現代の社会を整理する|動員された人々が権利を要求した

現代の社会を整理する|動員された人々が権利を要求した
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現代の社会は、戦争が残した請求書で組み立てられています。国家が「国民のすべてが必要だ」と動員した以上、戦後には「では取り分を示せ」と請求される——参政権の拡大も福祉国家も、この一本の線でつながります。そして1970年代、成長が止まると支払いも止まりました。現代社会を「請求と支払い」の歴史として整理します。

動員は請求書を残す — 現代社会を貫く1本の線

一言でいうと20世紀以降の社会。総力戦による動員を出発点に、参政権の拡大・福祉国家・植民地の独立が進み、1970年代以降はその見直しと人の移動が中心の課題となった時代を指す。
現代の概念を過去へ持ち込まない帝国主義は19世紀後半に成立した概念です。独占的な大資本と国家が結びつき、原料と市場を求めて世界を分割した局面を指す語であり、アケメネス朝やローマの拡大、モンゴルの征服を「古代の帝国主義」「中世の帝国主義」と呼ぶのは不正確です。書くなら「領土の拡大」「征服による支配」と、その時代に即した語を選んでください。同じ注意は「人権」「国民国家」「福祉国家」にも当てはまります。これらはいずれも近代以降の産物であり、近代の概念を無自覚に過去へ当てはめないという作法そのものが問われます。
  1. 第一次世界大戦は、軍隊だけでなく国民と産業のすべてを使い切る戦争になった。
  2. 国家は徴兵・徴用・配給・価格の統制を通じて、個人の生活の内側まで入り込んだ。
  3. そこまで求める以上、「なぜあなたが犠牲を払うのか」を説明する義務が国家の側に生じた。
  4. 説明の中身は「これはあなたの国家であり、あなたの戦争である」という一点に集約された。
  5. 戦争が終われば、動員された側は「その国家における自分の取り分を示せ」と当然に要求する。
  6. 要求は参政権・労働条件・社会保障・植民地の自治という4つの形で現れた。
  7. 国家は全部を呑めず、呑んだ分が制度になり、呑まなかった分が次の対立の火種になった。
19世紀の国家 20世紀の国家
政治の担い手 財産と教養をもつ一部 数のうえで多数を占める人々
国家の仕事 治安と国防が中心 雇用と生活まで抱え込む
戦争の形 職業軍人と限られた戦場 国民と産業の全面的な動員
権利の根拠 財産と納税 国家への貢献と、人であること
財政の規模 小さい 累進課税と社会保障で肥大
「負担の広がりが権利の広がりを決める」ローマ共和政では、重装歩兵として戦列を担った平民が、身分闘争を通じて政治的な権利を得ていったとされます。2000年を隔てても論理は同じで、「軍事的・経済的な負担を担う層が広がると、政治的な権利もそこまで広がる」という一文が書ければ、古代と現代を同じ枠組みで説明できます。日本世界史塾では、この一文を現代史の背骨として先に渡しています。

福祉国家 — 請求書が制度に変わるまで

  1. 大戦を経て、失業や貧困は個人の怠慢ではなく社会の側の問題だという見方が広がった。
  2. 第一次世界大戦の講和とともに、労働条件の国際的な改善をめざすILOが設けられた。
  3. ドイツのヴァイマル憲法は、所有権に義務を伴わせ、人間らしい生活の保障をうたった点で先例となった。
  4. 世界恐慌により、市場に任せておけばやがて回復するという前提そのものが崩れた。
  5. アメリカのニューディールは、政府が雇用と老後に責任を負う方向へ舵を切った。
  6. 第二次世界大戦中のイギリスでは、戦後の社会保障の全体構想が示された(ベヴァリッジ報告)。
  7. 戦後、労働党政権のもとで医療を公費でまかなう制度などが整い、「ゆりかごから墓場まで」と表現された。
  8. 西欧諸国と日本も、高い成長がもたらす税収を財源に、年金・医療・教育を広げた。
誰のための制度か
ビスマルクの社会保険 社会主義勢力を抑えるため、上から与えた
ソ連型 計画経済のもとで雇用と保障を国家が一括
戦後西欧の福祉国家 動員の対価として要求され、権利になった
戦後アメリカ 年金と失業保険は整うが公的医療の範囲は限定的
独立後の新興国 財源が乏しく、制度化は部分的
「同じ社会保険でも意味が正反対」19世紀ドイツの社会保険は、社会主義者鎮圧法と組み合わされた「アメとムチ」の一方です。これに対し20世紀の福祉国家は、総力戦の動員に対して下から請求された権利です。「制度の形が似ていても、誰が求めて誰が与えたかで性格は逆になる」——この対比を一文で書けると、社会経済史の論述で確実に評価されます。
福祉国家と社会主義を混同しない福祉国家は市場経済と私有財産を前提にしたうえで、税と社会保障によって再分配を行う体制です。生産手段の国有化を柱とするソ連型とは原理が異なります。「福祉国家=社会主義」と書くと減点されます。両者は冷戦下で体制の優劣を競う関係にあった点まで押さえてください。
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線引きの拡大 — 誰が「数えられる人」になったか

