古代オリエントの国際秩序|大国が並び立った時代

古代オリエントの国際秩序|大国が並び立った時代
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古代オリエントは最初から大帝国に覆われていたように見えますが、実際にはどの国も他を屈服させきれない多極の時代が長く続きました。大国どうしは使節と書簡と婚姻で関係をつなぎ、決着のつかない戦争は取り決めで閉じます。そしてこの並立が終わるとき、統一のやり方の違いが、そのまま支配の長さの違いになりました。なお「外交」も「国際関係」も、対等な主権国家が並び立つ近代の体制を前提にした言葉です。ここでは当時その役割を果たしていた営みを指す語として用います。

並び立つ大国 — オリエントは長く一強ではなかった

一言でいうと前2千年紀の後半、エジプト新王国・ヒッタイト・ミタンニ・バビロニア(カッシート)・アッシリアなどの大国が並び立ち、使節の往来・書簡・婚姻・贈答によって関係を保っていた状態。どの国も他を一方的に併呑できなかったことが、この秩序を成り立たせていた。
位置 特徴
エジプト新王国 ナイル流域からシリア方面へ 金の産出と豊かな農業。遠方は現地の首長を通して支配
ヒッタイト 小アジア(アナトリア) 鉄器と戦車。シリアをめぐりエジプトと衝突
ミタンニ 北メソポタミア フルリ人の国。馬と戦車に長けたとされる
バビロニア(カッシート) メソポタミア南部 バビロンを都に長く安定し、学芸の中心が保たれた
アッシリア メソポタミア北部 ミタンニの衰退後に台頭し、のちに統一を果たす
  1. 戦車と馬を用いる戦い方が各地に広まり、一国だけが軍事的に突出しにくくなった。
  2. 製鉄の技術はヒッタイトが独占したと長く説明されてきたが(近年はこれを疑う見方もある)、大国を一気に屈服させるほどの差にはならなかった。
  3. 各国の中心地は遠く離れており、遠征して占領を維持する費用が、得られる利益を上回りやすかった
  4. そのため、滅ぼすより服属させて貢納を取るほうが合理的だった。
  5. 衝突の焦点は、交易路と農地が重なるシリア・パレスチナに集中した。
  6. 結果として、決着のつかない衝突と、その後の取り決めが繰り返される時代が続いた。
「並立の時代の長さ」を書けるようにするオリエントが統一されるのは前7世紀前半のアッシリアが最初で、それ以前の1000年近くは大国が並び立つ時代でした。中国でも、覇者が会盟を重ねた春秋から戦国へと続く長い分立を経て、秦の統一が最後に来ます。「分立が長く、統一は遅れて来る」という順序は多くの地域に共通する——この視点があると、統一の意味を大きく書けます。
バビロニアの3つを混同しないバビロン第1王朝(ハンムラビ王の国、ヒッタイトに滅ぼされる)カッシート人が支配した時代のバビロニア前7世紀末以降の新バビロニア(カルデア)は別物です。「バビロニア」という語だけで反応せず、どの時期かを必ず確認してください。誤答選択肢はこの3つの入れ替えで作られます。

カデシュの戦い — 決着がつかなかったから取り決めが生まれた

  1. エジプト新王国はトトメス3世の頃にシリア方面へ勢力を伸ばし、最大版図に達した。
  2. ヒッタイトが小アジアから南下し、間にあったミタンニを圧迫した。
  3. シリアの支配権をめぐり、エジプトとヒッタイトが正面から衝突した(カデシュの戦い、前13世紀前半)。
  4. エジプト王ラメス2世(ラメセス2世)は自らの勝利を神殿の壁に大きく記録させたが、実際には決着がつかなかったとされる。
  5. 双方が消耗する一方で、北メソポタミアではアッシリアが台頭しつつあった。
  6. のちに両国の間で講和が結ばれ、敵対の停止と相互の援助が誓われた。
  7. この取り決めはエジプト側の碑文とヒッタイト側の粘土板の双方に残り、内容を突き合わせられる稀な例となっている。
取り決めの柱 内容
敵対の停止 互いに攻め込まないことを誓う
相互の援助 他勢力に攻められた側を助ける
逃亡者の扱い 相手国へ逃れた者を送り返す
王位の保証 後継者の地位を互いに支える
神々への誓い 双方の神々を証人とし、違反への罰を定める
「なぜ講和できたのか」を一文で勝てないと双方が理解し、しかも第三の勢力(台頭するアッシリア)が共通の関心になったからです。「決着のつかない戦争は、条約で閉じられる」という型は、三十年戦争を終わらせたウェストファリア条約にも、朝鮮戦争の休戦にも通じます。戦いの結果ではなく、講和が生まれた条件を説明できると、答案の質が変わります。
どちらが勝ったと断定しない王の記録は自国の勝利を語るものです。カデシュの戦いについても、エジプト側の記録だけを根拠に勝敗を書くのは危険で、その後もシリアの領有が分け合われたことから決着はつかなかったとされます。「史料は誰が、何のために残したのか」を疑う姿勢は、史料を読ませる出題でそのまま得点になります。
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使節と書簡と婚姻 — 対等な「兄弟」と、貢納する側

