近代の政治を整理する|正統性が神から人民へ移る

近代の政治を整理する|正統性が神から人民へ移る
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近代の政治は革命・反動・統一という出来事の順番で覚えられがちです。しかし通っている軸は一つ——「支配してよい根拠を、神と血筋から、人民の同意へ移し替える工事」。そして根拠を人民に置いた瞬間、「その人民とは誰か」「工事を誰が担うのか」という二つの問いが必ず立ちます。革命が繰り返され、選挙権が分割払いで渡され、民族が国境を要求したのは、すべて同じ工事の続きです。

根拠を取り替えると、支配者を縛れるようになる

一言でいうと近代の政治とは、主権の所在を国王から国民へ移し替えていく工事のこと。支配の根拠が神の意志や血筋から被支配者の同意へ移ったことで、「同意の条件が守られていない」と言えれば抵抗が正当になるという、それ以前にはなかった回路が生まれた。

最初に押さえるべきは、思想家の名前ではありません。王権神授説と社会契約説では、支配者への異議の申し立てやすさが根本から違うという一点です。

  1. 王権神授説では、権力の由来が神の意志に置かれる。
  2. 由来が神にある以上、王の判断への異議は信仰の当否にすり替わり、人が正面から検証できない。
  3. これに対し社会契約説は、国家を人が結んだ取り決めとして説明する。
  4. 取り決めである以上、そこには条件があり、条件が守られたかどうかは人が判定できる
  5. つまり根拠を人民に移した時点で、支配は点検の対象になった
  6. だから、絶対王政を擁護したホッブズの議論でさえ、権力の由来を神ではなく取り決めに置いた点で、長い目には王政の側に不利に働いたという見方がある。
  7. ロックは権利を信託したものと考え、託した相手が裏切れば取り戻せるとした。
  8. ルソー主権そのものが譲り渡せないとし、代表に任せきる政治を退けた。
ホッブズ ロック ルソー
主著 『リヴァイアサン』 『統治二論』 『社会契約論』
自然状態の想定 万人の万人に対する闘争 権利はあるが不安定 自由で平等、私有財産が不平等を生む
権利の渡し方 全面的に譲渡 信託 主権は譲渡できない
取り返せるか 取り返せない 返還を求められる(抵抗権) そもそも渡していない
行き着く政体 絶対王政の擁護 議会政治・立憲君主政 人民主権

三人の違いは「人間を放っておくとどうなると見たか」から機械的に導けます。危険だと見れば強い権力を作って手放させ、扱えると見れば条件つきで預ける。前提が違えば結論が割れるのは当然で、暗記の対象は結論ではなく前提と結論の対応です。

三人は「取り返せるか」で一列に並べる名前と主著の暗記だけでは、選択肢の組み替えに耐えられません。並べる軸は「一度渡した権利を取り戻せるか」の一本にしてください。全面譲渡なら取り戻せず、信託なら返還を求められ、譲渡不能なら初めから人民の手にある——この順に並ぶだけで、抵抗権を認めるのが誰かを間違えなくなります。日本世界史塾では、思想史をこうした一本の軸に載せてから人名を乗せる順で扱っています。
中国の易姓革命と、同じに見えて違うどちらも支配者の交替を正当化しうる論理ですが、判定の時点が逆です。天命は、倒したという結果からさかのぼって「徳を失っていた」と説明する事後の追認に近く、社会契約説は、守られるべき条件を先に示して抵抗をあらかじめ正当化する形をとります。また自然状態は実際にあった時代の記述ではなく、正しさを導くために置かれた想定であるとされます。歴史的事実として書くと不正確になります。

アメリカとフランス — 壊すべき旧秩序の量が、革命の激しさを決めた

同じ「同意にもとづく政治」を掲げながら、二つの革命はまったく違う道をたどりました。理由は理念の差ではなく、目の前に壊すべき旧秩序がどれだけ積み上がっていたかの差です。

