中世の社会を整理する|土地に縛られる人と、逃れる人

中世の社会を整理する|土地に縛られる人と、逃れる人
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中世の社会は「身分が固定されていた」と覚えがちですが、正確には「その場所から動けるかどうか」で人生が決まった社会です。領主は農民を土地に縛ることで富を得て、その縛りから抜ける数少ない出口が都市でした縛る力と、逃れる力——この綱引きとして、中世の社会を一本に通します。

中世社会は「動けるかどうか」で分かれていた

一言でいうと中世の社会とは、土地を持つ領主が、その土地から離れられない農民の労働によって支えられた社会。支配の核心は土地の所有そのものではなく、人の移動を禁じる力にあった。

なぜ移動の禁止が支配の要になるのか。理由は単純です。この時代の富は、ほぼ耕地からしか生まれません。そして耕地は、耕す人がいなければ石ころと同じです。領主にとっての資産とは、土地と、そこに貼りついた労働力の組み合わせでした。だから領主は、取り立てを強めることと同じくらい真剣に、人が出て行かないことにこだわったのです。

  1. 富の源泉が耕地に限られていたため、領主の力は抱えている農民の数に比例した。
  2. そこで領主は保有地を貸す見返りに労働と生産物を取り立て、同時にその土地を離れることを禁じた
  3. 移動を禁じられた農民が農奴であり、不自由の中身は「所有されること」ではなく「去る自由がないこと」であった。
  4. 11世紀以降、農法の改良で収穫が増え、売れる余りと貨幣が農村にも届くようになった。
  5. 余りが交換される場所に都市が育ち、そこは領主の裁判権が及びにくい区域となった。
  6. 縛られる側に行き先ができたことで、領主は取り立てを一方的に決められなくなった。
  7. 縛る力と逃れる力の綱引き——これが中世後期の社会を動かした主動力である。
近代の言葉を中世に持ち込まない「帝国主義」は19世紀後半に生まれた概念で、工業国が資本と軍事力で地球上を分割した段階を指します。十字軍やドイツ人の東方植民を「中世の帝国主義」と呼ぶのは時代錯誤であり、当時に相当する現象は対外拡大・征服・植民と呼び分けてください。中世の「自由」も同じで、近代的な個人の権利ではなく共同体に与えられた特権を意味します。用語を時代ごとに使い分けられるかどうかは、それ自体が入試の論点です。
支配の中身を一言で言い切る「農奴は移動の自由を持たない不自由民である」——この一文が答案の芯になります。日本世界史塾では、中世社会を問われたらまず「誰が、誰の移動を、何のために止めていたか」を書き出すよう指導しています。制度名の暗唱より、この一文のほうが得点になります。

荘園は何を取り、何を残したのか

農民が負ったもの 中身
賦役 領主直営地を無償で耕す労働。週あたりの日数が定められた
貢納 保有地からの収穫の一部を現物で納める
十分の一税 教会へ納める収穫の一部
結婚税・死亡税 他の荘園の者と結婚するとき、家長が死んだときの負担
施設の使用強制 領主の水車・パン焼き窯の使用を強いられ、使用料を取られた
裁判の罰金 荘園内の裁判は領主裁判権で領主が行い、罰金も領主の収入になった
  1. 荘園は領主直営地・農民保有地・共同利用地(森林や牧草地)から成り立っていた。
  2. 農民は保有地を耕して家族を養い、その合間に直営地でも働かされた。
  3. 領主は荘園の内部で裁判権を持ち、国王への納税を免れ、その役人の立ち入りも拒む不輸不入権を認められていた。
  4. つまり荘園は農業の単位であると同時に、徴税と裁判をあわせ持つ小さな政治単位でもあった。
  5. 農奴は市場で売り買いされる財産ではなく、保有地を子に継がせ、家族を持つことができた。
  6. しかし移動・結婚・相続という生活の節目のたびに領主の許可と負担が必要だった。
  7. 支配は毎日の暴力ではなく、節目ごとの手続きとして繰り返し確認されたのである。

人を土地に縛るという発想は、中世の発明ではありません。ローマ帝政の後期には、小作人であるコロヌスが移動を禁じられ、税収と耕作を確保する仕組みが作られました。中世の荘園制は、この末期ローマの慣行と、ゲルマン社会の従属関係とが重なって形をとったとされます「同じ縛り方が、帝国が崩れたあとも別の主人の手で続いた」——連続として見ると、荘園制は突然生まれた制度ではないことがわかります。

「中世の農民はみな農奴」ではない荘園には自由身分の農民も住んでおり、負担の重さも地域と時代で大きく違いました。「中世ヨーロッパの農民はすべて農奴であった」と書くと不正確です。「多くは農奴身分であったが、自由な保有農も存在した」と幅を残して書いてください。
賦役と貢納を取り違えない賦役は労働の提供、貢納は生産物の納入。この区別が頭に入っていないと、「賦役が貨幣で納められるようになった」という変化(地代の金納化)の意味が読めません。労働を直接取る支配から、金を取る関係へ——負担の形が変わることが、そのまま人の縛られ方の変化になります。
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三圃制が「余り」を作り、余りが逃げ場を作った

