近代の社会を整理する|工業が新しい階級を作った

近代の社会は「貧しい労働者が現れた時代」と覚えがちですが、本質は生産の場が家と農地から工場へ移り、人の上下を決める物差しが入れ替わったことです。生まれではなく、生産の道具を持っているかどうかが位置を決める——この一点をつかむと、囲い込みも都市の悪臭も工場法も社会主義も、すべて一本の線の上に並びます。
土地から引き剥がされた人が、賃金で働く人になる
工場が動くには、機械のほかにもう一つ欠かせないものがあります。毎朝そこへ通ってくる人です。ところが自分の畑を持ち、自分の食べる物を自分で作れる人は、わざわざ他人の工場へは行きません。工業社会が成り立つには、まず「働きに出るしかない人」が大量に用意される必要があった——その用意をしたのが、工場ではなく農村でした。
- 15世紀から16世紀のイギリスで、毛織物の原料となる羊毛の値が上がり、耕地を牧場に変える第1次囲い込みが起きた。
- 追い出された農民が浮浪者となったため政府は禁止令を出し、トマス=モアは羊が人を食うという言い方でこれを批判した。
- 18世紀後半からの第2次囲い込みは狙いが違う。都市の人口が増えて穀物の需要が伸び、大きな一区画で効率よく穀物を作るために行われた。
- しかも今度は議会の立法にもとづいて進められ、合法的であった。共同で使ってきた土地が分割され、権利を書面で示せない小農は保有地を失った。
- 土地を失えば、自分の食べる物を自分で作れない。生き延びる手段は自分の労働力を時間で売ることだけになる。
- 同じ時期、輪作と家畜の改良によって、より少ない人手でより多くの食料を作れるようになった。
- 都市の人口を養う力と、都市へ送り出す人手が同時に生まれた。工業化に必要な労働力は、こうして農村の側で準備された。
- つまり工場が人を引き寄せたというより、農村が人を押し出したという順序で理解するのが正確である。
| 第1次囲い込み | 第2次囲い込み | |
|---|---|---|
| 時期 | 15〜16世紀 | 18世紀後半〜19世紀前半 |
| 目的 | 羊毛の増産(牧羊地にする) | 穀物の増産(食料の供給) |
| 進め方 | 地主が個別に囲い込む | 議会の立法による |
| 政府の姿勢 | 禁止令を出した | 立法で後押しした |
| 社会への影響 | 浮浪者の発生が問題化 | 賃金で働く人々の大量発生 |
同じころのフランスは正反対の道を通りました。革命によって農民の多くが自分の土地の持ち主になったからです。持っている土地があれば、都市の工場へ出て行く理由は薄れます。ロシアはさらに違います。1861年に農奴の解放が宣言されたあとも、土地は買い戻しの代金を払って手に入れる形で、その支払いには農村共同体が責任を負いました。イギリスでは土地を失ったことが人を工場へ送り、フランスでは土地を得たことが人を農村に残し、ロシアでは支払いの縛りが人を村につないだ——同じ「土地の作り替え」が、三通りの労働力の動きを生んだのです。
生まれではなく、何を持っているかが上下を決めた
- 工場は機械と建物という大きな元手を要する。それを用意できた者が経営する側に立った。
- 元手を持たない者は、労働力を時間で売るほかない。ここに資本家と労働者という組み合わせができた。
- 身分制と違い、この区別は法で定められたものではない。雇う側と雇われる側は、形式のうえでは対等な契約の当事者である。
- しかし対等なのは形式だけで、売り手が多ければ値段は買い手が決める。仕事を探す人が余っていれば、賃金は下がる。
- 一方、技師・事務員・教員・医師など、工業社会が必要とする中産階級の層も厚みを増した。
- 1832年の第1回選挙法改正は、腐敗選挙区を整理して産業資本家に選挙権を広げたが、労働者は対象外であった。
- そこで労働者はチャーティスト運動を通じ、参政権そのものを要求した。
