近世の対外進出を整理する|重商主義の下での拡大

近世の対外進出を整理する|重商主義の下での拡大
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「近世の帝国主義」という言い方に、まず違和感を持ってください。帝国主義は19世紀後半に生まれた言葉であり、16〜18世紀の海外進出とは動機も方法も別物です。近世の拡大を動かしていたのは貴金属を蓄えようとする重商主義でした。富の測り方が違えば、支配の形も違う——この一点で近世の対外進出を通します。

「帝国主義」は19世紀後半の言葉である — 近世に当てはめる前の断り

一言でいうと16〜18世紀にヨーロッパ諸国が海外へ広げた勢力の総称。国の富を貴金属の量で測り、貿易の差額でそれを増やすという重商主義に支えられ、ねらいは交易の独占を確保することにあった。19世紀後半の帝国主義とは動機も方法も異なる。

まず用語の断りから始めます。帝国主義という語は、19世紀後半のヨーロッパで、列強の急激な膨張を説明し批判するために使われるようになった言葉です。ホブソンやレーニンらは、これを行き場を失った資本が投下先を求める動きとして分析しました。つまりこの語は、産業革命を経た資本主義を前提として組み立てられた概念です。その前提のない時代に持ち込めば、それは説明ではなく比喩になってしまいます。

  1. 古代のローマは属州から穀物と税を取り立てたが、自国の工業製品を売る市場を必要としてはいなかった。
  2. アテネはデロス同盟の資金を握って自国の事業に用いたとされるが、これは軍事同盟の変質であって資本の輸出ではない。
  3. 中世の十字軍は聖地の回復という宗教的な名目で始まり、そこに土地と交易の権益が絡んだものである。
  4. ヴェネツィアやジェノヴァは東地中海に商業拠点を置いたが、内陸を治める意図は乏しかった。
  5. 近世のヨーロッパが海の向こうに求めたのは香辛料・銀・砂糖という商品であり、原料の供給地でも投資先でもない。
  6. 原料・製品の市場・資本の投下先が同時に必要になるという状況が生まれるのは、産業革命が進んだあとである。
  7. だから「勢力を広げた」という共通点だけで同じ語を当てると、19世紀に何が新しかったのかが消えてしまう
時代 その時代の拡大を指す語 主に求めたもの
古代 属州支配・覇権 貢納・穀物・軍事的な安全
中世 十字軍・国土回復運動・商業拠点 信仰の名目・土地・交易の権益
近世 重商主義にもとづく海外進出 貴金属と貿易の差額
19世紀後半 帝国主義 原料・市場・資本の投下先
「古代の帝国主義」と書かない答案に「古代の帝国主義」「中世の帝国主義」と書くと、時代区分が身についていないと判断されます。ローマなら属州支配、中世なら十字軍や商業拠点の獲得と、その時代の言葉で書いてください。近世についても、「重商主義にもとづく海外進出」あるいは「旧来の植民地支配」と呼ぶのが安全です。
概念の適用範囲そのものが問われる近代に作られた概念を、無自覚に過去へ持ち込まない——この姿勢は、それ自体が採点の対象になります。「帝国主義は19世紀後半の資本主義を前提とする概念であり、近世の拡大とは動機が異なる」という一文を先に置けば、以下の記述はすべて時代に即したものとして読まれます。日本世界史塾では、用語が成立した年代を確かめてから使う習慣を最初に作らせています。

重商主義 — 富を貴金属で測ると、貿易は奪い合いになる

  1. 近世の国家は常備軍と官僚制を抱え、俸給も装備も現金で支払わねばならない体になっていた。
  2. 当時、国境をまたぐ支払いに確実に使えたのは金と銀にほぼ限られていた。
  3. そこで国の富とは国内に蓄えられた貴金属の量であるという測り方が広まった。これを重金主義という。
  4. しかし鉱山を持たない国は掘って増やせない。残る道は輸出を輸入より多くし、その差額を正貨で受け取ることである。これが貿易差額主義
  5. 手段は輸入品への高い関税・輸入の禁止・国内産業の保護と育成・自国の船を使わせる強制であった。
  6. さらに植民地を自国だけが取引できる場として囲い込み、他国の商人を締め出した。
  7. この考え方には世界の富の総量は限られているという前提が含まれていたとされる。
  8. 総量が一定なら、他国が得た分はそのまま自国が失った分になる。だから通商の政策は、そのまま戦争の理由になった。

