アッバース朝とは?イスラーム帝国への転換と繁栄

アッバース朝とは?イスラーム帝国への転換と繁栄
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アッバース朝は、750年から1258年まで続いたイスラーム世界の中心王朝です。入試の核心は「アラブ帝国からイスラーム帝国へ」という転換——つまりアラブ人の特権が廃され、ムスリムであれば民族を問わず平等に近づいたことです。ウマイヤ朝との対比で押さえれば、失点しません。

アッバース朝とは(成立の経緯)

一言でいうと750年、ウマイヤ朝を倒して成立したイスラーム王朝。都はバグダード民族を問わずムスリムの平等を原則としたため「イスラーム帝国」と呼ばれる。1258年、モンゴルのフラグに滅ぼされた。

成立の背景には、ウマイヤ朝のアラブ人優遇への不満がありました。

  1. ウマイヤ朝では、征服者であるアラブ人はジズヤ(人頭税)とハラージュ(地租)を免除される特権を持っていた。
  2. 一方、イスラームに改宗した非アラブ人(マワーリー)は、改宗後もジズヤを課され続けた。
  3. 「神の前の平等」を説く教えと、現実の民族差別が矛盾していた。
  4. この不満に、カリフ位をめぐって敗れたシーア派の不満が結びついた。
  5. アッバース家が両者を糾合して革命を起こし、750年にウマイヤ朝を倒した。
革命後の裏切りアッバース家はシーア派の支持を利用して権力を握りながら、成立後はスンナ派の立場をとりました。裏切られたシーア派は以後も反体制勢力として各地で運動を続け、のちのファーティマ朝などにつながります。この経緯は私大で問われます。

「アラブ帝国」から「イスラーム帝国」へ

ウマイヤ朝(アラブ帝国) アッバース朝(イスラーム帝国)
支配の原理 アラブ人という民族 ムスリムという信仰
アラブ人の税 免除(特権) 土地を持てばハラージュを負担
改宗した非アラブ人 改宗してもジズヤを課された ジズヤ免除。アラブ人と同等
官僚 アラブ人中心 イラン系など非アラブ人も登用
ダマスクス バグダード(円城として建設)

この転換の意義は、イスラームが「アラブ人の宗教」から「普遍的な世界宗教」になったことです。民族を問わず改宗すれば同等に扱われるため、イラン系・トルコ系の人々が政治や文化の中心を担うようになりました。

論述での使い方「アッバース朝は改宗すれば民族を問わず平等に扱った」だけでなく、「その結果、イラン系官僚やトルコ系軍人が台頭し、やがてアラブ人以外が実権を握る道が開かれた」まで書くと、後の諸王朝分立への伏線としてつながります。
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繁栄 — バグダードと東西交易

第2代カリフマンスールが建設したバグダードは、ティグリス川のほとりに設けられた円形の計画都市で、最盛期には人口100万を超える世界最大級の都市になったとされます。

  • ハールーン=アッラシードの時代が最盛期。『千夜一夜物語』に登場することでも知られる
  • 陸のシルクロードと海の交易路(ダウ船によるインド洋交易)の結節点として繁栄
  • ムスリム商人が東は中国(広州)、西はアフリカ東岸まで活動
  • 製紙法タラス河畔の戦い(751年)を機に唐から伝わり、書物の普及と学問の発展を促した
  • 「知恵の館(バイト=アルヒクマ)」でギリシア語文献のアラビア語翻訳が進んだ

この翻訳事業が決定的でした。ギリシアの哲学・医学・数学がアラビア語で保存・発展し、のちに十字軍やイベリア半島を通じてヨーロッパへ還流して12世紀ルネサンスを引き起こします。イスラーム世界はヨーロッパの学問の恩人である——この視点は論述で高く評価されます。