この時代の国家間のやりとりを直接伝えるのが、エジプトのテル=エル=アマルナから出土した粘土板の書簡群、いわゆるアマルナ文書です。エジプト王と各地の王・首長との往復が記されており、共通に用いられた言語はアッカド語、文字は楔形文字でした。エジプト語でもヒッタイト語でもない言語が共通語になっていた点が重要です。

  1. 大国の王どうしは互いを「兄弟」と呼びかけ、対等な間柄であることを言葉の上で確認した。
  2. 関係の維持は贈答で行われ、エジプトからは、バビロニアからは青金石(ラピスラズリ)、ミタンニからはといった品が動いたとされる。
  3. 婚姻も外交の手段で、他国の王女を宮廷に迎えることで関係が強められた。
  4. ただしエジプト側は自国の王女を他国へ嫁がせなかったとされ、対等をうたいながら実際には非対称であった。
  5. 一方、シリア・パレスチナの小首長たちは自らを臣下と位置づけ、貢納と軍役を果たす立場にあった。
  6. 彼らは反乱の疑いを避けるため、子弟を大国の宮廷へ送ることもあったとされる。
  7. つまり同じ時代に、対等な関係と上下の関係が二重に存在していた
観点 大国どうし 大国と服属する側
呼びかけ 「兄弟」 主君と臣下
物のやりとり 贈答(互いに贈る) 貢納(一方が納める)
婚姻 王家どうしの結婚 子弟を宮廷へ送る
軍事 相互の援助 軍役の提供
違反したとき 書簡での抗議と交渉 軍事的な制裁
共通語で時代の重心を読む実務で使われる共通語は、その時代の秩序の広がりを映します。前2千年紀はアッカド語、アケメネス朝ではアラム語、ヘレニズム世界ではギリシア語、ローマではラテン語と移りました。東アジアでは漢字と漢文が同じ役割を果たします。「どの言語で書かれたか」を秩序の指標として使えると、文化史と政治史が一本になります。
「対等」を近代の主権と同じに読まない兄弟と呼び合う関係は、あくまで王個人どうしの結びつきであり、領域と国境をもつ国家が対等な資格で並ぶという近代の主権国家体制とは別物です。東アジアの冊封と朝貢が上下関係を原則としたのに対し、この時代のオリエントでは対等と上下が併存した——この違いを押さえたうえで、近代の枠組みを古代に持ち込まないでください。

統一の方法が支配の長さを決めた — アッシリアとアケメネス朝

  1. 前12世紀ごろ、「海の民」と呼ばれる集団の活動などによりヒッタイトが滅び、エジプト新王国も勢いを失った。
  2. 大国の並立は崩れ、東地中海には小さな勢力が活動する空白の時期が生まれた。
  3. やがてアッシリアが鉄製の武器・戦車・騎兵を用いて拡大し、前7世紀前半に全オリエントを統一した。
  4. しかし服属民の強制移住と重い貢納を重ね、反乱の動機を作り続けた。
  5. 前612年に都ニネヴェが陥落し、統一からおよそ半世紀で支配は崩れた。
  6. その後、エジプト・リディア・新バビロニア・メディアの4王国が分立した。
  7. アケメネス朝が再統一し、貢納と軍役を条件に服属民の宗教や慣習を認め、約200年にわたる支配を保った。
反乱が起きる理由 アッシリアの対応 アケメネス朝の対応
信仰を否定される 神殿や祭祀に圧力を加えた 宗教を認め、神殿の再建も許した
土地から引き離される 住民を集団で移した 原則として住み続けさせた
負担が重すぎる 取り立てが厳しかった 州ごとの額を定め、交易を保護した
訴えが届かない 総督の力量に委ねた 「王の目」「王の耳」が地方を監察した
連絡が遅い 軍用の道と伝令を整えた 「王の道」と駅伝で情報を速めた