  1. 大戦後、多くの国で男性の普通選挙が定着し、続いて女性参政権が相次いで実現した。
  2. イギリスでは大戦の末期に女性へ参政権が認められ、のちに男女で年齢の条件がそろえられた
  3. 第二次世界大戦の末期から戦後にかけて、フランス・イタリア・日本などでも実現した。
  4. アメリカでは、南北戦争後に法の上で平等が定められたのちも、南部で分離が続いた
  5. 公民権運動を経て、公共施設での分離の禁止と投票の保障が法として定められた。
  6. 植民地でも、宗主国のために戦い、働いた人々が「ならば自分たちの政府を」と求めた。
  7. アジア=アフリカ会議で植民地主義への反対が確認され、独立の動きが後押しされた。
  8. 1960年は17の国が独立して「アフリカの年」と呼ばれ、独立の波が頂点に達した。
達成されたこと 残ったこと
女性参政権 賃金・雇用・進路の格差
公民権法による分離の禁止 居住と所得の分離は残存
植民地の政治的独立 単一の産品に頼る経済構造
ラテンアメリカの早い独立 支配層が入れ替わっただけという面
ソ連・東欧の制度上の平等 政治的自由の制限
「独立は出発点であって解決ではない」19世紀前半に独立したラテンアメリカと、20世紀半ばに独立したアジア・アフリカを並べてください。どちらも「主権は得たが、経済は旧宗主国や大国との関係に縛られ続けた」という同じ構図です。「政治的独立と経済的自立は別の課題である」——この一文が、脱植民地化の論述の結論になります。
「アフリカの年」の範囲に注意1960年にアフリカのすべての国が独立したわけではありません。南部では白人少数派による支配やアパルトヘイトが続き、独立や差別の撤廃はさらに後になりました。「一斉に問題が解決した」と読める書き方は避けてください

1970年代の転換 — 支払いが止まり、人が動き出す

  1. 戦後の高い成長は、まず金とドルの交換停止と変動相場制への移行で足元が揺らいだ。
  2. 続く石油危機で原油価格が急騰し、先進国は物価高と不況の同時進行に直面した。
  3. 成長を前提に組まれていた社会保障の財源が細り、支出の見直しが政治の中心争点になった。
  4. 1980年代には、国営企業の民営化・規制緩和・減税を掲げる政権が英米で相次いだ。
  5. 好況期に労働力として招かれた外国人についても、受け入れの制限へ転じた。
  6. しかし家族の呼び寄せなどで定住が進み、受け入れ国は共存という新しい課題を抱えた。
  7. 冷戦の終結後は、紛争や迫害による難民と、経済的な理由による移動がさらに増えた。
  8. 1990年代以降は情報技術が普及し、資本・情報・仕事が国境をこえて瞬時に動くようになった。
高度成長期 石油危機以降
経済 高い成長が続く 低成長と物価高が同時に来る
政府の役割 拡大(雇用と社会保障) 抑制(民営化と規制緩和)
労働力 外国からの受け入れを拡大 制限へ転じるが定住は進む
移動の理由 仕事を求める移動が中心 紛争と迫害による移動が増加
社会の課題 どう分配するか どう共存し、格差にどう向き合うか

