古代の社会を整理する|身分はどう作られ、どう緩んだか

古代の社会を整理する|身分はどう作られ、どう緩んだか
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古代の社会は、身分の名前を並べて覚えても点になりません。通すべき軸は一つ——身分は生まれつきの自然ではなく、祭祀・法・名簿・通婚の規制によって作られ、維持された制度であるということです。作られたものである以上、支える条件が崩れれば緩みます。誰が序列を作り、何がそれをほどいたのか。オリエントから漢まで、この一本で貫きます。

身分は自然にできたのではない — オリエントで組み上がった4つの装置

一言でいうと古代の社会とは、誰が働き、誰が働かずに分け前を受け取るかを序列として定め、それを次の世代へ引き継ぐために制度で固めた仕組みである。序列そのものより、序列を動かなくする装置のほうが入試では問われる。

はじめに用語の約束をしておきます。帝国主義は19世紀後半に生まれた概念であり、工業化した国が資本と原料と市場を求めて地球上をほぼ分け終えた段階を指す言葉です。したがってアッシリアの征服やローマの拡大を「古代の帝国主義」と呼ぶのは、時代の違う枠組みを過去へ持ちこむことになります。同じ理由で「中世の帝国主義」という書き方も避けます。古代を扱うときは、その時代に相当する現象を、その時代の言葉で書く——これが最初の作法です。

  1. 定住して農業が始まり、食べる量より多く穫れるようになった。
  2. 余剰があれば、耕さない人を養える。祭祀を担う者、戦う者、記録する者が現れた。
  3. この段階では、取り分の差は役割の差にすぎない。
  4. ところがその役割が親から子へ引き継がれたとき、役割は「生まれ」に変わった。
  5. 引き継ぎを確実にするには、外から人が入ってこないようにする必要がある。
  6. そこで用いられたのが、祭祀の独占・法への明記・名簿への登録・通婚と職業の規制という4つの装置である。
  7. つまり身分は放っておいて生じたのではなく、維持する手間をかけて作られた
  8. 逆に言えば、この装置のどれかが壊れたとき、身分は緩む。古代史はその往復である。
装置 何をする仕組みか 代表例
祭祀の独占 神と交渉できる者を限る オリエントの神官、インドのバラモン
法への明記 身分ごとに刑と賠償を変える ハンムラビ法典、『マヌ法典』
名簿への登録 誰が成員かを国家が確定する アテネの区への登録、ローマの戸口調査、中国の戸籍
通婚と職業の規制 混ざらないよう囲いこむ 初期ローマの通婚の制限、インドのジャーティ

最初に固まった身分は、神官と王だった

  1. メソポタミアでは神殿が広い耕地と多数の働き手を抱え、収穫を集めて配る側に立った。
  2. 祭祀を担う者は、配分を決める者でもあったため、地位が抜きん出た。
  3. 王は神から統治を委ねられた者とされ、エジプトのファラオは神そのものとされた。
  4. 文字を扱える書記も特別な立場を得た。エジプトには、書記の暮らしの楽さを他の職業と比べて説く教訓の文書が残るとされる。
  5. ハンムラビ法典は、アウィールム(上層自由人)・ムシュケーヌム(下層自由人)・ワルドゥム(奴隷)を区別した。
  6. 同じ傷を負わせても、加害者と被害者の身分の組み合わせによって刑や賠償の額が変わった
  7. 重要なのは、この法典が身分を新しく作ったのではなく、すでにある序列を文字にして、動かしにくくした点である。
  8. 口伝えの慣習なら時とともに変わるが、石に刻まれた序列は変わらない。文字は身分を固定する道具でもあった。
「身分社会だった」で止めない「古代は身分社会であった」と書いた答案は、事実を言い直しただけで説明になっていません。求められているのは「誰が、どの装置を使って、その序列を動かないようにしたのか」です。「余剰が生んだ役割の差が、世襲と通婚の制限によって生まれの差に変えられた」——この一文があれば、地域が変わっても同じ型で書けます。日本世界史塾では、社会史の答案をこの書き出しから作らせています。
近代の語をそのまま古代へ持ちこまない「階級」は、近代の生産のしくみを説明するために整えられた語です。古代の序列に当てはめると、実態とずれることがあります。「カースト」もポルトガル語に由来する外来の呼び名で、理念上の区分と現実の集団の両方を指してしまいます。「人種」による差別も、近代の学説と結びついて広まったものです。答案では身分・ヴァルナ・ジャーティ・市民・奴隷のように、その社会が使っていた区分の名前で書いてください。

