この単元の位置づけ
単元12の産業革命と単元13の国民国家が組み合わさった先に、この単元があります。工業力を得た国民国家が外へ向かい、その衝突が次の単元(二つの世界大戦)の直接の原因になります。
産業の質が変わり、外へ出る必要が生じた
第2次産業革命
軽工業中心から、重化学工業・電機・石油へと産業の主役が移ると、生産設備に巨額の資本が必要になります。企業は合同して独占的な組織を作り、銀行と結びついた金融資本が力を持ちました。
ここで生まれるのが余剰資本です。国内で投資しきれない資本の投下先として、そして原料の供給地と製品の市場として、海外が求められました。
領土欲ではなく資本の論理——ここが「帝国主義」を理解する要点です。国内の社会不安を対外進出でそらす狙いも重なりました。
会議で線を引き、現地で衝突した
アフリカ分割
ベルリン会議で、先に占領した国が領有を主張できるという原則が確認されると、分割競争が一気に加速します。イギリスはエジプトから南のケープ植民地へ向かう縦断政策を、フランスは西のサハラから東へ抜ける横断政策を進め、両者はスーダンで衝突しました(ファショダ事件)。イギリスはさらに南アフリカ戦争で支配を固めます。結果として、エチオピアとリベリアを除くほぼ全域が植民地化されました。
アジアと太平洋にも、同じことが起きた
分割の拡大
イギリスはインドを直接統治下に置き、東南アジアは列強によって分割されてタイのみが独立を保ちました。アメリカは米西戦争でフィリピンなどを獲得して太平洋へ進出し、中国に対しては門戸開放を唱えます。ドイツはヴィルヘルム2世のもとで世界政策に転じ、ベルリンからバグダードへ向かう構想を打ち出しました。
中国が、分割の対象になった
東アジアの危機
日清戦争で清の弱体が明らかになると、列強は競って勢力範囲を設定します。制度改革を目指した変法運動は挫折し、排外運動である義和団事件は列強の出兵で鎮圧されました。清は多額の賠償と外国軍の駐屯を認めることになり、主権はさらに損なわれます。日露戦争を経て、やがて辛亥革命へ向かいました。
同盟が二つに固まった
三国同盟と三国協商
ビスマルクはフランスを孤立させる同盟網を維持していましたが、ヴィルヘルム2世が世界政策に転じたことで均衡が崩れます。
陣営は二つに固まりました。ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟に対し、イギリス・フランス・ロシアが三国協商を形成します。
バルカン半島では、ドイツ・オーストリアの汎ゲルマン主義とロシアの汎スラヴ主義が衝突し、「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれました。
モロッコをめぐる二度の事件やバルカン戦争が緊張を高めます。こうして局地的な事件が全面戦争に直結する構造が完成しました。
混同しやすいところ
正誤判定の誤り選択肢は、ここを狙って作られます。
イギリス=縦断(カイロとケープを南北に結ぶ)、フランス=横断(サハラを東西に貫く)。交差点で起きたのがファショダ事件です。地図で線を引けば絶対に混ざりません。
3C=イギリス(カイロ・ケープタウン・カルカッタ)。3B=ドイツ(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)。頭文字と国をセットで覚えてください。
同盟=ドイツ・オーストリア・イタリア。協商=イギリス・フランス・ロシア。イタリアはのちに協商側で参戦する点も問われます。
アフリカではエチオピアとリベリア、東南アジアではタイ。「植民地化を免れた地域」はセットで狙われるので、必ず言えるようにしてください。
早稲田・明治・青山学院ではこう問われる
早稲田は地図問題が毎年出るため、この単元は形式面でも最重要です。
この単元は、入試でこう問われる
出題形式ごとに例題を用意しました。答えを見る前に、まず自分で書いてみてください。
帝国主義の時代について述べた文として誤っているものを、次の①〜④のうちから一つ選べ。
- 第2次産業革命により、重化学工業や電機・石油産業が発展した。
- ドイツは3C政策を掲げ、カイロとケープタウンを結ぶ支配を目指した。
- 東南アジアでは、タイが独立を維持した。
- アフリカでは、エチオピアとリベリアを除くほぼ全域が植民地化された。