- 階級は法で固定されないが、資産と教育の差は世代を越えて受け継がれる。開かれているはずの移動が、実際には容易ではなかった。
| 身分制の社会 | 階級の社会 | |
|---|---|---|
| 位置を決めるもの | 生まれと法的な身分 | 生産の道具と資産 |
| 区別の根拠 | 法と慣習が明文で定める | 法のうえでは対等 |
| 上下の移動 | 原則として認められない | 制度上は開かれている |
| 不満の現れ方 | 反乱・身分どうしの闘争 | 労働争議と政党 |
| 決着をつける場 | 君主への請願 | 議会と団体交渉 |
階級のはしごの外側に置かれた人々
- イギリスは1807年に奴隷の貿易を廃止し、1833年には植民地における奴隷制そのものを廃止した。
- アメリカでは南北戦争のさなかの奴隷解放宣言を経て、憲法の修正によって廃止された。
- ブラジルでの廃止は1888年で、大陸の中では遅い部類にあたるとされる。
- ただし廃止されたのは人を所有する制度であって、砂糖やゴムを安く作らせたいという需要が消えたわけではない。
- そこでインドや中国から年季を定めて契約した労働者が送り出され、カリブ海・東南アジア・アフリカ南部・太平洋の島々へ渡った。
- 移り住んだ人々は現地の社会と混ざりきらず、出身ごとに就く仕事が分かれる複合社会が各地に生まれた。
- その結果、法的な身分の区別は消えても、出身や肌の色による区別が働く場に残った。
アメリカで階級の対立が比較的おだやかだった理由として、西へ行けばまだ土地が残っていたことが挙げられます。賃金で働く人が土地の持ち主になり直す道が開かれていれば、いまの立場は一生の立場ではなくなるからです。そのかわりにヨーロッパでは階級のあいだの対立として現れたものが、アメリカでは移民どうし、あるいは人種のあいだの区分として現れやすかったとされ、社会主義の政党が伸びにくかった背景の一つに数えられています。
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都市が膨らみ、そこで寿命が縮んだ
- 初期の工場は水の力を使うため川沿いに散らばっていたが、蒸気機関が広まると石炭の手に入りやすい場所へ集まった。
- 工場が集まれば人も集まる。マンチェスターやバーミンガムのような都市が短い年数で膨れ上がった。
- ところが住宅・水道・清掃の仕組みは、人の増え方に追いつかない。
- 労働者は工場のそばに詰め込まれ、日も当たらず風も通らない住まいに暮らした。
- 汚水と飲み水が分けられていないため、コレラやチフスが繰り返し流行した。
- 病気は貧しい地区で止まらない。放っておけば自分の家にも来る——この事実が、ようやく対策を動かした。
- 住まいの状態と死亡率の関係を示す調査が行われ、公衆衛生に関する法と上下水道の整備が進んだ。
- 都市の改造は、同時に騒ぎが起きたとき軍隊や警察が動きやすい広い道路を作る意味も持ったとされる。
| 都市で起きたこと | そこから生まれた仕組み |
|---|---|
| 住宅の過密 | 住まいの構造や密度に関する規制 |
| 汚水と飲み水の混在 | 上下水道の敷設と衛生の行政 |
| 伝染病の流行 | 統計調査と、公権力による介入 |
| 煤煙と河川の汚れ | 排煙や排水に対する規制の始まり |
| 働く子どもの増加 | 就学を義務づける制度の整備 |
ここで一つ、時代を越えた比較を置いておきます。古代ローマは水道橋で遠くから水を引き、大規模な下水を備えていました。技術の水準ではるかに進んでいるはずの19世紀の工業都市が、当初はその水準に届いていなかったのです。理由ははっきりしています。ローマの水道は国家が威信をかけて造る公共の事業だったのに対し、工業都市の住宅と水は、はじめ私人の採算に任されていたからです。技術が進むことと、暮らしが良くなることは、自動的にはつながりません。誰がその費用を負担するかが決まって初めて、生活の側が動きます。
