この単元の位置づけ
前の単元(古代オリエント)の最後に出てきたアケメネス朝ペルシアとの衝突が、この単元の転換点になります。次の単元(古代ローマ)は、ここで生まれたヘレニズム世界を飲み込む形で広がっていきます。
地形が、統一ではなく分立を生んだ
山がちで平野が狭い
ギリシアは山地に隔てられ、広い平野がありません。そのため大きな統一国家ではなく、多数の小さなポリス(都市国家)が並び立ちました。ポリスの中心には城山であるアクロポリスと、広場であるアゴラが置かれます。
人口が増えると土地が足りなくなり、地中海や黒海の沿岸に植民市を建設しました。
政治的には分立していましたが、同族意識は共有しています。自らをヘレネスと呼び、他を非ギリシア人(バルバロイ)として区別しました。オリンピアの祭典やデルフォイの神託が、その意識を支えています。
戦い方が変わり、政治が変わった
この単元で最重要の因果
当初、国防を担っていたのは馬と武具を用意できる貴族でした。政治も貴族が独占しています。
ところが商工業が発展し、平民でも武具を自弁できるようになりました。平民は重装歩兵として密集隊形(ファランクス)を組み、戦力の主力になります。国防を担うようになった以上、参政権を求めるのは当然の流れでした。
アテネの改革は、この要求に応じて段階的に進みます。まずドラコンが慣習法を成文化しました。次にソロンが財産に応じて参政権を定め、あわせて債務奴隷を禁止します。ペイシストラトスの僭主政をはさんだのち、クレイステネスが血縁ではなく居住区(デーモス)にもとづく10部族制を定めました。さらに僭主の再登場を防ぐため、陶片追放を導入しています。
スパルタは、まったく別の道を選んだ
少数が多数を支配する体制
ドーリア人が築いたスパルタでは、征服した先住民をヘイロータイ(隷属農民)として支配しました。市民の数に対して被支配民が圧倒的に多かったため、反乱を抑え込む必要から市民全員を戦士とする軍国主義的な体制がとられます。商工業は抑制され、対外的にも閉鎖的でした。同じギリシア人でも、アテネとスパルタでは社会のつくりが正反対だったという点が、比較の論述でよく問われます。
ペルシア戦争が、民主政を完成させた
漕ぎ手になった無産市民
アケメネス朝ペルシアとの戦いで、勝敗を決めたのは二つの戦いでした。マラトンの戦いでは重装歩兵が、サラミスの海戦では三段櫂船が主役になります。
ここで注目すべきは、櫂を漕いだのが武具を買えない無産市民だったことです。彼らが国防に貢献したことで発言力を増し、ペリクレスの時代にアテネ民主政が完成しました。民会が最高機関となり、将軍職を除く公職は抽選で選ばれ、日当も支給されます。
ただし、参加できたのは成年男性市民に限られました。女性・在留外人・奴隷は除かれています。ここは必ず押さえてください。
その後、アテネはデロス同盟の資金を自国のために使うなどしてスパルタと対立します。ペロポネソス戦争に敗れると、有力な指導者を欠いた民会は衆愚政治に陥りました。
ポリスの外から来た力が、世界を広げた
ヘレニズム
ポリスが疲弊するなか、北方のマケドニアが台頭します。フィリッポス2世はカイロネイアの戦いでギリシアを制圧しました。
その子アレクサンドロス大王は東方遠征でアケメネス朝を滅ぼし、ギリシアからインド西部に及ぶ領域を支配します。大王の死後は後継者たちの争いを経て、アンティゴノス朝マケドニア・セレウコス朝シリア・プトレマイオス朝エジプトの三つに分かれました。
この時代に生まれたのがヘレニズム文化です。ギリシア文化とオリエント文化が融合し、共通ギリシア語(コイネー)が広まりました。思想面では、ポリスの枠を超える世界市民主義の考え方が現れ、ストア派・エピクロス派の哲学が発展します。学問の中心はアレクサンドリアのムセイオンで、ここを拠点に自然科学が進みました。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
ソロン=財産に応じた参政権と債務奴隷の禁止。クレイステネス=居住区に基づく10部族制と陶片追放。「陶片追放を定めたのはソロン」は典型的な誤り選択肢です。
ペルシア戦争はギリシア諸ポリス 対 アケメネス朝の対外戦争。ペロポネソス戦争はアテネ 対 スパルタのギリシア内戦。前者は民主政を完成させ、後者はポリス社会を衰退させました。向きが逆です。
デロス同盟はアテネを中心とする対ペルシアの同盟。ペロポネソス同盟はスパルタを中心とする同盟。名前だけ覚えて盟主を取り違えると、ペロポネソス戦争の構図が丸ごと崩れます。