アッシリアにも道路と伝令の整備はあったとされ、制度がなかったから短命だった、という説明は正確ではありません。分かれ目は制度の有無ではなく、服属した人々に「従うほうが得だ」と思わせられたかどうかでした。恐怖は反乱を一時的に止めますが、機会が来れば必ず噴き出します。認めることで支配するという発想は、市民権を広げたローマ、宗教に寛容だったモンゴル帝国、宗教共同体ごとの自治を認めたオスマン帝国へと形を変えて受け継がれていきます。

この一文が書ければ評価される「アッシリアは強制移住と重い貢納によって服属民の反発を招いて短命に終わったのに対し、アケメネス朝は貢納と軍役を条件に宗教や慣習を認めたため、広域支配を長く保った」統一したかどうかではなく、統一のやり方を問うのが論述の狙いです。日本世界史塾では、この対比を「広域支配をどう続けるか」という長い主題の出発点として最初に固めます。
古代の広域支配を「帝国主義」と書かない帝国主義は19世紀後半の経済段階と結びついた概念で、工業の集中と資本の輸出を背景に、原料の供給地と市場を求めて列強が競った状況を指します。アッシリアやアケメネス朝の広域支配に当てはめると、時代の違う枠組みを持ち込んだことになり、減点されます。古代については「征服による広域支配」「服属と貢納」と書いてください。

入試で狙われるポイント総覧

  • 前2千年紀後半=エジプト新王国・ヒッタイト・ミタンニ・バビロニア(カッシート)・アッシリアの並立
  • ヒッタイト=小アジア、鉄器の使用、バビロン第1王朝を滅ぼす
  • カデシュの戦い=エジプト(ラメス2世)とヒッタイト、決着はつかなかったとされる
  • のちに講和が結ばれ、双方の史料に内容が残る
  • アマルナ文書アッカド語の楔形文字で書かれた書簡群
  • 大国どうしは「兄弟」と呼び合い贈答と婚姻、服属する側は貢納と軍役
  • 前12世紀の混乱(「海の民」)で並立の秩序が終わる
  • アッシリア=前7世紀前半に全オリエント統一、強制移住と重い貢納前612年にニネヴェ陥落
  • アケメネス朝サトラップ・「王の目」「王の耳」・「王の道」、宗教と慣習の承認で約200年
共通テストでの出方「カデシュの戦いでエジプトがヒッタイトを決定的に破った」は誤り(決着せず、のちに講和)。「アマルナ文書は神聖文字で記された」も誤り(アッカド語の楔形文字が中心)。「アッシリアは服属民の宗教を認めたので長期の支配を保った」も誤り(それはアケメネス朝で、アッシリアの統一は半世紀ほど)。統一した国と、その統治のやり方の対応が最頻出です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 前13世紀前半にエジプトとヒッタイトが衝突した戦いは。
A. カデシュの戦い
Q2. カデシュの戦いを戦ったエジプト王は。
A. ラメス2世(ラメセス2世)
Q3. 前2千年紀の国際的な書簡で共通に用いられた言語は。
A. アッカド語
Q4. エジプトのテル=エル=アマルナから出土した外交書簡群を何というか。
A. アマルナ文書
Q5. 史上初めて全オリエントを統一した国と、その統治の特徴を一つ答えよ。
A. アッシリア、強制移住(重い貢納でも可)
Q6. アケメネス朝が服属民に対してとった方針を一言で答えよ。
A. 貢納と軍役を条件に宗教や慣習を認める寛容策

よくある質問

古代に「国際関係」と呼べるものが本当にあったのですか?
ありました。どの大国も他を屈服させきれなかったため、使節・書簡・贈答・婚姻で関係を保つ必要があったからです。書簡がアッカド語という共通語で書かれていた点が、その広がりを示しています。
カデシュの戦いはどちらが勝ったのですか?
決着はついていないとされます。エジプト側の記録は勝利を語りますが、その後もシリアの領有は分け合われました。勝敗より、のちに講和が結ばれた事実のほうが入試では重要です。
アッシリアとアケメネス朝の違いは、結局どこが本質ですか?
反乱の動機を作ったか、減らしたかです。アッシリアは強制移住と重い貢納で反発を蓄積させ、アケメネス朝は宗教や慣習を認めて従うほうが得になる状態を作りました。制度の有無より、この一点で差がつきます。
古代の大国を「帝国主義」と説明してよいですか?
避けてください。帝国主義は19世紀後半の経済段階と結びついた概念で、資本の輸出や市場獲得の競争を前提とします。古代については「征服による広域支配」「服属と貢納」と書くのが正確です。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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