人口の面でも方向が分かれました。医療と衛生の普及で死亡率が先に下がった地域では人口が急増し、先に工業化した国では出生率が下がって高齢化が進みました。支え手が減れば、同じ制度でも一人あたりの負担は重くなります。福祉国家の見直しは、石油危機という短期の衝撃だけでなく、この人口の変化という長期の圧力も背景にあるとされます。

「1970年代を境目として使う」戦後史は、1970年代を境に「拡大の時代」と「見直しの時代」に二分できます。「動員の請求書は、成長が続くあいだは支払われ、成長が止まると支払いが滞った」——この一文を軸にすると、石油危機・民営化・移民の制限・格差の再拡大が、ばらばらの用語ではなく一つの因果として並びます。
「小さな政府」の中身を誤解しない福祉国家そのものが廃止されたわけではありません。行われたのは給付の対象や水準の見直し、国営企業の民営化、規制の緩和です。「1980年代に福祉国家は消滅した」と書くと誤りになります。「拡大が止まり、負担の分け方が争点になった」と書いてください。

入試で狙われるポイント総覧

  • 現代社会の起点=総力戦の動員と、その対価として出された4つの請求(参政権・労働条件・社会保障・植民地の自治)
  • ヴァイマル憲法=所有権に義務を伴わせ、人間らしい生活の保障をうたった先例
  • ILO=第一次世界大戦の講和とともに設けられた、労働条件の国際的な改善の機関
  • 世界恐慌とニューディールで、政府が雇用と老後に責任を負う方向へ転換
  • ベヴァリッジ報告と戦後イギリスの制度=「ゆりかごから墓場まで」
  • ビスマルクの社会保険は上から与えた「アメとムチ」、戦後の福祉国家は下から請求された権利
  • 公民権運動=法的な平等と実質的な平等の距離。1960年=アフリカの年(17か国が独立)
  • 石油危機=物価高と不況の同時進行。財源が細り、1980年代の民営化・規制緩和
  • 労働移民の制限と定住化、冷戦後の難民の増加情報技術による国境をこえた移動
共通テストでの出方「福祉国家とは生産手段を国有化した体制である」は誤り(市場経済を前提にした再分配)。「石油危機は原油が枯渇したために起きた」も誤り(産油国が価格と供給を政治的に用いたことによる)。「1960年のアフリカの年にアフリカ全域が独立した」も誤り(南部では白人支配が続いた)。制度の性格・原因・範囲の3点が定番の狙い所です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. 総力戦の動員が戦後に生んだ要求を4つ挙げよ。
A. 参政権の拡大、労働条件の改善、社会保障、植民地の自治や独立
Q2. 所有権に義務を伴わせ、人間らしい生活の保障をうたった憲法は。
A. ヴァイマル憲法
Q3. 第二次世界大戦中のイギリスで戦後の社会保障の構想を示した報告は。
A. ベヴァリッジ報告
Q4. ビスマルクの社会保険と戦後の福祉国家の違いを一言で答えよ。
A. 前者は上から与えられた統制の一部、後者は動員の対価として下から請求された権利
Q5. 1960年が「アフリカの年」と呼ばれる理由を答えよ。
A. この年に17の国が独立したため
Q6. 1970年代に福祉国家の見直しが始まった理由を答えよ。
A. 石油危機後の低成長で財源が細り、支出の抑制が争点になったため

よくある質問

「現代の社会」はどこから始まると考えればよいですか?
第一次世界大戦の総力戦からです。国家が国民全体を動員したことで、戦後に参政権・社会保障・植民地の自治が請求されました。この請求と支払いの歴史として20世紀を読むと、用語がひとつの線に並びます。
福祉国家はなぜ戦後に一気に広がったのですか?
動員の対価という請求と、高い経済成長による財源が同時にそろったからです。恐慌によって市場任せでは回復しないことが分かっていた点も大きく、政府が雇用と生活に責任を負う体制が受け入れられました。
法律で平等が定められれば問題は解決したのですか?
していません。参政権が実現しても賃金や雇用の格差は残り、分離が禁止されても居住と所得の差は残りました。植民地も、主権を得たあとに経済的な自立という次の課題に直面しています。
この単元は論述でどう使えますか?
「拡大の時代と見直しの時代」という二分法で使えます。総力戦から1970年代までを権利と福祉が広がる時期、石油危機以降を財源と受け入れの見直しが進む時期として、原因を添えて書き分けてください。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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