守る制度と、変える思想 — 不満はどこへ向かったか
なぜ女性と子どもから規制されたのか
- 機械化によって、糸をつなぐような作業は力の強さより手先の細かさで足りるようになった。
- そこで賃金の低い女性と子どもが大量に雇われ、炭鉱では狭い坑道を通れることを理由に子どもが使われた。
- 規制を求める声には、「当事者どうしが結んだ契約に国家が口を出すべきではない」という強い反論があった。
- ところが子どもは、自分の意思で契約を結べない存在と見なされる。ここだけは、契約の自由という原則を壊さずに規制できた。
- だから保護は年少者から始まった。1833年の工場法は年齢に応じた労働時間の上限を定め、工場監督官を置いた。
- 1842年には女性と年少者の坑内での労働が禁じられたとされ、1847年の法は女性と年少者の労働時間を10時間に制限した。
- 機械は連続して動くため、年少者の時間を区切ると、工場全体の操業の時間も制約を受ける面があった。
- つまり一部を守る規制が、結果として全体の働き方を動かした。のちに規制は成人の男性へも広がっていく。
団結の禁止から、労働組合と社会保険へ
- 当初は、労働者が集まって条件を交渉すること自体が団結禁止法によって禁じられていた。
- 機械そのものを壊すラダイト運動は、交渉の道がふさがれていた時期の抵抗の形である。
- 1824年に団結の禁止が解かれ、労働組合が合法な存在として認められていった。
- はじめは腕のある熟練工の組合が中心で、のちに技術を持たない労働者を含む組合へ広がった。
- ドイツではビスマルクが社会主義者鎮圧法で運動を抑える一方、疾病・災害・養老の保険を整えた。
- これは世界でも早い時期の社会保険とされ、抑えることと守ることを組み合わせた政策であった。
- 国家が保険を作った理由は慈善ではない。働き手と兵士が健康でなければ、国の力そのものが保てないからである。
- ここから国家が個人の生活の面倒を引き受けるという、20世紀の考え方が始まった。
イギリスでは労働組合や共済の団体が先に育ち、国家による保険は遅れて整えられました。ドイツでは順序が逆で、国家が先回りしています。後から工業化した国ほど、市場や民間が用意できないものを国家が先に用意する——経済の分野で見た後発国のやり方が、社会政策の分野でもそのまま繰り返されているのです。「制度の順序は、その国がいつ工業化を始めたかで決まる」と押さえておくと、日本の官営工場や社会政策も同じ枠で読めます。
社会主義は三段階で並ぶ
- 初期の社会主義は、理想の共同体を実際に作って範を示すことを目指した。オーウェンは自らの工場で労働条件を改め、共同体の建設も試みた。
- サン=シモンやフーリエも、産業社会のあるべき設計を構想した。これらはのちに空想的社会主義と呼ばれる。
- マルクスとエンゲルスは、社会の移り変わりを階級の対立から説明し、『共産党宣言』を著した。
- マルクスは『資本論』において、資本主義の仕組みそのものの分析に踏み込んだ。
- 各国の運動を結ぶ組織として第1インターナショナルが作られ、のちに第2インターナショナルが結成された。
- 19世紀の末になると、選挙権が広がり、労働者の生活の条件も改善に向かい始めた。
- そこでベルンシュタインは、革命によらず議会を通じた段階的な改革で目的は達せられると説いた(修正主義)。
- イギリスではフェビアン協会が同じ方向を唱え、労働組合とともに労働党の結成へつながった。
| 型 | 考え方 | 代表的な人物 |
|---|---|---|
| 空想的社会主義 | 模範となる共同体を作って示す | オーウェン・サン=シモン・フーリエ |
| マルクス主義 | 階級の対立から社会の変化を説明する | マルクス・エンゲルス |
| 修正主義 | 議会と選挙で段階的に改める | ベルンシュタイン |
| 革命の路線 | 議会の道が乏しい国で保たれた | レーニンら |