ここが近世を読む鍵です。重商主義の下では、貿易は「双方が得をする交換」ではなく「取り分の奪い合い」として理解されていました。だから各国は、自分が儲けることと同じ熱心さで他国を締め出すことに力を注ぎます。近世の対外進出が、交易の量を広げることよりも独占を確保することという形をとったのは、この前提から素直に出てくる結論でした。

手段 具体例 ねらい
航海法 イギリス。自国と植民地の貿易に自国の船を使わせた 中継貿易で稼ぐオランダの排除
特権マニュファクチュア フランス。コルベールが王立の工場を育てた 輸入を減らし、輸出を増やす
植民地貿易の一元管理 スペイン。新大陸との取引を指定した港に集めた 銀と利益を王室の手元に集める
特許会社への独占権 各国の東インド会社 危険な遠洋の事業に資金を集める

この前提が揺らぐのは18世紀の後半です。アダム=スミスは『諸国民の富』で、国の豊かさは金庫にある金銀の量ではなく人々が生み出す生産物の量で測るべきだと論じ、重商主義の政策を批判しました。富の測り方が変われば、貿易の意味も変わります。19世紀のイギリスが自由貿易へ舵を切り、穀物法を廃止できたのは、交換そのものが双方を豊かにするという見方が広がったからでした。

重商主義を一人の学説だと思わない重商主義は、誰か一人が体系として書き上げた学説ではありません。各国の政策に共通して見られた傾向をまとめた後世の呼び名です。だから中身は国ごとに違い、スペインは金銀の囲い込みに、フランスは産業の育成に、イギリスは海運と市場の確保に重心がありました。一文で説明を求められたときは、貴金属の獲得と貿易差額という核を書けば十分です。
「なぜ独占なのか」まで説明できるか「近世のヨーロッパはなぜ海外に拠点を求めたのか」と問われて、商品の名前を挙げるだけでは足りません。「富を貴金属の量で測る以上、差額を稼ぐには他国を締め出す必要があった。だから拡大は独占の確保という形をとった」——ここまで書けて初めて、国内の経済政策と海外の拡大が一本につながります。
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スペインの銀とオランダの中継 — 同じ海に出て、稼ぎ方が正反対だった

スペイン — 掘って得た富は、使えば消える

  1. スペインは新大陸でアステカ王国とインカ帝国を倒し、その支配の仕組みに入れ替わる形で広い領域を治めた。
  2. 国王は副王を派遣し、入植者にはエンコミエンダ制によって先住民の労働を徴発する権限を与えた。
  3. ポトシをはじめとする銀山が開かれ、産出のうち一定の割合が王室の取り分とされたとされる。
  4. 銀は船団で本国へ運ばれ、新大陸との取引は指定された港に集めて管理された。
  5. ところがスペインは、その銀を使って国内の産業を育てなかった
  6. 銀はオスマン帝国との戦い・ネーデルラントの反乱の鎮圧・イギリスとの海戦といった戦費に消えていった。
  7. 残りも、国内で作れない工業製品の代金として他国へ流れ出た。
  8. 王室は何度も債務の支払いの停止に追い込まれたとされ、銀の流入は財政の安定をもたらさなかった。

近世の対外進出を評価するときに効く区別があります。入ってくる収入と、収入を生み続ける元手の区別です。掘り出した銀はそのつど入ってくる収入であり、使えばなくなります。これに対し、船と港と信用の仕組みは使うほど収益を生み続ける元手です。スペインは前者を大量に手に入れ、後者をついに作らなかった——同じ時期に海へ出た国々の明暗は、ここで分かれました。