アメリカ独立 フランス革命
出発点 植民地議会による自治の実績 身分ごとの特権と免税
最初の要求 同意なき課税の撤回 三部会での議決方法の変更
敵の位置 海の向こうの本国 国内の特権身分と、干渉する周辺国
中心の文書 独立宣言・合衆国憲法 人権宣言と、相次ぐ憲法
到達した政体 連邦共和政 立憲君主政 → 共和政 → 帝政
残した宿題 奴隷制と先住民の扱い 秩序と自由の両立
  1. 北米の植民地には植民地ごとの議会があり、課税に同意する慣行が長く続いていた。
  2. 七年戦争の戦費を回収するため本国が課税を強めると、本国議会に代表を送っていないことが争点になった。
  3. 植民地側の主張は当初イギリス人としての権利の回復であり、新しい原理の宣言ではなかった。
  4. しかし対立が武力衝突へ進むと、独立宣言政府は被治者の同意にもとづくという原理を正面から掲げた。
  5. 独立後の連合規約のもとでは中央に課税権すらなく、共通の政策を実行できなかった。
  6. そこで合衆国憲法が制定され、連邦制と三権分立によって権力を分散させたまま実行力を持たせた。
  7. 壊すべき身分制がなかったぶん、制度設計に集中できたことが安定を生んだ。
  8. 反面、奴隷制と先住民の排除には手がつけられず、人民の範囲を狭く保ったまま出発した。
  1. フランスでは、特権身分の免税を改めないかぎり財政危機を解決できない状態が続いていた。
  2. 三部会で議決方法をめぐり対立が起き、第三身分が国民議会を名乗って憲法制定を宣言した。
  3. 封建的特権の廃止人権宣言により、主権が国民にあることが明文化された。
  4. しかし1791年の憲法は立憲君主政であり、選挙権も納税額による制限選挙であった。
  5. 国王の逃亡未遂と周辺国の干渉、そして戦争が重なり、王政への信頼が失われた。
  6. 国民公会は男性の普通選挙による選挙で選ばれたとされ、共和政が宣言された。
  7. 戦争と内乱のなかで公安委員会に権力が集中し、恐怖政治が敷かれた。
  8. 反動として総裁政府が生まれ、その不安定さがナポレオンの登場を用意した。
「独立」と「革命」を混ぜて書かないアメリカは外から支配を切り離す独立であり、フランスは内側の社会秩序を組み替える革命です。論述では「アメリカは自治の実績のうえに新しい原理を載せたのに対し、フランスは原理を掲げてから社会そのものを作り直さねばならなかった」と書くと、結末の違いまで一続きで説明できます。ここでイギリスとの比較も効きます——先に議会という器を持っていた国は、主権の移動を革命ではなく制度の内側で吸収できた。この一文があると、19世紀のイギリスが革命を経ずに参政権を広げていけた理由にもつながります。
フランス革命を「最初から共和政」と書かない革命の初期に作られた憲法は立憲君主政で、選挙権も財産による制限つきでした。共和政は戦争と国王への不信が重なった結果として選ばれたものです。また人権宣言の「人」に、女性や植民地の奴隷は事実上含まれていませんでした。女性の権利を宣言の形で示したオランプ=ドゥ=グージュや、カリブ海の植民地で起きた奴隷の蜂起は、掲げた原理が自分たちにも適用されるはずだという論法をとった点が重要です。近代の原理は、掲げた側の意図を超えて使われたのです。
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ウィーン体制 — 血筋へ戻す試みは、掲げた側の例外で崩れた

ナポレオン戦争のあと、列強は正統主義を掲げて革命前の主権者と国境を正しいものとするという立場をとりました。根拠を人民の同意から血筋へ戻す試みです。ところがこの試みは、抑えられた側ではなく、掲げた側の都合によって先に崩れます

  1. ナポレオンの支配は徴兵法典を各地へ持ち込み、国のために自分が動員されるという経験を残した。
  2. 占領された側では、その経験がわれわれは何者かという意識を呼び起こした。
  3. プロイセンでは農民の解放や軍制の改革が進められ、フィヒテが国民に向けた講演で自覚を訴えたとされる。
  4. つまり体制が抑えようとした国民意識は、体制を作った戦争そのものが育てていた
  5. 支柱の役割も分かれていた。神聖同盟は君主どうしの理念的な盟約にとどまり、実務を担ったのは四国同盟、のちにフランスを加えた五国同盟であった。
  6. しかしラテンアメリカの独立では、市場の拡大を望むイギリスが干渉に反対し、アメリカもモンロー宣言で相互不干渉を唱えた。
  7. ギリシアの独立では、イギリス・フランス・ロシアが正統主義に反してでも独立側を支援した。
  8. 原則を掲げた当人が利害に応じて例外を作れば、その原則はもう他者を拘束できない——これが体制の内側からの崩れ方である。
体制が守れなかった例 何が優先されたか
ラテンアメリカ諸国の独立 イギリスの市場と、アメリカの不干渉
ギリシアの独立 ロシアの南下と地中海の利害
ベルギーの独立 大国間の均衡を保つ判断
七月革命 復古王政への支持が国内で尽きた
「正統主義は誰の要求を封じたのか」を書くウィーン体制の説明を、会議の経過や領土の移動だけで終えると点になりません。書くべきは「革命前の主権者を正しいとする原則は、人民の同意という新しい根拠を丸ごと否定するものだった」という機能の説明です。そのうえで「列強自身が経済や勢力の都合で例外を作ったため、原則としての力を失った」と続けると、崩壊の理由が反乱の連続ではなく原則の自壊として書けます。
反動一色で片づけないこの体制には、大国どうしが会議で調整するという作法を定着させた面もあります。実際、ヨーロッパの大国が正面から総力を挙げて戦う事態は、クリミア戦争まで避けられたとされます。答案では「国内では自由主義と国民主義を抑圧したが、国際的には協調の枠組みとして機能した」と両面で書くと、評価が上がります。抑圧と安定は同時に成り立ちうるという視点は、のちの国際秩序の評価にもそのまま使えます。

