アフリカ史の完全まとめ|流れ・重要用語・入試頻出ポイント総覧

アフリカ史は、多くの受験生が「植民地にされた側」としてしか学ばずに終わります。しかし入試では金と塩の交易で栄えた王国群から出題され、しかも他の受験生が手薄なため差がつく分野です。「交易 → 王国 → 奴隷貿易 → 分割 → 独立 → 残された国境問題」という流れで整理しましょう。
アフリカ史の全体像を3分でつかむ
| 時期 | 地域 | できごと |
|---|---|---|
| 前後〜 | ナイル上流 | クシュ王国(メロエ)、アクスム王国(キリスト教を受容) |
| 8〜16世紀 | 西アフリカ | ガーナ・マリ・ソンガイ王国=金と塩の交易で繁栄 |
| 11〜19世紀 | 東アフリカ | スワヒリ諸都市(マリンディ・モンバサ・キルワ)=インド洋交易 |
| 11〜19世紀 | 南部 | モノモタパ王国、大ジンバブエ遺跡 |
| 16〜19世紀 | 西アフリカ沿岸 | 大西洋奴隷貿易 |
| 19世紀後半 | 全域 | アフリカ分割(ベルリン=コンゴ会議) |
| 20世紀 | 全域 | 独立と、直線的な国境が残した紛争 |
交易が生んだ王国群
西アフリカ — 金と塩
サハラ砂漠を越えるサハラ縦断交易では、南の金と北の岩塩が交換されました。この交易路を押さえた勢力が王国を築きます。
- ガーナ王国(7〜13世紀)— 金の産地を支配し繁栄。ムラービト朝の攻撃で衰退した。
- マリ王国(13〜15世紀)— マンサ=ムーサ王のメッカ巡礼が有名。大量の金を使ったためカイロの金価格が下落したと伝えられる。トンブクトゥがイスラーム学問の中心となった。
- ソンガイ王国(15〜16世紀)— トンブクトゥを引き継ぎ栄えたが、モロッコの攻撃で衰退した。
これらの王国に共通するのは、イスラームを受容したことです。ムスリム商人との交易を円滑にし、統治にイスラーム法と文字を利用できたためで、宗教が交易のインフラとして機能した例です。
東アフリカ — インド洋交易
季節風を利用したインド洋交易により、マリンディ・モンバサ・キルワなどのスワヒリ諸都市が栄えました。アラビア語とバントゥー系言語が混ざってスワヒリ語が成立します。明の鄭和の艦隊もこの地域に到達しました。
内陸ではモノモタパ王国が金の交易で栄え、大ジンバブエの石造遺跡を残しています。
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奴隷貿易 — アフリカが失ったもの
16世紀以降、アメリカ大陸のプランテーションで労働力が必要になり、大西洋三角貿易が成立しました。
- ヨーロッパ → アフリカ:武器・雑貨
- アフリカ → アメリカ:黒人奴隷
- アメリカ → ヨーロッパ:砂糖・タバコ・綿花
- 数世紀にわたり、働き盛りの人口が大量に流出した。
- 奴隷を獲得するための戦争が助長され、地域社会が破壊された。
- 武器を得た沿岸の勢力が内陸を襲うという構造が生まれた。
- 結果としてアフリカ社会の発展が長期にわたり阻害された。
- 一方、貿易で富を得たリヴァプールやブリストルの資本がイギリスの産業革命を支えた。
19世紀に入ると、産業革命の進展で奴隷より原料と市場が求められるようになり、イギリスは1807年に奴隷貿易を、1833年に奴隷制を廃止しました。人道的動機だけでなく経済構造の変化があった点も押さえてください。
アフリカ分割と独立
- リヴィングストンやスタンリーの探検で内陸の情報がもたらされた。
- ベルギー国王レオポルド2世のコンゴ進出をきっかけに、1884〜85年のベルリン=コンゴ会議で先占権(実効支配した国が領有)の原則が定められた。
- イギリスは縦断政策(カイロ・ケープ・カルカッタ=3C政策)、フランスは横断政策を採り、1898年のファショダ事件で衝突したがフランスが譲歩した。
- イギリスは南アフリカ戦争でブール人(オランダ系)の国を併合し、金とダイヤモンドを獲得した。
- 20世紀初頭、独立を保ったのはエチオピア(イタリアを撃退)とリベリアのみとなった。
- 第二次世界大戦後に独立運動が高揚し、1960年は「アフリカの年」として17か国が独立した。
- アフリカ統一機構(OAU)、のちアフリカ連合(AU)が結成された。
しかし独立後も困難が続きます。最大の原因は植民地時代の国境がそのまま国境になったことです。
- 民族分布を無視した直線的な国境が、内戦や分離独立運動を生んだ(コンゴ動乱、ビアフラ戦争、ルワンダの悲劇など)
- モノカルチャー経済により、特定の一次産品の国際価格に経済が左右される
- 南アフリカでは人種隔離政策アパルトヘイトが続き、マンデラの釈放を経て1990年代に撤廃された
入試で狙われるポイント総覧
- ガーナ・マリ・ソンガイ=西アフリカ、金と塩の交易
- マンサ=ムーサのメッカ巡礼、学問の中心トンブクトゥ
- 東アフリカのスワヒリ諸都市とスワヒリ語
- 大ジンバブエ=モノモタパ王国
- ベルリン=コンゴ会議(1884〜85)=先占権
- ファショダ事件=英仏の衝突(フランスが譲歩)
- 独立を保ったのはエチオピアとリベリア
- 1960年=アフリカの年、アパルトヘイトとマンデラ
- Q1. 西アフリカの王国が交易した2つの主要な物産は。
- A. 金と塩
- Q2. メッカ巡礼で知られるマリ王国の王は。
- A. マンサ=ムーサ
- Q3. 西アフリカのイスラーム学問の中心となった都市は。
- A. トンブクトゥ
- Q4. アフリカ分割の原則を定めた会議と年を答えよ。
- A. ベルリン=コンゴ会議、1884〜85年
- Q5. 20世紀初頭に独立を保っていたアフリカの2国は。
- A. エチオピアとリベリア
- Q6. 17か国が独立した1960年を何と呼ぶか。
- A. アフリカの年
よくある質問
- アフリカ史は入試に出ますか?
- 出ます。とくに西アフリカの王国群(ガーナ・マリ・ソンガイ)とアフリカ分割は頻出です。他の受験生が手薄な分野なので、押さえておくと差がつきます。
- なぜ西アフリカの王国はイスラームを受け入れたのですか?
- ムスリム商人との交易を円滑にし、イスラーム法と文字を統治に利用できたためです。宗教が交易と統治のインフラとして機能した例といえます。
- 奴隷貿易はアフリカにどんな影響を与えましたか?
- 働き盛りの人口が大量に流出し、奴隷獲得のための戦争が助長され、社会の発展が長期にわたって阻害されました。一方その利益がイギリスの産業革命の資本となりました。
- アフリカの紛争が多いのはなぜですか?
- 民族分布を無視した直線的な国境が植民地時代のまま独立後の国境になったこと、モノカルチャー経済、そして分割統治による民族対立の固定化が主な歴史的背景です。
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