石油危機とは?資源が政治の武器になった日

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石油危機は「石油が高くなって不況になった」という話ではありません。本質は「資源を持つ側が、それを政治の武器として使えると証明した」こと。そして戦後の経済成長の時代が終わり、先進国が高度成長からの転換を迫られた——この2つが世界史での意味です。ブレトン=ウッズ体制の崩壊とセットで理解してください。
前提 — その前にドル体制が崩れていた
一言でいうと1973年の第4次中東戦争を機に、アラブ産油国が原油の減産と価格引き上げを行い、世界経済が混乱した出来事(第1次石油危機)。1979年のイラン革命を機に第2次石油危機が起きた。
多くの受験生が見落とすのが、石油危機の前年に、すでに戦後の国際経済秩序が揺らいでいたという点です。
- 戦後はブレトン=ウッズ体制——金1オンス=35ドルで交換を保証し、各国通貨をドルに固定する仕組み——が世界経済を支えていた。
- しかしアメリカはベトナム戦争の戦費と国内政策で財政が悪化し、ドルが大量に流出した。
- 西ヨーロッパと日本が復興し、アメリカの経済的優位が相対的に低下した。
- 1971年、ニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表した(ドル=ショック)。
- 各国は変動相場制へ移行し、ブレトン=ウッズ体制は終わった。
- その直後の1973年に石油危機が重なり、世界経済は二重の打撃を受けた。
順番が重要ドル=ショック(1971)→ 変動相場制 → 石油危機(1973)。この順序で覚えてください。「戦後の経済秩序が崩れかけていたところに、資源の衝撃が加わった」という因果で書けると、単なる暗記の答案とは差がつきます。
第1次石油危機 — 資源が武器になった
- 産油国は自国の資源が国際的な石油会社に支配されていることに不満を持ち、OPEC(石油輸出国機構)を結成していた。
- アラブの産油国はさらにOAPEC(アラブ石油輸出国機構)を組織した。
- 1973年、第4次中東戦争が勃発。
- OAPECはイスラエルを支援する国への輸出制限と減産を決め、OPECは原油価格を大幅に引き上げた。
- 石油価格が短期間で数倍になり、世界的なインフレと不況が同時に起きた。
- 先進国は省エネルギー・産業構造の転換・代替エネルギーへ舵を切った。
「資源ナショナリズム」この時期、産油国は石油の生産と価格の決定権を国際石油資本(メジャー)から取り戻しました。これを資源ナショナリズムといいます。「政治的独立のあとに、経済的独立が課題になった」——独立後の第三世界を論じる際の中心概念です。
スタグフレーション通常、不況なら物価は下がるはずです。ところがこのときは不況とインフレが同時に起きました。これをスタグフレーションといい、従来の経済政策(有効需要を作れば景気は回復する)が効かなくなったことを意味します。ここから「小さな政府」を掲げる政策への転換が始まります。
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何が変わったか — 4つの転換
| 分野 | 石油危機の前 | 石油危機の後 |
|---|---|---|
| 経済成長 | 先進国の高度成長 | 低成長へ転換 |
| 経済政策 | 大きな政府(福祉国家・需要調整) | 小さな政府(規制緩和・民営化)へ |
| 南北関係 | 先進国が一方的に優位 | 産油国の発言力が上昇、南南問題も表面化 |
| 国際協調 | 米国主導 | 先進国首脳会議(サミット)で協調 |
- 1975年、危機への対応を協議するため先進国首脳会議(サミット)が始まった。
- イギリスのサッチャー、アメリカのレーガンが、規制緩和・民営化・減税を進めた。
- 産油国は豊かになったが、資源を持たない発展途上国はさらに苦しくなった(南南問題)。
- 日本は省エネルギー技術と加工組立型産業への転換で危機を乗り越え、以後、輸出を伸ばした。
- ソ連は産油国として一時的に潤ったが、1980年代に石油価格が下落すると財政が悪化し、体制の行き詰まりが表面化した。
ソ連解体との関係「石油価格の下落がソ連経済を直撃した」という因果は、ペレストロイカやソ連解体を論じるときの有力な材料です。資源に依存する経済は、価格変動に対して脆い——この一般論まで書けると強い。
