国際経済の世界史|自由貿易と保護貿易は交互に来る

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国際経済史にははっきりした周期があります——「順調なときは自由貿易、危機のときは保護貿易」。19世紀の自由貿易 → 恐慌後のブロック経済 → 戦後の自由貿易体制 → 危機のたびに揺れ戻す。しかも「自由貿易を唱えるのは、いつも最も強い国」。この2つの法則で、経済史がまとまります。
自由貿易は「強者の主張」である
一言でいうと国際的な貿易と通貨の仕組みの歴史。自由貿易と保護貿易のいずれが優勢かは、各国の経済力と、危機の有無によって変わってきた。
- 重商主義の時代、各国は輸出を促し輸入を抑える政策をとった。
- アダム=スミスが自由な経済活動の意義を説いた。
- 産業革命により圧倒的な生産力を得たイギリスが、自由貿易を主張した。
- 穀物法の廃止と航海法の廃止により、自由貿易体制が確立した。
- 一方、後発国のドイツではリストが保護貿易を唱えた。
- アメリカも北部の工業を守るため保護関税を求めた。
- つまり「自由貿易を唱えるのは最も競争力のある国、保護を求めるのは追う国」という構図であった。
「立場が主張を決める」自由貿易と保護貿易は、どちらが正しいかの問題ではなく、その国の立場の問題です。「先に工業化した国は自由競争を望み、追う国は保護を望む」——南北戦争の対立軸(北部=保護関税/南部=自由貿易)もこれで説明できます。日本世界史塾では、この一文を経済史の総原則として教えます。
アヘン戦争の名目イギリスは「自由貿易」の名のもとに、清の管理貿易を打破しようとしました。「自由貿易の主張は、しばしば強者が市場をこじ開けるための論理でもあった」——門戸開放宣言も同じ構図です。
戦間期 — 危機がブロック化を招く
- 第一次世界大戦により、ヨーロッパが疲弊しアメリカが債権国となった。
- 戦後、金本位制への復帰が試みられた。
- アメリカの資本がドイツへ流れ、ドイツが賠償を払い、英仏が戦債を返すという循環が成立した。
- 世界恐慌により、この循環が断ち切られた。
- 各国は関税を引き上げ、世界貿易が縮小した。
- イギリスとフランスは植民地を囲い込むブロック経済をとった。
- 植民地を持たない国は市場を閉ざされ、対外進出へ向かった。
- この対立が第二次世界大戦の経済的な背景となった。
「保護は個々に合理的、全体で破滅的」各国が自国産業を守るため関税を上げた結果、世界貿易が縮小し、全員が損をしました。「個々の合理的な判断が、全体では最悪の結果を生む」——この教訓が、戦後のGATTという仕組みを生みました。因果として書いてください。
「持てる国と持たざる国」ブロック経済は、植民地を持つ国だけが取りうる選択でした。持たざる国(独伊日)が対外進出を選んだ背景として、必ず書いてください。
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戦後 — 二度と同じ失敗をしないために
| 枠組み | 目的 |
|---|---|
| IMF(国際通貨基金) | 為替の安定 |
| 国際復興開発銀行(世界銀行) | 復興と開発への融資 |
| GATT | 関税の引き下げと自由貿易の維持 |
| ブレトン=ウッズ体制 | 金・ドル本位制と固定相場制 |
- 戦間期の失敗の裏返しとして、戦後の枠組みは設計された。
- 為替の不安定→IMF、復興資金の不足→世界銀行、関税引き上げ競争→GATT。
- 金1オンス=35ドルで交換を保証し、各国通貨をドルに固定した。
- しかしベトナム戦争の戦費などでアメリカの財政が悪化した。
- 1971年、ドルと金の交換が停止され、変動相場制へ移行した。
- 1973年の石油危機が重なり、世界経済は転換期を迎えた。
- その後、GATTはWTOへ発展し、自由貿易の枠組みが強化された。
- 一方、地域統合(EU・ASEAN・北米)も並行して進んだ。
「戦後秩序は失敗の裏返し」国連は国際連盟の失敗の、ブレトン=ウッズ体制は戦間期の経済的失敗の裏返しとして設計されました。「戦後の制度は、何を防ごうとしたかで理解する」——この見方で書くと、制度の羅列が意味を持ちます。
順序に注意ドル=ショック(1971)→ 変動相場制 → 石油危機(1973)。「石油危機がブレトン=ウッズ体制を崩した」は誤りです。崩壊が先、石油危機が後——共通テストで狙われます。
