インド大反乱とインド帝国とは?会社の支配から国家の支配へ

インド大反乱とインド帝国とは?会社の支配から国家の支配へ
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インド大反乱は「宗教的な誤解から起きた兵士の反乱」と説明されがちですが、それでは足りません。本質は「会社が国を支配するという異常な状態が限界を迎え、イギリス国家による直接支配に切り替わった」こと。一つの民間企業が一国を統治していたという前提から押さえてください。

前提 — 会社がなぜ国を支配できたのか

一言でいうと1857年に始まった、インドにおける大規模な反英闘争。シパーヒーの蜂起から広がり、ムガル皇帝を擁して各層が参加した。鎮圧後、東インド会社は解散し、インド帝国が成立した。
  1. プラッシーの戦い(1757年)でイギリス東インド会社がフランスとベンガル太守の連合軍を破った。
  2. 会社はベンガルの徴税権(ディーワーニー)を得て、商業組織から統治機構へ変質した。
  3. マイソール戦争・マラーター戦争・シク戦争を通じて支配領域を拡大した。
  4. 土地制度としてザミンダーリー制(北部。地主に納税義務)とライヤットワーリー制(南部。農民に直接課税)を導入した。
  5. 産業革命後、イギリスは機械織りの綿布をインドへ輸出し、インドの伝統的な綿織物業は壊滅した。
  6. インドは綿花・藍・アヘンなどの原料供給地へ転落した。
「輸出国が輸入国になる」インドはもともと世界最大の綿織物の輸出国でした。それがイギリス製綿布の輸入国に転落したのです。「産業革命は、他国の産業を破壊することで進んだ」——この因果は、産業革命・帝国主義・インド史のどこから問われても使えます。
アヘンの三角貿易会社はインドで栽培したアヘンを中国へ売り、中国から茶をイギリスへ運びましたインドはこの三角貿易の中に組み込まれていたのです。アヘン戦争を論じるときは、必ずインド側から見る視点を入れてください。

反乱の経過 — 誰が、なぜ参加したか

  1. 会社に雇われたインド人傭兵をシパーヒーという。
  2. 新式銃の薬包に牛と豚の脂が使われているという噂が広がり、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の双方の宗教的な感情を害した。
  3. 1857年、シパーヒーが蜂起し、デリーを占領してムガル皇帝を擁立した。
  4. 旧支配層の藩王、土地を失った地主、重税に苦しむ農民、職を失った手工業者など各層が参加した。
  5. しかし統一した指導部と綱領を欠き、参加者の目的もばらばらだった。
  6. イギリスは兵力を集中し、1858年から59年にかけて鎮圧した。
  7. ムガル帝国は滅亡し、皇帝は流刑となった。
薬包は「きっかけ」であって「原因」ではない答案で薬包の話だけを書くと、ほぼ点になりません「藩王国の併合による旧支配層の没落、土地制度の変更、伝統産業の破壊、重税——という積み重なった不満が、薬包の噂を機に噴出した」と書いてください。きっかけと原因を区別するのは論述の基本作法です。
なぜ失敗したのか①統一した指導部がなかった ②参加者の目的が異なった(藩王は旧体制の回復、農民は減税) ③一部の藩王国はイギリス側についた ④シク教徒など協力した勢力もあった「共通の敵はいたが、共通の目標がなかった」——1848年革命とも共通する失敗の型です。
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インド帝国 — 統治の方法が変わった

反乱前 反乱後
統治主体 東インド会社 イギリス政府による直接統治
君主 ムガル皇帝が名目上存続 ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねる(1877年)
現地勢力 藩王国を次々に併合 藩王国を存続させ、間接統治に利用
宗教 キリスト教布教への警戒を招く 宗教への介入を控える
シパーヒー中心 編成を変え、民族・宗教別に分けて統制
  1. 1858年、東インド会社は解散し、イギリス政府が直接統治に乗り出した。
  2. 1877年、ヴィクトリア女王がインド皇帝となり、インド帝国が成立した。
  3. イギリスは反乱の教訓から、藩王国を残して利用し、宗教や慣習への直接の介入を避けた
  4. 同時に分割統治——宗教・カースト・地域の違いを利用して団結を妨げる方針をとった。
  5. 鉄道と灌漑が整備されたが、原料の搬出と製品の搬入に有利な形であった。
「間接統治への転換」直接支配を強めると反発を招く——だから現地の支配者を残して利用する。この転換はアフリカにおけるイギリスの間接統治とも共通します。「支配の合理化」という視点で書けると強い。