オランダ — 運ぶ仕組みそのものを商品にした

  1. オランダはまずバルト海の穀物と木材を西欧へ運ぶ商売で力を蓄えた。
  2. ニシン漁と造船が盛んで、安く大量に運べる商船を数多く持っていたことが強みだった。
  3. 自国で採れる産物ではなく、他国の産物を運び、売りさばく手数料で稼ぐ。これが中継貿易である。
  4. 1602年に東インド会社を設立し、多数の出資者から資金を集めて危険の大きい遠洋の事業を支えた。
  5. ジャワ島のバタヴィアを拠点とし、ポルトガルからマラッカやセイロン島を奪って香辛料の取引を握った。
  6. アンボイナ事件によってイギリス勢力をモルッカ諸島から退けた。
  7. 喜望峰に置かれたケープ植民地は、長い航路を支える補給の地であった。
  8. アムステルダムには銀行と取引所が集まり、低い利子で資金を借りられることがそのまま競争力になった。
富の入り口 何が消え、何が残ったか
スペイン 新大陸の銀山 戦費と輸入の支払いで流出
ポルトガル 航路の要所での交易 王室の独占事業にとどまる
オランダ 中継の運賃と手数料、金融 都市に資金と信用の仕組みが残る
イギリス 守られた市場と自国の海運 産業と国債の仕組みへ回る
フランス 国家が育てた産業と会社 大陸での戦争に費用を取られる
「オランダは香辛料で栄えた」だけでは足りないオランダの富の土台は、まずヨーロッパ内部の中継貿易にありました。アジアの香辛料は、その上に乗った利益の厚い部分です。順序を逆にすると、なぜ航海法とイギリス=オランダ戦争がオランダに決定的な打撃を与えたのかを説明できません。打たれたのは、まさに他国の荷を運ぶという商売そのものでした。
明暗を制度の言葉で説明する「なぜスペインは衰え、オランダは栄えたのか」は定番の問いです。ここで「浪費した」「勤勉だった」という性格の説明に逃げないでください「銀は一度きりの収入であり、産業と金融の仕組みは繰り返し収益を生む」と制度の言葉で答えると、20世紀に資源の輸出収入へ依存した国々を論じるときにも、同じ枠組みがそのまま使えます。

独占の奪い合いが世界規模の戦争になった — そして19世紀との分かれ道

  1. イギリスは航海法を定め、自国と植民地の貿易から外国の船を締め出した。
  2. 標的は他国の荷を運んで稼ぐオランダであり、これがイギリス=オランダ戦争の直接の引き金となった。
  3. スペイン継承戦争の講和であるユトレヒト条約で、イギリスはジブラルタルなどの拠点を得た。
  4. 同じ条約でアシエント——スペイン領へ奴隷を供給する請負の権利——も手にした。
  5. 戦争の賞品に奴隷供給の権利が並んでいたという事実が、この時代の性格をよく示している。
  6. 北米とインドでは、イギリスとフランスが拠点と現地勢力をめぐる争いを重ねた。
  7. 七年戦争はヨーロッパの戦争でありながら、北米・インド・カリブ海で同時に戦われた
  8. インドではプラッシーの戦いでイギリス東インド会社が優位を確立し、パリ条約でフランスは北米の広い領域を失った。
  9. こうしてどの国が独占を握るかが、世界規模の戦争で決まるという段階に達した。

奴隷貿易 — 重商主義の論理が人にまで及んだ

  1. カリブ海とブラジルの砂糖、北米南部のタバコや米は、大量の労働力を必要とする作物であった。
  2. 先住民の人口が疫病と酷使で崩れると、労働力はアフリカから運ばれた人々に置き換えられていった。
  3. ヨーロッパの製品をアフリカへ、人をアメリカへ、砂糖などを本国へ運ぶ三角の航路が組まれた。
  4. 本国は自国の船で運ばせ、自国の商人に利益を落とすことを法によって定めていた。
  5. つまり奴隷貿易は例外的な逸脱ではなく、重商主義の仕組みの内側で組織された事業であった。
  6. 利益はリヴァプールやブリストルなどの港町に蓄えられ、のちの工業化を支える資金の一部になったという見方がある。
  7. 廃止が実現するのは19世紀に入ってからであり、そのころには富を生む前提そのものが入れ替わっていたことも背景として指摘される。

そして近世の対外進出は、自らが掲げた原則によって足をすくわれます。本国は植民地を自国だけの市場として囲い込み、他国との自由な取引を禁じ、さらに戦争で膨らんだ費用を植民地への課税で埋めようとしました。北米の13植民地の反発はここから始まります。重商主義は植民地を本国の付属物として扱う制度でした。その扱いに耐えられなくなったとき、囲い込みそのものが独立の理由になったのです。

