パレスチナ問題の流れ|起源から現代までを因果でつなぐ

パレスチナ問題は、現代史で最も出題される地域紛争です。複雑に見えますが、起源は第一次世界大戦中のイギリスの多重外交という一点にあります。そこから中東戦争、和平交渉、現在に至るまでを一本の因果でつなげば、断片的な用語が整理されます。入試で必要な範囲を、順に押さえましょう。
起源 — イギリスの多重外交
| 協定・宣言 | 年 | 相手 | 内容 |
|---|---|---|---|
| フセイン・マクマホン協定 | 1915 | アラブ人 | オスマン帝国に対する反乱の見返りにアラブ人の独立を約束 |
| サイクス・ピコ協定 | 1916 | フランス(とロシア) | オスマン帝国領を英仏で分割する秘密協定 |
| バルフォア宣言 | 1917 | ユダヤ人 | パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設することを支持 |
背景には、19世紀末からのシオニズム(ユダヤ人が故地パレスチナに国家を再建しようとする運動)があります。ヨーロッパでの反ユダヤ主義の高まりが、この運動を後押ししました。ドレフュス事件が契機の一つとされます。
イスラエル建国と第1次中東戦争
- 戦後、パレスチナはイギリスの委任統治領となった。
- ユダヤ人の移住が進み、先住のアラブ人との対立が深まった。とくにナチスの迫害を逃れた移住が増加した。
- 第二次世界大戦後、ホロコーストへの国際的な同情もあり、ユダヤ人国家建設の機運が高まった。
- 1947年、国際連合がパレスチナ分割案を採択。ユダヤ人国家とアラブ人国家に分ける内容だったが、アラブ側は人口比に見合わないとして拒否した。
- 1948年、イスラエルが独立を宣言。同時に周辺アラブ諸国が攻撃し、第1次中東戦争(パレスチナ戦争)が勃発した。
- イスラエルが勝利し、分割案を超える領域を確保。多数のアラブ系住民が難民となった(パレスチナ難民問題の発生)。
この時点で「土地を追われた人々」という問題が生まれ、以後の紛争の核心となります。難民の帰還権をめぐる対立は、現在も解決していません。
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4次にわたる中東戦争
| 年 | きっかけ | 結果 | |
|---|---|---|---|
| 第1次 | 1948 | イスラエル建国 | イスラエルが勝利、パレスチナ難民の発生 |
| 第2次(スエズ戦争) | 1956 | エジプトのナセルによるスエズ運河国有化 | 英仏イスラエルが出兵するが国際的批判で撤退。英仏の影響力低下が明白に |
| 第3次(六日戦争) | 1967 | 緊張の高まり | イスラエルが圧勝し、ヨルダン川西岸・ガザ・ゴラン高原・シナイ半島を占領 |
| 第4次 | 1973 | アラブ側の攻撃 | アラブ産油国が石油戦略を発動し、第1次石油危機を引き起こした |
第3次戦争でイスラエルが占領したヨルダン川西岸とガザが、その後の占領地問題の中心になります。パレスチナ解放機構(PLO)が抵抗運動を組織し、アラファトが議長を務めました。
和平への模索と、現在まで
- 1978年、キャンプ=デーヴィッド合意。エジプトのサダト大統領がイスラエルと和平し、シナイ半島の返還を得た。ただし他のアラブ諸国から孤立し、サダトは暗殺された。
- 1987年、占領地でインティファーダ(民衆蜂起)が始まる。
- 1993年、パレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)。ラビン首相とアラファト議長が相互承認し、暫定自治が始まった。
- しかしラビンの暗殺、入植地の拡大、テロと報復の連鎖により、和平プロセスは停滞した。
- 現在も境界線・エルサレムの帰属・難民の帰還権・入植地という争点が残されている。
入試では、現在の政治的評価を求められることはありません。問われるのは歴史的経緯と因果です。誰が正しいかではなく、何がこの問題を生み、どう推移したかを客観的に説明できることが求められます。
論述での書き方と、頻出ポイント
「パレスチナ問題の歴史的背景を説明せよ」という設問には、次の4段で答えます。
- 19世紀末のシオニズム — ヨーロッパの反ユダヤ主義を背景に、ユダヤ人国家建設の運動が起こった。
- 第一次世界大戦中のイギリスの多重外交 — フセイン・マクマホン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言という矛盾する約束。
- 戦後の委任統治と移住の増加 — アラブ人との対立が深まる。
- 1948年のイスラエル建国と中東戦争 — 難民問題の発生と、占領地をめぐる対立の固定化。
- 三重の約束=フセイン・マクマホン協定/サイクス・ピコ協定/バルフォア宣言
- 1948年イスラエル建国 → 第1次中東戦争 → パレスチナ難民
- 第2次=スエズ戦争=ナセルの運河国有化=英仏の影響力低下
- 第3次=六日戦争=ヨルダン川西岸・ガザ・ゴラン高原の占領
- 第4次=石油戦略=第1次石油危機
- キャンプ=デーヴィッド合意(サダト)/オスロ合意(ラビンとアラファト)
- Q1. 第一次世界大戦中のイギリスの三重の約束を答えよ。
- A. フセイン・マクマホン協定・サイクス・ピコ協定・バルフォア宣言
- Q2. バルフォア宣言の内容と年を答えよ。
- A. 1917年、パレスチナにユダヤ人の民族的郷土建設を支持
- Q3. イスラエルが独立を宣言した年と、その直後に起きた戦争は。
- A. 1948年、第1次中東戦争
- Q4. スエズ運河を国有化したエジプトの指導者は。
- A. ナセル
- Q5. 第3次中東戦争でイスラエルが占領した地域を3つ挙げよ。
- A. ヨルダン川西岸・ガザ地区・ゴラン高原(ほかにシナイ半島)
- Q6. 1993年の暫定自治協定を結んだ双方の指導者は。
- A. ラビン首相とアラファト議長
よくある質問
- パレスチナ問題はいつから始まったのですか?
- 宗教対立は古くからありますが、現在の形の問題の直接の起源は第一次世界大戦中のイギリスの多重外交です。論述ではここから書き始めてください。
- なぜイギリスは矛盾する約束をしたのですか?
- 戦争を有利に進めるためです。アラブ人にはオスマン帝国への反乱を、ユダヤ人には資金と支持を期待し、フランスとは戦後の分割を取り決めました。短期的な戦略が長期の問題を生んだ例です。
- 中東戦争は世界史にどう影響しましたか?
- 第2次(スエズ戦争)は英仏の影響力低下を、第4次は石油戦略による第1次石油危機を通じて世界経済を直撃しました。中東の枠を超えた影響を持ちます。
- 入試で政治的な意見を書く必要はありますか?
- ありません。問われるのは歴史的経緯と因果です。誰が正しいかではなく、何がこの問題を生みどう推移したかを客観的に説明してください。
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