ヘレネスはギリシア人の自称。ヘレニズムはアレクサンドロス大王以降のギリシア文化とオリエント文化の融合、およびその時代を指します。語が似ているだけで、指すものが違います。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
文化史の比重が大きい単元です。とくに早稲田の文学部・文化構想学部で差がつきます。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
古代ギリシアについて述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- クレイステネスは、血縁ではなく居住区を単位とする部族制を定めた。
- ペリクレスの時代のアテネでは、成年男性市民のほか女性にも民会への参加が認められた。
- スパルタでは、征服された先住民がヘイロータイとして農業に従事させられた。
- アレクサンドロス大王の死後、その帝国は複数の王国に分裂した。
解答と解説を見る
なぜ誤りか。アテネ民主政に参加できたのは成年男性市民に限られます。女性・在留外人・奴隷は除外されていました。「直接民主政」「全員が参加」という印象から、参加範囲を広げた誤り選択肢が作られます。
この設問の型。制度の対象範囲を広げることで誤りを作る型です。「〜にも認められた」「すべての住民が」という表現が出たら、誰が除外されていたかを思い出してください。アテネ民主政はこの型の常連です。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
商工業の発展により武具を自弁できる平民が現れると、彼らは( A )として密集隊形を組み、国防の主力となった。その結果、平民は参政権を求めるようになる。アテネでは( B )が居住区に基づく部族制を定め、僭主の出現を防ぐために( C )の制度を設けた。
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この設問の型。空欄補充ですが、実質は因果の順序を問うています。「武具の自弁 → 重装歩兵 → 国防の担い手 → 参政権の要求」という連鎖を持っていれば、Aが空欄でも文脈で決まります。逆に人名だけ覚えていると、ソロンとクレイステネスを取り違えます。
上位校ではここが深くなる。「ソロンの改革で禁止されたものは何か」(債務奴隷)、「慣習法を成文化した人物は誰か」(ドラコン)まで問われます。改革は順番に並べて覚えると失点が減ります。
古代アテネにおいて、軍事上の変化が政治体制の変化をもたらした過程について、重装歩兵と無産市民の役割にふれながら120字程度で説明せよ。
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商工業の発展で武具を自弁できるようになった平民が重装歩兵として国防の主力となり、参政権を要求して貴族政が崩れた。さらにペルシア戦争では武具を持たない無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍し、その発言力の増大を背景にペリクレスの時代に民主政が完成した。(123字)
採点者が探しているもの。加点されるのは二段階の因果です。①重装歩兵→貴族政の動揺、②無産市民→民主政の完成。どちらか一方しか書いていない答案は、半分の点しか入りません。
よくある失点。改革者の名前(ソロン、クレイステネス)を列挙するだけで、軍事との関係を書かない答案が非常に多いです。この設問が問うているのは人名ではなく仕組みです。設問文にある「軍事上の変化が」という語を答案の中で必ず受けてください。
次の文 a・b の正誤について、下の①〜④から正しい組み合わせを一つ選べ。
a ヘレニズム時代には、ポリスの枠を超えて世界を一つの共同体とみなす考え方が広まった。
b アテネのアクロポリスに建てられたパルテノン神殿は、ヘレニズム時代の代表的建築である。
- a=正 b=正
- a=正 b=誤
- a=誤 b=正
- a=誤 b=誤
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a は正しい。アレクサンドロス大王の遠征によってポリスの枠組みが相対化され、世界市民主義と呼ばれる考え方が広まりました。ストア派の思想もこの流れの中にあります。
