ロシアの東方進出とグレートゲーム|陸の帝国はどこまで広がったか

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ロシアはヨーロッパの国であると同時に、ユーラシアを横断する陸の帝国でした。毛皮を求めてシベリアへ、不凍港を求めて南へ、そして中央アジアへ——3つの方向への拡大が、清との国境画定・イギリスとの対立(グレートゲーム)・日露戦争をすべて生みます。1本の線でつながる拡大の歴史です。
東へ — 毛皮を求めてシベリアへ
一言でいうと16世紀以降、ロシアがシベリア・極東・中央アジアへ勢力を広げた過程。毛皮の獲得と不凍港の確保が主な動機であった。
- イヴァン4世(雷帝)の時代から、東方への進出が本格化した。
- コサックが先兵となり、シベリアの諸勢力を征服していった。
- 動機は毛皮(黒テンなど)という高価な交易品の獲得であった。
- 河川を利用して、比較的短期間に太平洋岸に到達した。
- 清との間で衝突が生じ、ネルチンスク条約で国境が画定された。
- さらにキャフタ条約で国境と通商が定められた。
- 19世紀にはアイグン条約・北京条約により、沿海州を獲得した。
- ウラジヴォストークが築かれ、太平洋への出口となった。
「ネルチンスク条約の意義」清が西欧型の国際法にもとづいて対等な形で結んだ、数少ない条約です。「冊封体制ではなく、条約によって国境を定めた例外的な事例」——のちのアヘン戦争後の不平等条約とは性格が違う点を書けると評価されます。日本世界史塾では、この対比を条約体制の導入に使います。
毛皮という動機「なぜ寒冷なシベリアへ進出したのか」——答えは毛皮という高価な交易品です。「経済的な動機を具体的に書く」のが論述の基本で、アフリカの金、新大陸の銀と同じ書き方です。
南へ — 不凍港を求めて
| 方向 | 目的 | 結果 |
|---|---|---|
| バルト海 | 不凍港 | 北方戦争で獲得、ペテルブルク建設 |
| 黒海 | 地中海への出口 | クリミア半島を獲得、しかしクリミア戦争で挫折 |
| バルカン | 南下と正教徒の保護 | ベルリン会議で勢力を削減される |
| 中央アジア | 領土と、インドへの圧力 | 諸ハン国を併合、イギリスと対立 |
| 極東 | 太平洋への出口 | 沿海州獲得、日露戦争で挫折 |
- ロシアの対外政策は、一貫して不凍港の獲得を目指した。
- ピョートル1世がバルト海への出口を得た。
- エカチェリーナ2世がクリミア半島を獲得した。
- クリミア戦争では英仏に阻まれ、黒海の中立化を受け入れた。
- ロシア=トルコ戦争で得た勢力圏は、ベルリン会議で削減された。
- 中央アジアでは諸ハン国を併合し、インドに接近した。
- 極東ではシベリア鉄道を建設し、満洲へ進出した。
- 日露戦争の敗北により、極東での拡大は止まった。
「南下政策は1本の線」バルト海(ピョートル1世)→ 黒海(エカチェリーナ2世)→ バルカン(クリミア戦争・ロシア=トルコ戦争)→ 中央アジア → 極東(日露戦争)。「すべて不凍港という同じ動機から出ている」——この一貫性を示せると、ロシア外交史がまとまります。
阻んだのはイギリスクリミア戦争でも、中央アジアでも、日露戦争(日英同盟)でも、ロシアの南下を阻んだのはイギリスでした。「インドへの通路を守る」という一貫した動機があったためです。「イギリスの対露政策は、インド防衛から説明できる」と書けると強い。
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グレートゲーム — 英露の対立
- ロシアが中央アジアの諸ハン国を次々に併合した。
- イギリスはインドが脅かされることを警戒した。
- 両者はアフガニスタンやイランをめぐって影響力を争った。
- この対立をグレートゲームと呼ぶ。
- アフガニスタンは、両勢力の間の緩衝地帯となった。
- イランでも英露が勢力範囲を分け合った。
- しかしドイツの台頭という共通の脅威により、英露協商が結ばれた。
- これにより三国協商が成立した。
「緩衝国という発想」アフガニスタンが独立を保てたのは、英露の緩衝地帯として都合がよかったからです。タイが英仏の緩衝地帯として独立を保ったのとまったく同じ構図。「大国が直接接することを避けるため、間に独立国を残す」——この一般化は論述で強く効きます。
