この単元の位置づけ
前の単元(古代ローマ)とほぼ同じ時期に、東アジアでも統一帝国が生まれています。ローマと秦漢を横に並べて見ておくと、共通テストの地域横断問題に強くなります。次の単元以降で扱う隋唐は、この分裂期を統一し直した王朝です。
血縁で束ねる仕組みから始まった
殷・周
殷(商)は多数の邑を従える王が神意を占って統治する神権政治で、その記録が甲骨文字です。これを倒した周は、一族や功臣に土地を与えて世襲の諸侯とし、宗法という血縁の規範で結びつけました。これが中国の封建制です。ヨーロッパ中世の封建制が契約で結ばれるのに対し、周のそれは血縁で結ばれている点が決定的に違います。
鉄が、血縁の秩序を壊した
春秋戦国
周が東遷して権威を失うと、諸侯が実力で争う時代になります。背景にあったのは鉄製農具と牛耕の普及です。生産力が上がると、有力者は血縁に頼らず領域と人民を直接支配できるようになり、都市国家は領域国家へ変わりました。この混乱の中で「どう治めるべきか」を論じたのが諸子百家です。儒家は徳による統治を、法家は法と刑罰による統治を説き、この対立が次の時代の政策を分けます。
秦は、中央が全部握ろうとした
郡県制
商鞅の変法で法家思想に基づく改革を行った秦が統一を果たします。始皇帝は全国を郡と県に分け、中央から官僚を派遣する郡県制を敷きました。諸侯を置かない、つまり世襲の中間権力を認めない体制です。度量衡・貨幣・文字を統一し、思想も焚書坑儒で統制しました。しかし急激な改革と土木事業の負担が重く、陳勝・呉広の乱をきっかけに短期間で崩壊します。
漢は、握る範囲を調整して長続きさせた
郡国制から中央集権へ
劉邦が建てた前漢は、折衷から始めました。都に近い地域は郡県制、遠方は諸侯に封じる郡国制です。
しかし諸侯が力を持ちすぎて呉楚七国の乱が起き、これを鎮圧したことで実質的に郡県制へ移行します。
武帝は儒学を官学とし、匈奴へ遠征し、塩・鉄・酒の専売や均輸・平準で財政を握りました。秦が理念で押し切って失敗した中央集権を、漢は時間をかけて実現した——これがこの単元の核心です。
ただし長期の遠征で財政は悪化し、地方では豪族が成長していきます。
豪族が国を分け、貴族になった
三国から南北朝へ
王莽の新をはさんで後漢が再興されますが、外戚と宦官の争いや党錮の禁で政治は乱れ、黄巾の乱を経て崩壊します。以後、三国・晋・五胡十六国・南北朝という分裂の時代が続きました。官吏登用に用いられた九品中正は、結果として有力な豪族の子弟が上位を独占する仕組みとなり、彼らは門閥貴族へと固定化します。この時期に仏教が広く受容され、石窟寺院が造営されました。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
郡県制=全国に中央から官僚を派遣(秦)。郡国制=郡県制と封建制の併用(前漢の初期)。「始皇帝が郡国制を敷いた」は典型的な誤り選択肢です。
周は血縁と宗法で結ばれ、ヨーロッパは契約(主君と家臣の双務的関係)で結ばれます。同じ「封建制」という訳語なので、違いを説明させる論述が出ます。
焚書坑儒は秦の始皇帝による思想統制。儒学の官学化は前漢の武帝。同じ儒学をめぐる政策でも、向きが正反対です。
武帝=前漢、匈奴遠征・専売・儒学の官学化。光武帝=後漢を再興した劉秀。「武」の字に引きずられて取り違える答案が多い箇所です。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
中国史は私大で最も出題量が多い分野のひとつです。大学・学部によって必要な精度が違います。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
古代中国について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- 殷では、神意を占った記録が甲骨文字として残された。
- 秦の始皇帝は、全国に郡と県を置き、中央から官僚を派遣した。
- 前漢の高祖(劉邦)は、建国当初から全国に郡県制のみを施行した。
- 前漢の武帝は、塩・鉄・酒の専売を行って財政の立て直しを図った。
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なぜ誤りか。前漢は当初郡国制(郡県制と封建制の併用)を採りました。全国が実質的に郡県制になるのは、呉楚七国の乱を鎮圧したあとです。「建国当初から」「〜のみ」という限定が誤りを作っています。
この設問の型。正しい最終状態に「最初から」という時期のずらしを加える型です。制度は「いつ・どこまで」変わったのかを段階で覚えてください。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
戦国時代の秦では( A )の変法によって法家思想に基づく改革が進められ、国力が高まった。統一後、始皇帝は思想統制として( B )を行った。一方、前漢の武帝は( C )の献策を採用して儒学を官学とし、統治の理念とした。
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この設問の型。思想と政策の対応を問う型です。秦は法家、漢は儒家という軸を持っていれば、BとCを取り違えません。
上位校ではここが深くなる。「法家の代表的思想家を2人挙げよ」(韓非・李斯など)、「儒家で性悪説を説いたのは誰か」(荀子)まで問われます。諸子百家は学派ごとに人物を束ねて覚えてください。
秦の統治が短期間で崩壊した理由と、前漢がそれをどのように修正したかを、統治制度に触れながら120字程度で説明せよ。
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秦は郡県制により中央集権を一挙に実現し、法家思想のもとで思想統制や大規模な土木事業を進めたため、民衆の負担が重く反乱を招いて短命に終わった。前漢は当初、郡県制と封建制を併用する郡国制をとって諸侯の反発を和らげ、七国の乱の鎮圧後に段階的に中央集権を実現した。(126字)