  1. 11世紀ごろから、耕地を春耕地・秋耕地・休耕地の三つに分け、年ごとに役割を回す三圃制が広まった。
  2. 休耕地には家畜を放ち、その糞が地力を戻したため、休ませながら地味を保つ循環が生まれた。
  3. 重量有輪犂が北方の重い土を深く耕せるようにし、水車が製粉の手間を減らした。
  4. 犂を引くには家畜が数頭必要で、村ぐるみで耕す慣行が生まれ、農民どうしの結びつきが強まった。
  5. 収穫が増えて人口が増加すると耕地が足りなくなり、大開墾運動が始まった。
  6. 森が切り開かれ、シトー修道会が開墾を担い、エルベ川以東への東方植民や低地の干拓が進んだ。
  7. 余った生産物は定期市で交換され、農村にも貨幣が流れ込んだ。
  8. 現金が手に入るなら、領主は労働そのものより金銭を望むようになる——ここから縛りが緩み始めた。

同じ「生産が増えた」でも、増えた分の行き先は地域によって違います。宋代の中国では、低湿地を堤で囲う囲田・圩田の造成と、日照りに強い占城稲の導入によって江南の収穫が伸び、「蘇湖(江浙)熟すれば天下足る」と言われるほどになりました。ところが増えた余りの多くは、科挙で選ばれた官僚が運営する国家に吸い上げられ、自治都市ではなく王朝の財政と都市の商業を太らせます。余りが誰の手元に残るかで、社会の骨格が変わるのです。

三圃制の説明を雑にしない「三年に一度休ませる制度」だけでは説明として足りません。要点は耕地を三分し、春播き・秋播き・休耕を年ごとに入れ替えることと、休耕地の放牧が地力を回復させるという循環です。ここまで書ければ、二圃制からの改良の意味が伝わります。
変化は必ず農業から書き起こす中世社会の変化を問われたら、農法 → 収穫 → 人口 → 開墾 → 市場 → 貨幣の順で並べてください。この順序を外すと、都市も貨幣地代も「ある日突然現れたもの」になってしまいます。原因を農業に置く癖をつけると、宋代の江南開発や近世ヨーロッパの農業改良にも同じ型が使えます。

逃れた先の階段と、東西で分かれた運命

自由は人ではなく場所についた

中世ドイツには「都市の空気は自由にする」という言い回しがありました。これは、生まれつきの身分が変わるという意味ではありません。特許状によって領主の裁判権の外に立った区域に入り、そこで一定の期間を過ごせば、もとの領主が連れ戻せなくなるという取り決めです。自由は個人に宿ったのではなく、その土地に付属していた——ここが近代の人権とはっきり違う点で、追及を免れるまでの期間はおよそ1年と1日であったとされます。

逃げ込んだ先にも階段があった

身分 立場
親方 工房と道具を持ち、同職ギルドの正規の構成員となる
職人 親方に雇われて賃金を得る。腕を磨いて親方を目指した
徒弟 住み込みで技術を学ぶ見習い。賃金はほとんどない
  1. 都市の市政は、はじめ商人ギルドを作った大商人が握っていた。
  2. 手工業者は同職ギルド(ツンフト)を結び、ツンフト闘争によって市政への参加を勝ち取った。
  3. ただしギルドの正規の構成員になれるのは親方だけであった。
  4. 後期には親方の地位が閉ざされ、職人が親方に上がる道は狭まったとされる。
  5. つまり都市は領主の支配からの自由を与えたが、内部の平等を与えたわけではない。
  6. 農村の身分から抜け出した先に、新しい階段が用意されていた。

黒死病のあと、西は緩み東は締まった

  1. 14世紀半ばの黒死病で人口が大きく減り、耕す人手が足りなくなった。
  2. 労働力が希少になれば、その値段は上がる。農民は条件の良い領主のもとへ移れるようになった。
  3. 領主は農民をつなぎ止めるため、賦役を減らし、地代を貨幣に切り替えた
  4. 取り分の減った領主が束縛を強め直そうとしたのが封建反動である。
  5. これに対しジャックリーの乱ワット=タイラーの乱などの農民反乱が起きた。
  6. イギリスでは束縛を解かれた独立自営農民(ヨーマン)が育った。
  7. 一方、16世紀ごろのエルベ川以東では、西ヨーロッパ向けの穀物輸出が有利になった。
  8. 領主は農民の移動を禁じて賦役を強め、農場領主制(グーツヘルシャフト)による再版農奴制が広がった。

そもそも縛り方が違う社会があった

地域 人の縛り方 特徴
西ヨーロッパ 土地に縛る 農奴制。都市への逃亡が縛りを緩めた
東ヨーロッパ あとから縛り直す 穀物輸出のため再版農奴制。都市が弱く逃げ場が乏しい
イスラーム世界 徴税権を配る イクター制(ブワイフ朝・セルジューク朝)。土地の世襲的所有ではない
オスマン帝国 信仰で分ける 軍人にはティマール制で徴税権を与え、非ムスリムはミッレトにまとめたとされる
中国(宋以降) 試験で選び直す 士大夫が地主となり、佃戸が小作。身分は世襲で固定されない