英露協商の意味長く対立していた英露が、ドイツという共通の脅威を前に手を結びました。「共通の敵が、体制も利害も異なる国を結びつける」——ファショダ事件後の英仏協商と同じ構図で、三国協商の成立を一本で説明できます。
陸の帝国という性格
| 海洋帝国(英・蘭) | 陸の帝国(露・清) | |
|---|---|---|
| 拡大の方法 | 海路で拠点を確保 | 陸続きに領土を拡大 |
| 支配の形 | 植民地と交易拠点 | 領土に編入 |
| 本国との関係 | 海で隔てられる | 地続き |
| 独立運動 | 本国から分離しやすい | 分離が困難 |
- ロシアは獲得した地域を領土として編入し、ロシア人の移住を進めた。
- そのため植民地と本国の区別が曖昧であった。
- ソ連はこれを連邦という形で再編した。
- 共産党という単一の組織と計画経済が、多民族を束ねる役割を果たした。
- その2つが緩んだとき、ソ連は解体した。
- 海洋帝国の植民地が20世紀半ばに独立したのに対し、陸の帝国の解体は20世紀末まで持ち越された。
「海の帝国と陸の帝国」「海で隔てられた植民地は分離しやすく、地続きの領土は分離しにくい」——だから英仏の植民地は1960年前後に独立し、ソ連の解体は1991年だった。この時間差を、帝国の形の違いから説明できると、20世紀史の理解が一段深くなります。
オスマン帝国との比較オスマン帝国も陸の帝国でしたが、第一次世界大戦の敗北で一気に解体しました。「戦争による解体(オスマン)と、内部からの解体(ソ連)」——解体の経路の違いとして比較できます。
入試で狙われるポイント総覧
- 東方進出の動機=毛皮、先兵はコサック
- 清との国境=ネルチンスク条約・キャフタ条約、19世紀にアイグン条約・北京条約で沿海州
- 南下政策は一貫して不凍港が目的
- クリミア戦争で挫折、ベルリン会議で勢力を削減される
- 中央アジアの併合→グレートゲーム、アフガニスタンは緩衝地帯
- 英露協商により三国協商が成立
- シベリア鉄道と満洲進出→日露戦争で挫折
- 陸の帝国は地続きゆえに分離が困難——ソ連の解体は20世紀末
共通テストでの出方「ネルチンスク条約は清にとって不平等条約だった」は誤り(対等な形で結ばれた)。「グレートゲームは英仏の対立」も誤り(英露)。「アフガニスタンはイギリスの植民地となった」も誤り(緩衝地帯として独立を保つ)。この3つは定番です。
この記事の一問一答(確認テスト)
- Q1. ロシアがシベリアへ進出した経済的な動機を答えよ。
- A. 毛皮の獲得
- Q2. 清とロシアが国境を画定した2つの条約を答えよ。
- A. ネルチンスク条約とキャフタ条約
- Q3. ロシアの南下政策の一貫した目的を答えよ。
- A. 不凍港の獲得
- Q4. 中央アジアをめぐる英露の対立を何と呼ぶか。
- A. グレートゲーム
- Q5. 英露の緩衝地帯となった国を答えよ。
- A. アフガニスタン
- Q6. 英露協商が成立した背景を答えよ。
- A. ドイツの台頭という共通の脅威
よくある質問
- なぜロシアはシベリアへ進出したのですか?
- 毛皮という高価な交易品を求めたためです。コサックが先兵となり、河川を利用して比較的短期間に太平洋岸へ到達しました。
- ネルチンスク条約はなぜ特別なのですか?
- 清が西欧型の国際法にもとづいて対等な形で結んだ、数少ない条約だからです。冊封体制ではなく条約で国境を定めた例外であり、アヘン戦争後の不平等条約とは性格が違います。
- グレートゲームとは何ですか?
- 中央アジアをめぐるイギリスとロシアの対立です。イギリスはインドが脅かされることを警戒し、アフガニスタンやイランで影響力を争いました。アフガニスタンは緩衝地帯として独立を保っています。
- なぜソ連の解体は20世紀末まで持ち越されたのですか?
- 陸の帝国は地続きで領土に編入されているため、分離が困難だったからです。海で隔てられた英仏の植民地が1960年前後に独立したのとは対照的です。
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この記事について
世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。
藤
藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。
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