採点者が探しているもの。加点されるのは「一挙に」対「段階的に」という対比です。制度名(郡県制・郡国制)を挙げるだけでは足りず、なぜ片方が失敗し片方が成功したのかを書く必要があります。
よくある失点。秦の崩壊理由を「暴政だったから」で済ませてしまうこと。何が負担だったのか(思想統制・土木事業)を具体で示してください。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- 董仲舒の献策により、儒学が官学とされた。
- 陳勝・呉広の乱が起こった。
- 黄巾の乱が起こり、後漢の統治が動揺した。
- 呉楚七国の乱が鎮圧された。
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並べ方の筋道。年号を暗記していなくても、因果で並べられます。②陳勝・呉広の乱は秦の崩壊のきっかけ。④呉楚七国の乱は前漢初期、郡国制の諸侯が力を持ちすぎた結果。①儒学の官学化は武帝の時代で、中央集権が固まったあと。③黄巾の乱は後漢末です。王朝の順(秦→前漢→後漢)に沿って並ぶことに気づけば確定します。
この設問の型。年代整序は早稲田で頻出の形式です。個々の年号を覚えるのではなく、「どの王朝の、どの段階の出来事か」という属性で分類すると崩れません。同一王朝内で複数出たときだけ、年号や因果の細部が必要になります。
よくある失点。「乱」という語だけで反射的に選んでしまい、陳勝・呉広の乱と黄巾の乱を近い時代だと誤認すること。両者の間には400年以上の隔たりがあります。
古代中国について述べた次の①〜⑤のうち、誤っているものを二つ選べ。
- 殷では、王が神意を占い、その記録が甲骨文字として残された。
- 周の封建制は、主君と家臣の契約にもとづく双務的な関係であった。
- 秦の始皇帝は、全国に郡と県を置いて中央から官僚を派遣した。
- 九品中正は、家柄によらず能力によって官吏を登用する制度として機能した。
- 後漢は、黄巾の乱をきっかけに統治が動揺し、滅亡へ向かった。
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②が誤り。周の封建制は血縁と宗法にもとづく関係です。契約による双務的な関係はヨーロッパ中世の封建制。同じ「封建制」という訳語を使うため、この入れ替えは繰り返し出題されます。
④が誤り。九品中正は本来、人物を評価して登用する制度でしたが、実際には有力な豪族の子弟が上位を独占し、彼らが門閥貴族として固定化する結果になりました。「家柄によらず」は事実と逆です。
この設問の型。②は他地域の概念を持ち込む型、④は制度の理念と実態をすり替える型です。後者は難度が高く、「そう意図されたが、そうならなかった」制度が狙われます。九品中正のほか、単元13のフランクフルト国民議会も同じ性格です。
制度は理念と実態を分けて覚える。「何を目指した制度か」と「実際にどう機能したか」がずれている事例は、世界史では珍しくありません。教科書に『しかし実際には』と書かれている箇所は、そのまま設問になります。
次の文章を読み、設問1〜4に答えよ。目標時間は5分。
殷では王が神意を占い、その記録が( A )文字として残された。周は一族や功臣に土地を与えて諸侯とし、①血縁にもとづく封建制を敷く。周が権威を失うと諸侯が争う時代となり、この混乱のなかで②諸子百家が現れた。
統一を果たした秦の始皇帝は、全国に郡と県を置いて中央から官僚を派遣する( B )を施行し、思想統制として焚書坑儒を行った。しかし急激な改革と土木事業の負担が重く、③陳勝・呉広の乱をきっかけに崩壊する。
前漢は郡国制から始めたが、呉楚七国の乱の鎮圧後に中央集権を固めた。武帝は( C )の献策を採用して儒学を官学とした。
設問1 空欄( A )〜( C )に入る語句を記せ。
設問2 下線部①と対比される、契約にもとづく封建制が成立した地域を選べ。
ア 中世ヨーロッパ イ 古代インド ウ 古代エジプト
設問3 下線部②のうち、法と刑罰による統治を説いた学派を選べ。
ア 儒家 イ 道家 ウ 法家
設問4 下線部③の後に成立した王朝の建国者を記せ。
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この設問の型。青学の全学部日程は60分で45〜50問、1問あたり約1.2分です。まず空所を埋め、次に下線部設問へ。文章の精読は不要です。
設問2は地域横断。青学はヨコのつながりを問う設問を出します。周の封建制(血縁)と中世ヨーロッパの封建制(契約)の対比は、その典型です。同じ訳語なのに中身が違う用語は、地域をまたいで問われると考えてください。
設問3は即答したい。諸子百家は学派ごとに主張と人物を束ねて覚えておけば10秒で終わります。儒家=徳治、法家=法治、道家=無為自然、墨家=兼愛。ここで時間を使ってはいけません。
設問4のような接続。「陳勝・呉広の乱の後に成立した王朝」——秦の滅亡後は前漢なので劉邦です。出来事と王朝交替を結んでおくと、こうした間接的な問い方にも即応できます。
青学で中国史が重い理由。青学は欧米と中国の出題が多く、文学部ではアジアのうち中国史が頻出とされます。この単元は優先度の高い分野です。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
通史を順番に読む
古代の南アジアでは、ほぼ同じ時期にマウリヤ朝という統一国家が現れ、仏教が国家の支えになります。中国が儒教と官僚制で秩序を作ったのに対し、インドは宗教と身分制度で作りました。統治の道具の違いとして比べてください。
例題は解けても、
本番の答案は別ものです。
自分の答案が何点なのかは、自分では判断できません。
体験授業では、実際に書いていただいた答案をその場で添削します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。