グローバル化とその揺り戻し
- 冷戦の終結により、市場経済が世界規模に広がった。
- WTOの発足、情報技術の発達、輸送費の低下が結びつきを強めた。
- 生産が国境を越えて分業されるようになった。
- 新興国が輸出志向の工業化で成長した。
- 一方で格差の拡大や産業の空洞化という問題も生じた。
- 通貨危機のように、資本の急激な移動が経済を揺るがす事態も起きた。
- 近年は保護的な政策への揺り戻しも見られる。
| 時期 | 優勢だった立場 |
|---|---|
| 重商主義の時代 | 保護 |
| 19世紀(英の全盛) | 自由貿易 |
| 戦間期(恐慌後) | 保護(ブロック経済) |
| 戦後〜冷戦期 | 自由貿易(GATT) |
| 冷戦後 | グローバル化 |
| 近年 | 揺り戻し |
「振り子で理解する」自由貿易と保護貿易は、危機のたびに入れ替わってきました。「順調なときは自由、危機のときは保護」——経済政策の振り子(自由放任→大きな政府→小さな政府)とあわせて、2つの振り子で20世紀の経済史がまとまります。
答案での書き方グローバル化については、利益(効率・成長)と課題(格差・不安定)の両方に触れてください。一方だけを書くと、評価の偏った答案になります。
入試で狙われるポイント総覧
- 自由貿易を唱えるのは最も競争力のある国、保護を求めるのは追う国
- 穀物法・航海法の廃止でイギリスの自由貿易体制が確立
- リストがドイツで保護貿易を主張
- 恐慌後=関税引き上げとブロック経済、持たざる国は対外進出へ
- 戦後=IMF・世界銀行・GATT、ブレトン=ウッズ体制(金・ドル本位制)
- 1971年ドル=ショック→変動相場制→1973年石油危機の順
- GATTからWTOへ
- 地域統合=EU・ASEAN・北米
- グローバル化には効率と成長、格差と不安定の両面がある
共通テストでの出方「石油危機によりブレトン=ウッズ体制が崩壊した」は誤り(崩壊は1971年が先)。「リストは自由貿易を主張した」も誤り(保護貿易)。「ブロック経済はすべての国が採用した」も誤り(植民地を持つ国のみ可能)。この3つは定番です。
この記事の一問一答(確認テスト)
- Q1. 自由貿易と保護貿易のどちらを主張するかを決めるものは何か。
- A. その国の競争力——最も競争力のある国は自由貿易、追う国は保護を求める
- Q2. イギリスの自由貿易体制を確立した2つの法の廃止を答えよ。
- A. 穀物法と航海法
- Q3. ドイツで保護貿易を唱えた人物は。
- A. リスト
- Q4. 戦後の国際経済を支えた3つの枠組みを答えよ。
- A. IMF・国際復興開発銀行(世界銀行)・GATT
- Q5. ブレトン=ウッズ体制が崩れた出来事と年を答えよ。
- A. ドル=ショック(金とドルの交換停止)、1971年
- Q6. 恐慌後に各国が関税を引き上げた結果を答えよ。
- A. 世界貿易が縮小し、全体としてより深刻な事態を招いた
よくある質問
- 自由貿易と保護貿易のどちらが正しいのですか?
- 正しさの問題ではなく、その国の立場の問題です。先に工業化した国は自由競争を望み、追う国は保護を望みます。イギリスの自由貿易主張とドイツのリストの保護貿易論がその典型です。
- なぜ恐慌後にブロック経済になったのですか?
- 各国が自国産業を守るため関税を引き上げた結果です。ただしブロック経済は植民地を持つ国だけが取りうる選択で、持たざる国は市場を閉ざされ対外進出へ向かいました。
- 戦後の国際経済の仕組みはなぜ作られたのですか?
- 戦間期の失敗の裏返しです。為替の不安定にはIMF、復興資金には世界銀行、関税引き上げ競争にはGATTが対応しました。国連が国際連盟の失敗の裏返しなのと同じ設計思想です。
- ブレトン=ウッズ体制はいつ崩れたのですか?
- 1971年のドル=ショックです。石油危機(1973年)より前であり、この順序は共通テストで狙われます。
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この記事について
世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。
藤
藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。
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