文化史の頻出人物イブン=シーナー(医学・『医学典範』)、イブン=ルシュド(アリストテレス注釈)、フワーリズミー(代数学)、イブン=ハルドゥーン(『世界史序説』)。インド由来のゼロの概念とアラビア数字を西方へ伝えたのもこの世界です。

衰退 — カリフはなぜ権力を失ったのか

  1. 広大な領域を中央から統治しきれず、各地に地方政権が自立した(後ウマイヤ朝、ファーティマ朝など)。
  2. カリフは軍事力を確保するためトルコ系の軍人奴隷(マムルーク)を登用したが、やがて彼らが実権を握った。
  3. 946年、イラン系シーア派のブワイフ朝がバグダードに入城し、カリフから大アミールとして実権を奪った。
  4. 1055年、トルコ系スンナ派のセルジューク朝がブワイフ朝を追い、カリフからスルタンの称号を得た。
  5. 以後、カリフは宗教的権威のみ、スルタンが世俗的権力という二重構造が定着した。
  6. 1258年、モンゴルのフラグがバグダードを占領し、アッバース朝は滅亡した。

注目すべきは、ブワイフ朝もセルジューク朝もカリフを廃さなかったことです。カリフの権威を利用して自らの支配を正統化する方が有利だったからです。権威と権力の分離——日本の天皇と幕府の関係と比較する視点も有効です。

またイクター制ブワイフ朝が創始、セルジューク朝が発展)は、俸給の代わりに軍人へ土地の徴税権を与える制度です。ヨーロッパの封建制と比較されますが、土地そのものの所有権を与えたわけではない点が異なります。

入試で狙われるポイント総覧

  • 成立750年、滅亡1258年(モンゴルのフラグ
  • 都はバグダード(マンスールが建設)
  • アラブ人の特権を廃し、ムスリムの平等へ=イスラーム帝国
  • 最盛期はハールーン=アッラシード
  • タラス河畔の戦い(751年)で唐に勝利、製紙法が西伝
  • ブワイフ朝=大アミール/セルジューク朝=スルタン
  • イクター制はブワイフ朝が創始
共通テストでの出方「アッバース朝ではアラブ人が免税特権を持った」は誤り(それはウマイヤ朝)。「セルジューク朝はカリフを廃止した」も誤り(権威として存続させた)。ウマイヤ朝との入れ替えが最頻出なので、税制と都の対比表で固めてください。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. アッバース朝の成立年と滅亡年を答えよ。
A. 750年と1258年
Q2. アッバース朝の都と、それを建設したカリフは。
A. バグダード、マンスール
Q3. ウマイヤ朝で改宗しても課税された非アラブ人を何というか。
A. マワーリー
Q4. 751年に唐を破った戦いと、西伝した技術は。
A. タラス河畔の戦い、製紙法
Q5. ブワイフ朝とセルジューク朝がカリフから得た称号をそれぞれ答えよ。
A. 大アミールとスルタン
Q6. アッバース朝を滅ぼしたモンゴルの人物は。
A. フラグ

よくある質問

「アラブ帝国」と「イスラーム帝国」の違いは何ですか?
支配の原理が民族(アラブ人)か信仰(ムスリム)かの違いです。ウマイヤ朝ではアラブ人が免税特権を持ちましたが、アッバース朝では改宗すれば民族を問わず同等に扱われました。
アッバース朝はシーア派の王朝ですか?
違います。シーア派の支持を得て革命を起こしましたが、成立後はスンナ派の立場をとりました。裏切られたシーア派は以後も反体制勢力として活動します。
なぜカリフは実権を失ったのですか?
軍事力を軍人奴隷(マムルーク)に依存した結果、彼らや周辺勢力に実権を握られたためです。ただし権威としてのカリフは存続し、実力者は自らの支配を正統化するために利用しました。
イクター制と封建制はどう違いますか?
イクター制は土地の徴税権を与える制度で、土地の所有権を与えるものではありません。ヨーロッパの封建制のような双務的契約の観念も伴いません。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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