インド — ヴァルナは作られ、ジャーティが暮らしごと囲いこんだ

  1. アーリヤ人がパンジャーブ地方に入り、のちにガンジス川流域へ広がった。
  2. 鉄器が使われるようになると森の開墾が進み、定住した農耕社会が広がったとされる。
  3. この過程で、祭式を担う者を最上位に置く4つの区分(ヴァルナ)が形をとった。ヴァルナは色を意味する語とされる。
  4. バラモン(祭司)・クシャトリヤ(武人)・ヴァイシャ(農牧商)・シュードラ(隷属民)という順である。
  5. さらに、4つの区分の外に置かれて差別を受けた人々がいたとされる。
  6. 紀元前後にまとめられたとされる『マヌ法典』は、ヴァルナごとの義務を細かく定めた。
  7. しかし社会を実際に動かしていたのは、職業と通婚の範囲を共有する集団(ジャーティ)である。
  8. ジャーティは誰と結婚し、何を生業とし、誰と食事をともにするかまで枠を与えた。身分が制度ではなく日常になったのである。

ここが要点です。オリエントの法典は王が定めて公開した法でしたが、インドの規範は宗教の側から示された義務でした。王が替われば法は変わりますが、宗教の規範は王朝の交代を越えて残ります。ヴァルナ制が長く続いた理由の一つは、支える根拠が政権ではなかったことにあります。

社会 上に立つ根拠とされたもの 異議はどう受け止められたか
オリエント 神が王と神官に委ねた 王への異議が神への異議になる
インド 祭式の力と、前世の行いという観念 宗教の内側から否定する動きが出た
ギリシア(アテネ) 両親がともに市民であること 市民でない者は民会に出られない
ローマ 生まれと登録、のちに功績も 従軍を拒むという形で要求できた
中国 血縁の序列、のちに功績と学識 天命が移ったと説明して王朝ごと替える
  1. 前6〜前5世紀ごろのガンジス川流域では、都市と商業が発達し、武人と商人の力が伸びた。
  2. この時期に仏教ジャイナ教が生まれ、祭式の万能とヴァルナによる区別を否定した。
  3. そのためクシャトリヤとヴァイシャに受け入れられたとされる。
  4. 一方でバラモン教の側も、輪廻と業をめぐる思索を深め、民間の信仰を取りこんでいった。
  5. グプタ朝のころにはヒンドゥー教として定着し、身分の枠組みも社会に根づいたとされる。
  6. つまり異議は起きたが、枠そのものは残った。制度を否定する宗教が現れても、社会の分業がそれで変わったわけではない。
「できた」ではなく「作られ、支えられた」と書くヴァルナ制を「自然にできた身分制度」と書くと、説明が止まります。「祭式を独占する層が最上位に置かれ、宗教上の義務として説明されたため、王朝が替わっても残った」——ここまで書けると理由の説明になります。比較材料として強いのがのちの中国の科挙です。試験という出入り口を制度として作った社会と、宗教が序列の説明を担った社会を並べると、「身分に通路があるかどうかで、その後の社会の姿が変わる」という論述の骨組みができます。
成立を一度の出来事にしない「アーリヤ人が進入してすぐに4つの身分ができた」と書くのは不正確です。長い時間をかけて段階的に形づくられたとされます。またヴァルナ(理念上の区分)とジャーティ(現実の集団)は層が違います。答案で「カースト」と一語で済ませると、どちらを指しているのか読み取れません。どちらの層の話かを名指しして書くと精度が上がります。
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ギリシアとローマ — 市民という身分に、出口はあったか