1848年の失敗が方向を変えた — 上からの統一と、分割払いの選挙権

1848年、各地で自由主義と国民主義を掲げる運動が起き、その多くが敗れました。重要なのは勝敗ではなく、この敗北によって「誰が工事を担うか」が入れ替わったことです。

  1. 運動の担い手は一枚岩ではなく、憲法と選挙権を求める市民層生活の保障を求める労働者では要求が違っていた。
  2. 要求が食い違うと、市民層は秩序の回復を優先して旧勢力の側に回った
  3. 多民族の地域では、ある民族の自立の要求が、別の民族の従属を意味するという衝突が起きた。
  4. したがって民族の要求が増えるほど、運動はまとまりを失った
  5. 決定的だったのは常備軍が君主の手に残っていたことである。
  6. ドイツで開かれたフランクフルト国民議会は憲法を作り上げたが、徴税権も軍も持たない議会であった。
  7. 提案された帝位をプロイセン王が受け入れなかったことで、下からの統一は行き詰まった。
  8. こうして統一も改革も、力を持つ側が上から進めるほうが速いという判断が広がった。

上から進めた側は、何を渡し、何を渡さなかったか

上から進めた中身 渡されなかったもの
プロイセン 関税同盟と三つの戦争による統一 議会に対する宰相の責任
サルデーニャ 外交で大国を味方につけた統一 南部の貧困と地域差の解消
ロシア 敗戦を受けての農奴解放 憲法と議会
オーストリア ハンガリーとの妥協による二重帝国 スラヴ系諸民族への同等の地位
フランス 男性普通選挙を残した第二帝政 議会による実質的な統制

選挙権は一度に渡されず、分割払いで渡された

  1. イギリスは選挙法の改正を重ねる形をとり、まず腐敗選挙区を整理して産業資本家層へ広げた。
  2. 次の改正で都市の労働者、さらに次の改正で農業や鉱山の労働者へと段階的に広げた。
  3. 要求のたびに一部を渡すことで、体制を壊さずに担い手を増やしたことになる。
  4. 対してフランスは1848年に男性の普通選挙を一気に実現した。
  5. ところがその選挙はルイ=ナポレオンの当選を生み、やがて第二帝政へ帰結した。
  6. ドイツ帝国でも帝国議会は男性の普通選挙で選ばれた。
  7. しかし宰相は議会ではなく皇帝に責任を負う仕組みだったため、参加の形式と権力の実質が切り離された。
  8. 選挙権の広さと、議会が政府を握れるかどうかは別の問題である——ここが近代政治の最重要の区別になる。

