力者は奴隷を使役する大農場である( A )を経営した。没落した農民は無産市民となり、これに対して( B )兄弟は自作農の再建を目指す改革を試みたが失敗した。その後の混乱を経て、( C )はアウグストゥスの称号を受け、元首政を開始した。
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この設問の型。空欄補充ですが、実質は「征服 → 社会の変質 → 政体の変化」という因果を問うています。この線が頭にあれば、Aが分からなくても前後から絞れます。
上位校ではここが深くなる。「無産市民を兵とした将軍は誰か」(マリウス)、「カルタゴの将軍は誰か」(ハンニバル)まで問われます。人物は出来事とセットで覚えてください。
ポエニ戦争後のローマにおいて、対外的な勝利がかえって共和政の動揺を招いた過程を、120字程度で説明せよ。
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属州から安価な穀物が流入し、長期の従軍で農地が荒れていた中小農民は競争に敗れて没落した。有力者は奴隷を用いる大農場を経営して富を集中させた。兵力の基盤であった自作農が消えたため、将軍が無産市民を私兵として組織するようになり、有力者の抗争が共和政を動揺させた。(125字)
採点者が探しているもの。加点されるのは三つの連結です。①属州の穀物→自作農の没落、②富の集中と大農場、③兵の担い手の消失→私兵化。①だけ書いて終わる答案が最も多く、それでは半分の点にしかなりません。
よくある失点。「貧富の差が拡大した」で止めてしまうこと。設問は共和政が動揺した理由を聞いているので、軍事の担い手が変わったところまで届かせてください。
古代ローマについて述べた次の①〜⑤のうち、誤っているものを二つ選べ。
- 護民官は、平民の利益を守るために設置された。
- 第1回三頭政治は、オクタウィアヌス・アントニウス・レピドゥスによって成立した。
- 五賢帝時代に、ローマ帝国は最大版図に達した。
- ディオクレティアヌス帝は、共和政の形式を保つ元首政を開始した。
- コンスタンティヌス帝は、ミラノ勅令によってキリスト教を公認した。
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②が誤り。その3人は第2回三頭政治です。第1回はポンペイウス・クラッスス・カエサル。
④が誤り。元首政を開始したのはアウグストゥスです。ディオクレティアヌス帝が始めたのは専制君主政で、共和政の建前を捨てたところが要点です。
この設問の型。「誤りを二つ選べ」は、一つ見つけて安心すると失点する形式です。五つすべてを最後まで判定するのが鉄則で、時間配分の訓練にもなります。誤りは「人物の入れ替え」「制度の取り違え」で作られることが多く、今回もその2種類でした。
対策。ローマは「似た名前の法」「似た構成の政治体制」「複数の皇帝の事績」が揃っているため、この形式の材料が豊富です。人物・制度・事績を三列の表にして、横に並べて覚えてください。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- 十二表法が制定された。
- カエサルが独裁権を握った。
- ポエニ戦争によりカルタゴが滅ぼされた。
- ディオクレティアヌス帝が専制君主政を開始した。
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並べ方の筋道。年号ではなくローマの政体の段階で分類します。①十二表法は身分闘争の時期、つまり共和政の初期。③ポエニ戦争は共和政が対外的に拡大した時期で、その勝利が社会の変質を招きました。②カエサルの独裁は、その変質の帰結である内乱の1世紀。④専制君主政は帝政が変質した後期です。共和政初期 → 共和政拡大期 → 内乱期 → 帝政前期 → 帝政後期という5段階の箱に入れるだけで並びます。
この設問の型。ローマは千年以上にわたる長い歴史なので、整序の材料が豊富です。個別の年号ではなく政体の段階で覚える——単元04の中国史(王朝の段階)、単元11のフランス革命(議会の段階)と同じ考え方です。
よくある失点。②と③の前後を逆にすること。ポエニ戦争の勝利が中小農民を没落させ、私兵を持つ有力者の抗争を生んだ——この因果を押さえていれば、③が②より前だと確定できます。整序問題は因果で解くのが最も確実です。
ローマにおいてラティフンディアが広がった背景と、それがローマ社会に与えた影響を、3行程度(100字前後)で説明せよ。
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征服戦争によって属州と多数の奴隷を獲得した有力者が、奴隷を使う大農場を経営した。安価な属州産穀物の流入と重なって中小農民が没落し、重装歩兵の担い手が失われて、軍が将軍の私兵化する一因となった。
この設問の型。明治大学商学部の大問Ⅴで出る短論述です。分量は3行程度で、歴史事象を説明させるタイプ。経済史や政治史などのテーマ史からの出題が多いとされ、ラティフンディアはその典型です。
3行で書く型。設問が「背景」と「影響」を求めているので、背景を一文、影響を一〜二文で構成します。因果を長く展開する余地はありません。
採点者が探しているもの。影響を「貧富の差が拡大した」で止めないことです。この設問の核心は軍事の担い手が変わったという点にあります。自作農が消えたから将軍が私兵を組織するようになり、それが共和政の動揺につながりました。経済の変化が政治体制を変えたという線まで届かせてください。
削る判断。グラックス兄弟やマリウスの名前を入れたくなりますが、100字では入りません。固有名詞より因果の連鎖を優先します。単元09の価格革命と同じ判断です。
他大学との違いを再確認。同じ内容でも、早稲田なら指定語句つき250〜300字、明治政経なら指定語句なし240字、明治商なら3行。字数帯ごとに書き方を切り替える練習をしておくと、併願時に迷いません。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
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古代の東アジアでは、ローマとほぼ同じ時期に秦・漢という統一帝国が生まれています。同時代を横に並べて見ると、共通テストの地域横断問題に強くなります。
例題は解けても、
本番の答案は別ものです。
自分の答案が何点なのかは、自分では判断できません。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。