ムガル帝国とは?アクバルとアウラングゼーブで分かれた運命

ムガル帝国は、16世紀から19世紀までインドを支配したイスラーム王朝です。入試の核心はただ一つ、「少数のムスリムが、多数のヒンドゥー教徒をどう統治したか」。この問いへの答えが、アクバルとアウラングゼーブでまったく逆になり、帝国の運命を分けました。
ムガル帝国とは(成立と基本データ)
| 皇帝 | 事績 |
|---|---|
| バーブル | 1526年に建国。ティムールの子孫でトルコ系 |
| アクバル(第3代) | ジズヤを廃止して融和。マンサブダール制を整備。都をアグラへ |
| ジャハーンギール | ヨーロッパ諸国の商館設置を認める |
| シャー=ジャハーン(第5代) | タージ=マハルを建設。インド=イスラーム文化の最盛期 |
| アウラングゼーブ(第6代) | 最大版図を実現するが、ジズヤを復活させて反発を招いた |
帝国の根本的な条件は、支配層がイスラーム教徒、被支配層の大多数がヒンドゥー教徒という宗教構成でした。この条件をどう扱うかが、統治の成否を決めます。
アクバル — 融和による統合
第3代アクバルは、少数派が多数派を統治するための現実的な解を選びました。宗教的な寛容です。
- ジズヤ(非ムスリムへの人頭税)を廃止した
- ラージプート(ヒンドゥーの有力諸侯)の王女と結婚し、彼らを官僚・武将として登用した
- マンサブダール制 — 官僚に位階を与え、それに応じた騎兵の維持義務と俸給(土地の徴税権=ジャーギール)を課す制度。宗教を問わず能力で登用できた
- 土地の測量にもとづく公正な徴税を行った
- 諸宗教の対話を奨励し、独自の宗教理念を唱えた
結果として、ヒンドゥー教徒の有力層が帝国の統治機構に組み込まれ、支配の基盤が広がりました。「寛容は理想ではなく統治の技術である」——この理解が論述では重要です。
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アウラングゼーブ — 最大版図と、その代償
第6代アウラングゼーブは、敬虔なムスリムとしてイスラーム法(シャリーア)にもとづく統治を志向し、アクバル以来の路線を転換しました。
- ジズヤを復活させ、ヒンドゥー教徒に課税した。
- ヒンドゥー寺院の破壊も行われ、宗教的な反発が高まった。
- デカン地方への遠征を繰り返し、帝国の版図は最大となった。
- しかし遠征の負担と宗教政策への反発から、各地で反乱が続発した。
- マラーター王国(ヒンドゥー、シヴァージーが建国)、シク教徒、ラージプートが離反した。
- 彼の死後、帝国は急速に解体へ向かった。
この構図は、ローマ帝国の拡大が共和政を壊したのと同型です。拡大が統治能力を超えると、帝国は内側から崩れる——この一般化は複数の単元で使えます。
文化 — インド=イスラーム文化
ムガル帝国では、イスラームとインドの伝統が融合した独自の文化が生まれました。
- タージ=マハル — シャー=ジャハーンが妃のために建てた墓廟。インド=イスラーム建築の代表
- ウルドゥー語 — ペルシア語・アラビア語の語彙とインドの言語が融合。現在のパキスタンの国語
- ムガル絵画(宮廷の細密画)とラージプート絵画
- シク教 — ナーナクが創始。イスラームの一神教とヒンドゥーの要素を融合し、偶像崇拝とカースト制を否定した
衰退と滅亡 — イギリス支配へ
- アウラングゼーブの死後、帝国は分裂状態となり、地方勢力が自立した。
- ヨーロッパ勢力が進出。プラッシーの戦い(1757年)でイギリス東インド会社がフランス・ベンガル太守連合軍を破り、ベンガルの徴税権(ディーワーニー)を獲得した。
- イギリスはザミンダーリー制(北部・地主に納税義務)やライヤットワーリー制(南部・農民に直接課税)で徴税体制を整えた。
- 産業革命後のイギリス綿製品が流入し、インドの伝統的な綿織物業が壊滅。インドは原料供給地へ転落した。
- 1857年、インド大反乱(シパーヒーの反乱)が発生。名目上の皇帝を擁立しようとしたが鎮圧され、1858年にムガル帝国が滅亡、東インド会社も解散した。
- 1877年、ヴィクトリア女王を皇帝とするインド帝国が成立した。
- Q1. ムガル帝国を建国した人物と、その戦いは。
- A. バーブル、パーニーパットの戦い
- Q2. ジズヤを廃止した第3代皇帝は。
- A. アクバル
- Q3. アクバルが整備した官僚制度の名称は。
- A. マンサブダール制
- Q4. タージ=マハルを建設した皇帝は。
- A. シャー=ジャハーン
- Q5. ジズヤを復活させ、最大版図を実現した皇帝は。
- A. アウラングゼーブ
- Q6. ムガル帝国が滅亡した年と、そのきっかけとなった出来事は。
- A. 1858年、インド大反乱
よくある質問
- アクバルはなぜジズヤを廃止したのですか?
- 少数派のムスリムが多数派のヒンドゥー教徒を統治するためです。宗教的な融和によってヒンドゥーの有力層を統治機構に取り込み、支配の基盤を広げました。理想ではなく統治の技術でした。
- アウラングゼーブの時代は最盛期ですか?
- 領土は最大ですが、統治の実質は崩れ始めていました。ジズヤの復活による宗教的反発と遠征の負担で反乱が続発し、死後に帝国は急速に解体します。
- シク教とはどんな宗教ですか?
- ナーナクが創始し、イスラームの一神教とヒンドゥーの要素を融合した宗教です。偶像崇拝とカースト制を否定しました。ムガル期の宗教的融合の代表例です。
- インド大反乱の意義は何ですか?
- ムガル帝国と東インド会社の両方が消滅し、イギリスによる国家としての直接統治(インド帝国)へ移行する転換点となりました。
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