この表の左端と右端を並べると、中世世界の幅が見えます。西ヨーロッパでは、支配層になる道が生まれで決まり、農民は土地から動けませんでした。これに対し中国では、科挙という試験が制度上は誰にでも開かれ、支配層の顔ぶれが入れ替わりました。佃戸は地主の土地を借りて耕しましたが、身分として土地に緊縛されていたわけではないとされます「固定して縛る社会」と「入れ替えて安定させる社会」——同じ時代に、正反対の設計が並んでいたのです。

ミッレトとイクター制を封建制と混ぜないイクター制やティマール制は、土地そのものを世襲の財産として与える制度ではなく、徴税権を与える仕組みです。ミッレトも土地の制度ではなく、信仰ごとに共同体を分けて統治する仕組みで、オスマン帝国のもとで整えられたとされます。「イスラーム世界にも封建制があった」と単純に書くと減点されます
同じ時期の逆向きを一組で書く「西ヨーロッパで農奴が解放へ向かったのと同じころ、エルベ川以東では農民が新たに縛られた」——この一文を書けると、論述の評価が一段上がります。理由まで添えるなら、「西の人口回復が穀物需要を生み、東の領主がそれに応えたから」同じ原因が、場所によって逆の結果を生むという書き方は、価格革命や大西洋三角貿易にも応用できます。

入試で狙われるポイント総覧

  • 中世社会の骨格=荘園(領主直営地・農民保有地・共同利用地)農奴
  • 農奴の不自由の核心は移動の禁止。負担は賦役(労働)・貢納(生産物)・十分の一税・結婚税・死亡税
  • 領主の特権=領主裁判権不輸不入権
  • 生産の増加=三圃制・重量有輪犂・水車、続いて大開墾運動・東方植民
  • 「都市の空気は自由にする」=一定期間(およそ1年と1日とされる)都市に住めば連れ戻されない
  • 都市の運営=商人ギルド同職ギルド(ツンフト)ツンフト闘争、身分は親方・職人・徒弟
  • 黒死病→労働力不足→地代の金納化封建反動ジャックリーの乱・ワット=タイラーの乱ヨーマン
  • 東ヨーロッパは逆に農場領主制(グーツヘルシャフト)・再版農奴制
  • 他地域との対比=イクター制・ティマール制(徴税権)/ミッレト(信仰別の自治)/士大夫と佃戸(科挙による流動)
共通テストでの出方「農奴は売買される奴隷であった」は誤り(保有地と家族を持てた)。「黒死病のあと、ヨーロッパ全体で農民の地位が上がった」も誤り(エルベ川以東では逆に束縛が強まった)。「ツンフトは大商人の組合である」も誤り(手工業の親方の組合)。加えて「中世ヨーロッパの対外拡大を帝国主義と呼ぶ」も誤り——帝国主義は19世紀後半の概念です。この4つは繰り返し出ます
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 中世ヨーロッパの荘園を構成した3種の土地を答えよ。
A. 領主直営地・農民保有地・共同利用地
Q2. 賦役と貢納の違いを答えよ。
A. 賦役は領主直営地での労働、貢納は保有地からの生産物の納入
Q3. 三圃制における耕地の三区分を答えよ。
A. 春耕地・秋耕地・休耕地
Q4. 同職ギルドの内部の身分を上位から順に答えよ。
A. 親方・職人・徒弟
Q5. 16世紀ごろのエルベ川以東で広がった、輸出用穀物を賦役で生産させる農場経営を何というか。
A. 農場領主制(グーツヘルシャフト)
Q6. 宋代以降の中国で、地主の土地を借りて耕作した小作人を何というか。
A. 佃戸

よくある質問

農奴と奴隷はどこが違うのですか?
売り買いされるかどうかが分かれ目です。農奴は主人の財産として取引される存在ではなく、保有地を耕して家族を養い、収穫の一部を手元に残せました。その代わり荘園を去ることを禁じられ、結婚や相続にも領主の許可と負担が必要でした。
なぜ都市へ行くと自由になれたのですか?
都市が特許状によって領主の裁判権の外に置かれていたからです。そこで一定の期間(およそ1年と1日とされる)を過ごせば、もとの領主は連れ戻せなくなりました。自由が個人ではなく場所に付いていた点が、近代の人権との違いです。
黒死病のあと、東ヨーロッパでは農民の地位が下がったのはなぜですか?
西ヨーロッパ向けの穀物輸出が有利になったからです。領主は輸出用の穀物を作らせるために農民の移動を禁じ、賦役を強めました。東ヨーロッパは都市の力が弱く、逃げ込む先が乏しかったことも重なっています。
この単元は論述でどう使えますか?
「人をどうやって土地に縛り、どうやって解いたか」という軸で地域を横断できます。西ヨーロッパの農奴制、東ヨーロッパの再版農奴制、イスラーム世界の徴税権の授与、中国の科挙と佃戸を並べれば、比較を求める設問に材料を出せます。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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