近世の対外進出(16〜18世紀) 19世紀後半の帝国主義
富の測り方 国内に蓄えた貴金属の量 生産と資本の増殖
求めたもの 香辛料・銀・砂糖・労働力 原料・製品の市場・資本の投下先
支配の広がり 港と要塞という点(新大陸は例外) 国境で囲まれた面
担い手 特許を得た会社と入植者 本国政府と総督府
本国から出ていくもの 商品と船 資本・鉄道・技術者
正当化の言葉 王権と布教 文明化の使命と社会進化論
「商品輸出か資本輸出か」で切る近世と19世紀を対比させる論述では、この一組の言葉が最も効きます。「近世は商品を売って差額を得る拡大、19世紀は資本を投じて利子と利潤を得る拡大」。そのうえで「前者は拠点で足りたが、後者は鉄道や鉱山を守るために領域そのものを押さえる必要があった」とつなげば、点から面への移行を動機の側から説明できます。
「近世は点の支配」は原則であって例外がある新大陸のスペイン領は、早い段階から広い領域の統治でした。アジアで拠点にとどまったのは、オスマン帝国・ムガル帝国・明清という強い国家が健在で、内陸へ踏み込む軍事力も財政も足りなかったからです。「しなかった」ではなく「できなかった」という条件の側を書き添えると、原則と例外の両方に対応できます。

入試で狙われるポイント総覧

  • 帝国主義は19世紀後半の概念。近世の拡大は重商主義にもとづく海外進出と呼び分ける
  • 重商主義=富を貴金属の量で測り、貿易差額で増やす重金主義から貿易差額主義へ
  • 手段=関税・輸入の制限・国内産業の育成・航海法・植民地の囲い込み
  • コルベール=フランスの重商主義を主導。航海法=イギリスが定め、標的はオランダの中継貿易
  • 特許会社=独占権に加え、軍隊の保有や条約の締結まで認められた
  • スペイン=ポトシの銀エンコミエンダ制。銀は戦費と輸入の支払いで流出
  • オランダ=中継貿易バタヴィアアンボイナ事件で香辛料の取引を確保
  • ユトレヒト条約でアシエントを獲得七年戦争とパリ条約でイギリスが優位に立つ
  • 19世紀との違い=商品輸出か資本輸出か、点の支配か面の支配か
共通テストでの出方「帝国主義は16世紀の大航海時代に始まった」は誤り(19世紀後半に成立した概念)。「重商主義は輸入を増やして国内を豊かにする政策である」も誤り(輸出を増やし輸入を抑えて差額を得る)。「航海法はフランスがイギリスに対抗して定めた」も誤り(イギリスが定め、標的はオランダ)。語が成立した時期と、政策の向きが狙われます。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 帝国主義という語が広く使われるようになった時期を答えよ。
A. 19世紀後半
Q2. 重商主義が国の富を測る基準としたものを答えよ。
A. 国内に蓄えられた金銀(貴金属)の量
Q3. イギリスがオランダの中継貿易を締め出すために定めた法は。
A. 航海法
Q4. フランスで重商主義の政策を主導した財務総監は。
A. コルベール
Q5. ユトレヒト条約でイギリスが得た、スペイン領への奴隷供給の請負権を何というか。
A. アシエント
Q6. 近世の対外進出と19世紀の帝国主義の違いを、本国から出ていくものに着目して答えよ。
A. 近世は商品の輸出、19世紀は資本の輸出

よくある質問

近世の海外進出を「帝国主義」と呼んではいけないのですか?
答案では避けてください。帝国主義は19世紀後半に、産業革命を経た資本主義を前提として組み立てられた概念です。近世の拡大は重商主義にもとづく海外進出と呼び、動機が貴金属と貿易差額にあったことを書き添えてください。
重商主義とはどういう考え方ですか?
国の富を国内に蓄えた貴金属の量で測り、貿易の差額でそれを増やそうとする考え方です。鉱山を持たない国は輸出を増やし輸入を抑えるしかなく、関税・輸入制限・国内産業の育成・植民地の囲い込みが手段になりました。
奴隷貿易は重商主義とどう関係するのですか?
制度の外側で起きたことではなく、内側で組織された事業です。本国は自国の船で運ばせ、自国の商人に利益が落ちるよう法で定めていました。アシエントが戦争の講和条約で取引されたことが、その性格をよく表しています。
近世の拡大と19世紀の帝国主義は、答案でどう書き分ければよいですか?
「商品輸出か資本輸出か」「点の支配か面の支配か」の二組で切ってください。近世は商品を売って差額を得るため拠点で足り、19世紀は資本を投じた鉄道や鉱山を守るため領域そのものを押さえる必要がありました。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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