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なぜ誤りか。3C政策はイギリスです。ドイツが掲げたのは3B政策(ベルリン・ビザンティウム・バグダード)。国と政策名が入れ替えられています。
この設問の型。頭文字で覚える用語は国だけを差し替えるのが定番の作り方です。3Cと3Bは必ずセットで、しかも都市名まで言えるようにしておいてください。都市名が言えれば、地図問題にもそのまま対応できます。
次の文中の空欄( A )〜( C )に入る最も適切な語句を答えよ。
アフリカ分割では、先に占領した国が領有を主張できるという原則が( A )会議で確認された。イギリスの縦断政策とフランスの横断政策はスーダンで衝突し、( B )事件が起きた。ヨーロッパでは、ドイツ・オーストリア・イタリアが( C )を結成した。
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この設問の型。会議・事件・同盟という三つのレベルを一問で問う形式です。帝国主義は「原則を決める会議」「現地での衝突」「本国どうしの同盟」の三層で整理しておくと、どこを聞かれても答えられます。
上位校ではここが深くなる。「イギリスが南アフリカで戦った戦争は」(南アフリカ戦争)、「アメリカが中国に対して唱えた方針は」(門戸開放)まで問われます。
19世紀末に列強が対外進出を強めた経済的背景について、120字程度で説明せよ。
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第2次産業革命により重化学工業が発展すると、巨額の設備投資が必要となり、企業の集中と金融資本の形成が進んだ。国内で投資しきれない余剰資本が生じたため、列強はその投下先を求め、あわせて原料供給地と製品市場を確保するために植民地の獲得を競った。(125字)
採点者が探しているもの。加点の核心は「余剰資本の投下先」です。「原料と市場を求めた」だけなら重商主義の時代にも当てはまってしまいます。資本輸出という新しい要素を書けているかが、この時代を正しく理解している証拠になります。
よくある失点。「国威発揚のため」「ナショナリズムの高まり」といった政治的動機だけで答えること。設問が経済的背景を指定しているので、そこに絞ってください。
次の模式図はアフリカ分割に関するものである。図中のA〜Eについて述べた文として誤っているものを、下のア〜オから一つ選べ。
※ 位置関係を示す模式図です。正確な地図ではありません。
点線は縦断政策・横断政策のおおよその方向を表します。
- Aはエジプトで、イギリスが実質的な支配下に置いた。
- Bはモロッコで、フランスの進出をめぐりドイツとの間で二度の事件が起きた。
- Cはファショダで、イギリスの縦断政策とフランスの横断政策が衝突した地点である。
- Dはケープ植民地で、フランスが南アフリカ戦争を経て支配を確立した。
- Eはエチオピアで、イタリアの侵入を退けて独立を維持した。
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なぜ誤りか。南アフリカ戦争を戦い、ケープ植民地を含む南部の支配を固めたのはイギリスです。フランスではありません。地域は正しく、国だけがすり替えられています。
解く順序。地図問題はまず位置を確定してから選択肢を読むのが鉄則です。今回なら、北東=エジプト、北西=モロッコ、南端=ケープ、東部の角=エチオピア、そして縦断と横断が交わる中央東部=ファショダ。位置さえ確定すれば、あとは通常の正誤判定になります。位置が曖昧なまま選択肢を読むと、文章の説得力に引きずられます。
この単元の地図学習法。白地図を1枚用意し、イギリスの縦断線とフランスの横断線を実際に引いてください。2本の線が交わる場所がファショダです。線を引く作業を一度やれば、縦断と横断を取り違えることは二度となくなります。あわせて独立を保った3地域(エチオピア・リベリア・タイ)に印をつけておくと、頻出の設問をまとめて処理できます。
早稲田では毎年出る。地図の知識を要する問題は毎年出題されます。世界史を文字情報だけで覚えている受験生は、地図が出た瞬間に手が止まります。資料集の地図をコピーして書き込むという作業は、この単元では特に費用対効果が高い勉強法です。