人民主権は「範囲を決めろ」と迫る

  1. 主権者を人民とすると、次にどこまでが同じ人民かという線引きが必要になる。
  2. 近代のヨーロッパでは、その線が言語・歴史・宗教によって引かれることが多かった。
  3. 国家はその線を義務教育・徴兵・共通の言語によって内側から強めていった。
  4. この線引きは、多民族の帝国にとっては分解の圧力として働いた。
  5. 同時に、新しく独立した国も国内に少数派を抱えるため、問題は移動するだけで消えなかった。
  6. 19世紀の前半には自由主義と結びついていた民族主義が、後半には国家の統合と対外的な膨張に用いられるようになった。
  7. その圧力が集中したのがバルカン半島であり、大国の利害と結びついて次の大戦へつながっていく。
1848年は「失敗」ではなく「担い手の交替」として書く各地の運動を並べて鎮圧されたと書くだけでは、なぜ重要な年なのかが伝わりません。採点者が見たいのは「旧来のやり方では統治できないことが示された結果、支配層が要求の一部を先回りして実現するようになった」という転換です。下から掲げられた目標が、上から実行されたという因果でまとめると、統一・農奴解放・妥協・社会保険までが同じ流れに乗ります。
普通選挙を民主政の完成と書かない普通選挙が実現しても、議会が政府を作れなければ権力は移りません。男性の普通選挙が権威主義的な統治や皇帝の権力と両立した例が実際にあります。答案では「誰が投票できるか」と「議会が政府を握れるか」を分けて書いてください。この区別ができていないと、のちの時代に議会制の国から独裁が生まれる過程も説明できなくなります。

入試で狙われるポイント総覧

  • 近代の政治の軸=支配の根拠が神と血筋から人民の同意へ移る工事
  • 社会契約説は取り返せるかで並べる=全面譲渡・信託・譲渡不能
  • 抵抗権はロック人民主権はルソー三権分立はモンテスキュー
  • アメリカ=自治の実績の上に原理を載せた独立/フランス=身分制の解体を伴う革命
  • 1791年の憲法は立憲君主政・制限選挙。共和政は戦争と不信の結果
  • 正統主義=革命前の主権者と国境を正しいとする原則(人民の同意の否定)
  • 神聖同盟は理念的、実務は四国同盟・五国同盟。ラテンアメリカとギリシアで原則が破られた
  • 1848年の失敗の三因=市民と労働者の分裂・民族間の衝突・軍が君主の手に残った
  • 選挙権の広さと、議会が政府を握れるかは別問題——ドイツ帝国が典型
共通テストでの出方「フランス革命は当初から共和政の樹立を目標に掲げた」は誤り(初期の憲法は立憲君主政)。「フランクフルト国民議会はドイツ統一を実現した」も誤り(提案した帝位が拒否され実現しなかった)。「ドイツ帝国では帝国議会が宰相を任免した」も誤り(宰相は皇帝に責任を負った)。目標と結果のすり替え、権限の持ち主の入れ替えが、この単元の失点の大半です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 王権神授説より社会契約説のほうが支配者を縛れる理由を答えよ。
A. 契約には条件があり、守られたかどうかを人が判定できるため
Q2. ロックが抵抗権を認められた理由を、権利の渡し方から答えよ。
A. 権利を信託したにすぎず、裏切られれば返還を求められるため
Q3. アメリカ独立とフランス革命で経過の激しさが分かれた理由を答えよ。
A. 壊すべき国内の身分制と特権の量が違ったため
Q4. ウィーン体制の正統主義の内容を一言で答えよ。
A. 革命前の主権者と国境を正しいものとする原則
Q5. 1848年の運動が失敗した理由を三つ答えよ。
A. 市民層と労働者の分裂、民族間の要求の衝突、常備軍が君主の側に残ったこと
Q6. ドイツ帝国で男性普通選挙があっても権力が議会へ移らなかった理由を答えよ。
A. 宰相が議会ではなく皇帝に責任を負う仕組みだったため

よくある質問

近代の政治はどこから整理すればよいですか?
「支配してよい根拠を、誰に置き替える工事だったか」から入ってください。神と血筋から人民の同意へ移す工事だと押さえると、革命も反動も統一も、同じ工事の進み方の違いとして並びます。出来事の年号から入ると、順番は覚えられても理由が残りません。
同じ社会契約説から、なぜ違う結論が出たのですか?
人間を放っておいたときの姿をどう想定したかが違うからです。危険だと見れば権利を全面的に手放させる方向へ進み、扱えると見れば条件つきで預ける方向へ進みます。前提が結論を決めているので、前提と結論を組にして覚えてください。
1848年の革命はほとんど失敗なのに、なぜ重要なのですか?
工事の担い手が下から上へ入れ替わる分岐点だからです。旧来のやり方では統治できないと示された結果、支配層が要求の一部を先回りして実現するようになりました。統一も農奴解放も、この転換の後の出来事として位置づけられます。
国民国家ができると、なぜ民族の問題が起きるのですか?
主権者を人民とした瞬間に、どこまでが同じ人民かという線引きが必要になるからです。線を言語や宗教で引けば、多民族の帝国には分解の圧力がかかり、新しく独立した国も少数派を抱えます。問題は解決されるのではなく、単位が小さくなって移動します。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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