第2次石油危機と、中東の構図
- イランはパフレヴィー朝のもとで、アメリカの支援を受けて上からの近代化(白色革命)を進めていた。
- 急激な近代化と貧富の差、独裁への不満が高まった。
- 1979年、ホメイニを指導者とするイラン革命(イラン=イスラーム革命)で王政が倒れ、イスラーム共和国が成立した。
- 混乱で石油の生産が落ち、第2次石油危機が起きた。
- 革命の波及を恐れた隣国との間でイラン=イラク戦争が始まった。
「西欧化への反動」という視点イラン革命は「近代化=西欧化」という前提そのものへの異議申し立てでした。上からの急速な西欧化が、伝統的な価値による反発を生んだ——この構造はトルコのケマル改革やロシアの西欧化と比較できます。日本世界史塾では、この単元を「近代化のもう一つの答え」として扱っています。
中東の対立を単純化しない中東問題は①パレスチナ問題(イスラエルとアラブ)②宗派・民族の対立 ③石油をめぐる利害 ④冷戦下の米ソの介入という複数の層が重なっています。答案ではどの層の話をしているのかを明示してください。
入試で狙われるポイント総覧
- 前提=1971年のドル=ショック(金とドルの交換停止)と変動相場制への移行
- 第1次石油危機(1973年)のきっかけは第4次中東戦争
- OPEC(石油輸出国機構)とOAPEC(アラブ石油輸出国機構)の区別
- 資源ナショナリズム——生産と価格の決定権を取り戻す動き
- スタグフレーション(不況とインフレの同時進行)
- 対応としてサミット(先進国首脳会議、1975年〜)が始まった
- 小さな政府への転換(サッチャー・レーガン)
- 第2次石油危機(1979年)のきっかけはイラン革命(ホメイニ)
- 資源を持たない途上国との格差=南南問題
共通テストでの出方「石油危機によりブレトン=ウッズ体制が崩壊した」は誤り(崩壊は1971年のドル=ショックが先)。「OPECはアラブ諸国のみで構成される」も誤り(OAPECと混同させる定番)。前後関係と略称の区別が狙われます。
この記事の一問一答(確認テスト)
- Q1. 1971年にアメリカが行った、金とドルの交換停止を何というか。
- A. ドル=ショック(ニクソン=ショック)
- Q2. 第1次石油危機のきっかけとなった戦争は。
- A. 第4次中東戦争
- Q3. 石油輸出国機構とアラブ石油輸出国機構の略称をそれぞれ答えよ。
- A. OPECとOAPEC
- Q4. 不況とインフレが同時に進行する現象を何というか。
- A. スタグフレーション
- Q5. 1975年に始まった、先進国が経済問題を協議する会議は。
- A. 先進国首脳会議(サミット)
- Q6. 第2次石油危機のきっかけとなった出来事と、その指導者は。
- A. イラン革命、ホメイニ
よくある質問
- 石油危機の世界史での意味は何ですか?
- 資源を持つ側がそれを政治の武器として使えると証明したことと、先進国の高度成長が終わったことです。単なる経済事件ではなく、南北関係と経済政策の転換点です。
- ブレトン=ウッズ体制はいつ崩れたのですか?
- 石油危機より前の1971年です。ニクソン大統領が金とドルの交換を停止し、各国が変動相場制へ移行しました。この順序は共通テストで狙われます。
- スタグフレーションはなぜ問題なのですか?
- 従来の経済政策が効かなくなったためです。不況なら物価は下がるはずが、同時にインフレが進行しました。ここから規制緩和や民営化を掲げる「小さな政府」への転換が始まります。
- イラン革命はなぜ起きたのですか?
- パフレヴィー朝による上からの急激な近代化(白色革命)への反発です。貧富の差と独裁への不満が重なり、ホメイニを指導者とするイスラーム共和国が成立しました。
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この記事について
世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。
藤
藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。
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