次の①〜④の出来事を、年代の古いものから順に並べ替えよ。
- ベルリン会議が開かれ、アフリカ分割の原則が確認された。
- ファショダ事件が起きた。
- 三国協商が成立した。
- 日清戦争が起こった。
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並べ方の筋道。帝国主義の展開を3段階で捉えます。まず①分割の原則を決める段階(ベルリン会議)。次に実際に分割が進み、各地で衝突が起きる段階——アジアでは④日清戦争が清の弱体を露呈させて列強の進出を招き、アフリカでは②ファショダ事件で英仏が正面衝突しました。そして③衝突を経て陣営が固まる段階(三国協商)。原則 → 衝突 → 陣営の固定という流れです。
②と③の順序が要点。ファショダ事件は英仏の対立でしたが、この衝突を外交で処理したことが、のちに両国が接近する前提になります。つまり②が先で③が後。対立していた英仏が、なぜ同じ陣営になったのか——この因果を持っていれば順序で迷いません。
地域をまたぐ整序に注意。この設問はアフリカ(①②)とアジア(④)とヨーロッパ(③)をまたいでいます。早稲田は地域横断の整序を好むので、地域ごとに別々の年表を作るのではなく、同時代に他地域で何が起きていたかを並走させて覚えてください。
19世紀後半から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの国際関係がどのように変化したかを240字程度で説明せよ。
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ドイツ統一後、ビスマルクは普仏戦争で敗れたフランスの報復を警戒し、同盟網を築いてフランスを国際的に孤立させ、現状維持を図った。しかしヴィルヘルム2世が世界政策に転じ、海軍を増強して植民地獲得に乗り出すと、この均衡は崩れた。脅威を感じたイギリスは従来の孤立政策を改め、フランス・ロシアと結んで三国協商を形成する。こうしてドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟と対峙する二極構造が生まれ、バルカン半島での対立と重なって、局地的な事件が全面戦争へ直結する状況が整った。
この設問の型。明治政経で出る指定語句のない240字論述です。単元10と同じ形式ですが、こちらは変化を追う設問なので、時間の流れに沿って組み立てます。
枠組みの作り方。「どのように変化したか」と問われたら、①変化前 ②変化のきっかけ ③変化後の3点を立てます。ここでは①ビスマルクによるフランス孤立化、②ヴィルヘルム2世の世界政策への転換、③二極構造の成立。設問文の「変化」という語が、そのまま構成を指定しています。
採点者が探しているもの。核心は「一国の方針転換が、他国の行動を変えた」という連鎖です。ドイツが方針を変えた→イギリスが孤立政策をやめた→協商が成立した。この因果を書かず、同盟の名前と加盟国を並べただけの答案は伸びません。
よくある失点。三国同盟と三国協商の構成国を正確に書くことに集中して、なぜそうなったのかを落とすこと。構成国は語句記述の大問で問われる内容であり、論述で求められているのは別のものです。
早稲田との違いを再確認。早稲田なら「ビスマルク/世界政策/三国協商/バルカン」といった指定語句が与えられ、それが骨格になります。明治では骨格そのものを自分で作る必要があるため、過去問で「設問文から要素を3つ立てる」練習を繰り返してください。
※ 掲載している例題は、各大学の出題形式に合わせて日本世界史塾が作成したオリジナル問題です。実際の入試問題の転載ではありません。模式図は当塾が作成したものです。実際の過去問は、各大学が公表しているものや市販の過去問集でご確認ください。
通史を順番に読む
二つの世界大戦は、帝国主義の競合が同盟網と結びつき、局地的な衝突が全面戦争へ拡大した結果です。この単元で見た三国同盟と三国協商が、そのまま戦争の枠組みになります。
地図が出た瞬間に、
手が止まる人へ。
文字だけで覚えた世界史は、地図問題で崩れます。
体験授業では、白地図を使って弱点の位置を特定します。
入塾を前提としたしつこい勧誘は一切行いません。