なぜ同じ思想が、国によって別々の道を選んだのでしょうか。答えは思想の中身ではなく、その国の政治の仕組みにあります。議席を得られる国では、革命よりも選挙のほうが確実で安全です。ドイツでは社会民主党が議会で議席を伸ばし、イギリスでは労働党が生まれました。これに対しロシアでは議会の力が弱く、合法的に活動できる余地が乏しかったため、体制そのものの転換を説く路線が保たれます。制度が開いていれば議会へ、閉じていれば革命へ——この対応関係は、20世紀の各国の歩みを読むときの物差しになります。
入試で狙われるポイント総覧
- 近代社会の骨格=生産の場が工場へ移り、生産の道具の所有が上下を決めた
- 第1次囲い込み=羊毛・禁止令/第2次囲い込み=穀物・議会立法。賃金労働者を生んだのは第2次
- 新しい階級=資本家と労働者、これに厚みを増した中産階級
- 1832年の第1回選挙法改正は産業資本家まで。労働者はチャーティスト運動で参政権を要求
- 都市化=過密な住宅・上下水道の不備・コレラの流行→公衆衛生の行政が生まれる
- 工場法は年少者と女性から。1833年に工場監督官、1842年に坑内労働の禁止、1847年に10時間の制限
- 団結禁止法の廃止で労働組合が合法化。ラダイト運動はそれ以前の抵抗
- ビスマルクの社会保険は社会主義者鎮圧法と一組の抑圧と保護
- 社会主義=空想的(オーウェンら)→ マルクス主義 → 修正主義(ベルンシュタイン)、組織は第1・第2インターナショナル
- Q1. 第2次囲い込みの目的と進め方を答えよ。
- A. 穀物の増産を目的とし、議会の立法にもとづいて行われた
- Q2. 近代の社会で、人の位置を決めるようになった基準を答えよ。
- A. 生産の道具を所有しているかどうか(資産と経済的な立場)
- Q3. 工場法による保護が年少者から始まった理由を答えよ。
- A. 自分の意思で契約を結べない存在とされ、契約の自由という原則を崩さずに規制できたため
- Q4. ビスマルクの社会政策が持つ二つの面を答えよ。
- A. 社会主義者鎮圧法で運動を抑える一方、疾病・災害・養老の保険を整えた
- Q5. 修正主義を唱えた人物と、その主張を答えよ。
- A. ベルンシュタイン。革命によらず議会を通じた段階的な改革で目的を達するという主張
- Q6. 奴隷制の廃止後、プランテーションの働き手を補ったのは何か。
- A. インドや中国から送り出された年季契約の労働者
よくある質問
- 近代の社会史は、どこから手をつければよいですか?
- 「生産の場がどこにあるか」から始めてください。家と農地で作っていた時代から、工場に集まって作る時代へ移った——この一点を置くと、働き手の作られ方、都市の膨張、規制の登場、思想の展開が同じ線の上に並びます。用語を先に覚えるより順序が定着します。
- 囲い込みが2回あるのが覚えにくいです。
- 目的で分けてください。第1次は羊毛のため、第2次は穀物のためです。政府の姿勢も逆で、第1次には禁止令が出され、第2次は議会の立法で進みました。工業化の働き手を生んだのは第2次のほうだ、と結びつけておけば取り違えません。
- 工場法や社会保険は、政府が優しくなったということですか?
- そう書くと減点されます。衛生の悪化が上層にも及んだこと、働き手と兵士が健康でなければ国力が保てないこと、運動を抑えるには何かを与える必要があったこと——理由は現実的です。「必要に迫られて制度になった」と書くのが正確です。
- 社会主義は人名が多すぎて整理できません。
- 三段階で並べると崩れません。共同体を作って示す段階(オーウェンら)、階級の対立で説明する段階(マルクスとエンゲルス)、議会で議席を取りに行く段階(ベルンシュタイン、フェビアン協会)です。ロシアで革命の路線が残った理由も、議会の道が狭かったからだと説明できます。
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