民族運動へ — 会議派と連盟の分岐

  1. イギリスは知識人層の意見を吸い上げるため、1885年にインド国民会議を発足させた。当初は穏健な組織であった。
  2. しかしベンガル分割令(1905年)が、ヒンドゥー教徒とイスラーム教徒を分断する意図を持つと受け取られ、反発が爆発した。
  3. 1906年のカルカッタ大会で、英貨排斥・スワデーシ(国産品愛用)・スワラージ(自治獲得)・民族教育の4綱領が決議された。
  4. 同年、イギリスの支援もあって全インド=ムスリム連盟が結成された。
  5. 第一次世界大戦後、ガンディー非暴力・不服従の運動を指導し、大衆的な運動へ発展した。
  6. 塩の行進など象徴的な行動により、運動は国際的な注目を集めた。
  7. 最終的に独立は実現したが、ヒンドゥーとムスリムの分離という形をとった。
分割統治の長期的な結果ベンガル分割令は撤回されましたが、宗教による分断という発想はその後も残りました「分割統治が、独立後の分離という形で実を結んでしまった」——この長期的な因果を書けると、答案に深みが出ます。日本世界史塾では、インド近代史を「一つの反乱、二つの民族運動、そして分離独立」という3段階で教えています。
4綱領は必ず覚える英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育の4つはセットで問われます。スワデーシ=国産品愛用、スワラージ=自治獲得——この2語の訳を取り違える受験生が非常に多い。

入試で狙われるポイント総覧

  • プラッシーの戦いディーワーニー(徴税権)取得→会社が統治機構へ
  • 土地制度=ザミンダーリー制(北)ライヤットワーリー制(南)
  • インドは綿織物の輸出国から、綿布の輸入国・原料供給地へ転落
  • 反乱のきっかけは薬包の噂、原因は藩王国併合・土地制度・重税・伝統産業の破壊
  • 反乱の主体はシパーヒームガル皇帝を擁立→ムガル帝国滅亡
  • 東インド会社の解散(1858年)→ヴィクトリア女王がインド皇帝(1877年)=インド帝国
  • インド国民会議(1885年)は当初穏健、ベンガル分割令で急進化
  • カルカッタ大会の4綱領=英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育
  • 全インド=ムスリム連盟(1906年)
共通テストでの出方「インド大反乱の原因は薬包の問題のみ」は不正確。「インド帝国の皇帝はムガル皇帝が務めた」は誤り(ヴィクトリア女王)。「スワラージは国産品愛用を意味する」も誤り(自治獲得)。この3つは定番です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 東インド会社がベンガルで獲得した徴税権を何というか。
A. ディーワーニー
Q2. インドの北部と南部で導入された土地制度をそれぞれ答えよ。
A. ザミンダーリー制とライヤットワーリー制
Q3. インド大反乱の中心となったインド人傭兵を何というか。
A. シパーヒー
Q4. インド大反乱の結果、解散した組織と滅亡した帝国を答えよ。
A. 東インド会社、ムガル帝国
Q5. 1877年にインド皇帝を兼ねた人物は。
A. ヴィクトリア女王
Q6. カルカッタ大会の4綱領を答えよ。
A. 英貨排斥・スワデーシ(国産品愛用)・スワラージ(自治獲得)・民族教育

よくある質問

インド大反乱の原因は薬包の問題ですか?
薬包はきっかけにすぎません。原因は藩王国の併合による旧支配層の没落、土地制度の変更、重税、伝統産業の破壊という積み重なった不満です。きっかけと原因の区別が論述の基本です。
なぜ東インド会社が国を統治していたのですか?
プラッシーの戦いのあとベンガルの徴税権を得たためです。商業組織が徴税を担ったことで統治機構へ変質しました。大反乱はこの異常な状態を終わらせ、政府による直接統治へ切り替える契機となりました。
反乱後、イギリスの統治はどう変わりましたか?
藩王国を残して利用する間接統治に転換し、宗教や慣習への直接の介入を避けました。同時に宗教やカーストの違いを利用する分割統治を進めています。
ベンガル分割令はなぜ重要ですか?
宗教による分断という発想が持ち込まれたからです。分割令自体は撤回されましたが、この発想は残り、最終的に独立がヒンドゥーとムスリムの分離という形をとる遠因となりました。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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