b が誤り。パルテノン神殿はペリクレスの時代、つまり古典期(ヘレニズム以前)の建築です。時代が一段ずれています。
この設問の型。早稲田の文学部・文化構想学部で用いられる正誤の組み合わせ形式です。二つの文を独立に判定してから組み合わせるため、片方が曖昧だと正答率が一気に落ちます。確信のある文から処理し、選択肢を半分に絞ってください。
文化史は時代の帰属で狙われる。作品名と特徴を覚えていても、どの時代のものかを取り違えると失点します。古典期(パルテノン神殿・悲劇作家)とヘレニズム期(世界市民主義・自然科学・ムセイオン)を分けて整理してください。
文学部では図版が出ます。美術作品の写真や絵がほとんど毎年扱われるため、資料集で実物を見ておくと、時代の判別が格段に速くなります。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- ソロンが財産に応じて参政権を定めた。
- クレイステネスが陶片追放の制度を導入した。
- サラミスの海戦が行われた。
- ペロポネソス戦争が起こった。
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並べ方の筋道。この単元の軸である「誰が戦うかが、誰が政治を動かすかを決める」という線に載せます。①ソロンと②クレイステネスは重装歩兵の時代の改革で、①が財産による区分、②が居住区による再編という順序。③サラミスの海戦で無産市民が漕ぎ手として活躍し、これが民主政の完成につながります。④ペロポネソス戦争はその民主政が衰退へ向かう局面です。
①と②の順序の決め方。どちらもアテネの改革者なので混同しがちですが、ソロンの改革では僭主の出現を防げず、その反省からクレイステネスが陶片追放を導入した——因果で結べば順序が固定されます。
③と④の区別。サラミスは対ペルシア、ペロポネソスはギリシア内戦です。単元02の「混同しやすいところ」で扱った論点が、そのまま整序の材料になります。戦った相手が誰かで区別してください。
アテネにおいて民主政が成立し、やがて衰退するまでの過程を200字程度で説明せよ。
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商工業の発展により武具を自弁できる平民が重装歩兵として国防の主力となり、参政権を要求して貴族政が動揺した。ソロンやクレイステネスの改革を経て、ペルシア戦争では武具を持たない無産市民が三段櫂船の漕ぎ手として活躍し、その発言力を背景にペリクレスの時代に民主政が完成する。しかしデロス同盟の資金運用などをめぐりスパルタと対立し、ペロポネソス戦争に敗れると、有力な指導者を欠いた民会は衆愚政治に陥った。
この設問の型。明治大学法学部は大問4題・60分で、大問3・4が記述式。分量は150〜250字程度です。記述が2題あるため、マーク2題をどれだけ速く終えられるかが記述の出来を左右します。
200字の構成。設問が「成立し、やがて衰退するまで」と山なりの流れを求めているので、上り・頂点・下りの三部で組みます。①重装歩兵→参政権要求(上り)②無産市民→民主政の完成(頂点)③ペロポネソス戦争→衆愚政治(下り)。各70字弱です。
採点者が探しているもの。核心は「誰が戦うかが、誰が政治を動かすかを決めた」という一本の線です。改革者の名前を並べるだけでは、なぜ民主政が成立したのかが説明されません。軍事の担い手の変化と政治参加の拡大を結んでください。
漢字を確実に。法学部は記述量が多く、人名や事件を漢字で正しく書けるかが繰り返し指摘されます。「衆愚政治」「三段櫂船」のような語は、選択問題なら選べても書けないことがあります。頻出語は手で書いて確認してください。
穴を作らない。法学部はあらゆる時代から出題され、古代も例外ではありません。近現代に偏った対策をしていると、ここで落とします。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
次の単元へ
古代ローマは、この単元で生まれたヘレニズム世界を飲み込みながら、都市国家から地中海帝国へと拡大していきます。
例題は解けても、
本番の答案は別ものです。
自分の答案が何点なのかは、自分では判断できません。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。