  1. アテネでは、成年に達した男性が父祖の区(デーモス)の名簿に登録されることで市民と認められた。
  2. つまり市民という身分は、血のつながりだけでなく、登録という手続きによって確定された
  3. ペリクレスの提案とされる法により、両親がともにアテネ人である者に市民権が限られた
  4. 在留外人(メトイコイ)は商工業を担い、納税と従軍の義務を負った。
  5. しかし参政権と土地の所有は原則として認められなかった負担は同じで、権利だけが別だったのである。
  6. 奴隷は戦争や交易によって得られ、家内の労働・農地・ラウレイオン銀山などで働かされ、財産として扱われた
  7. アテネでは、奴隷から市民へ上がる道はほとんど開かれていなかったとされる。
  8. 参加の範囲を広げた社会が、成員の枠は狭めていた——ここがアテネを書くときの要点である。
  1. ローマでも当初は貴族(パトリキ)と平民(プレブス)が分かれ、両者の通婚は制限されていたとされる。
  2. この制限はカヌレイウス法によって取り払われたとされる。通婚の解禁は、身分の壁が一つ外れたことを意味する
  3. さらにローマ社会には、有力者が保護し、保護された側が支持で応えるパトロヌスとクリエンテスの関係が広く張りめぐらされていた。
  4. 特徴的なのは解放奴隷である。主人が解放するとローマ市民権を得たとされる。
  5. ただし公職に就くことなどには制限があり、旧主人への義務も残ったとされる。
  6. そしてその子の代には制限のない市民となったとされる。二代かければ出身が消える制度だった。
  7. 一方、ラティフンディアで使役された奴隷はこの通路の外にいた。都市で技能を持つ奴隷とは扱いが違ったのである。
  8. シチリアの奴隷反乱スパルタクスの反乱は、この農園の労働のありようを背景としている。
立場 負っていた負担 権利と、上への通路
アテネの在留外人 納税と従軍 参政権と土地所有は原則なし
アテネの奴隷 家内・農地・鉱山の労働 財産として扱われた
スパルタのヘイロータイ 土地に縛られた耕作 通路は閉ざされていた
ローマの解放奴隷 旧主人への義務が残る 市民権を得る。子の代で制限が消えたとされる
ローマの農園の奴隷 大農園での労働 解放の機会は乏しかったとされる

征服が止まると、奴隷の供給そのものが細ります。そこで大土地所有者は、小作人(コロヌス)に耕させる方式へ移っていきました。ここで見落とされがちな逆転があります。奴隷が減ったから人々が自由になったのではなく、逆に自由人の側が土地から離れられなくなったのです。移動を制限する措置が重ねられ、身分として固定される方向へ向かったとされます。中世の農奴に連なる流れは、ここから始まります。

市民権の拡大は「寛大さ」ではなく統合の技術同盟市戦争ののちイタリアの自由民へ、そしてカラカラ帝のもとで帝国内のほぼすべての自由民へ、市民権は広げられました。これを「ローマは寛容だった」で片づけると浅くなります。「支配される側を成員に変えてしまえば、支配されているという事実そのものが消える」——広い領域を長く保つための技術として書いてください。統合の動機だけでなく、財政上のねらいがあったという見方もあると添えると、なお安全です。
解放奴隷を「完全に自由になった市民」と書かない解放によって市民権は得られたとされますが、公職就任などの制限と、旧主人への義務が残りました。「奴隷が解放されて対等の市民になった」と書くと不正確です。正しくは「一代では消えきらず、次の代で消えた」。この時間をかけて出身を薄めていく仕組みこそが、出口を持たなかったアテネやスパルタとの違いです。

中国 — 氏族のかたまりが解け、戸籍の小農が現れた

  1. 殷や周では、人々はと呼ばれる集落に住み、血縁で結ばれた氏族の集まりが生活と生産の単位であった。
  2. 耕作も祭祀も共同で行われ、序列は一族の中での位置(宗法)によって決まった。
  3. この段階では、国家は個人を直接には数えられず、共同体を通してしか人をつかめなかった
  4. 春秋戦国期に鉄製農具と牛耕が広まると、一つの家族でも耕地を維持できるようになった。
  5. 共同で働く必要が薄れ、氏族のかたまりが解けて、小家族による経営が自立していった。
  6. これは君主にとって好都合であった。共同体を飛びこえ、個々の農民を戸籍に登録して、税と兵を直接取れるからである。
  7. では商鞅が戸を単位とする徴税と徴兵の体制を整え、爵位を戦場での功績に応じて与えた
  8. 生まれではなく功で序列を作り直したこの変法は、身分が国家の道具として組み替えられたことを示している。
  1. ところが漢の時代になると、力のある一族(豪族)が土地を買い集めた。
  2. 税と兵役に耐えられなくなった農民は土地を手放し、小作となるか、有力者のもとで隷属的な立場に置かれた。
  3. 大土地所有を制限しようとする議論は繰り返されたが、実効を上げなかったとされる。
  4. 王莽は土地の売買を禁じるなどの改革を試みたものの、混乱を招いて短命に終わった。
  5. 後漢では豪族が地方社会を握り、推薦によって官吏を選ぶ仕組みは彼らに有利に働いた。
  6. 魏の九品中正のもとでは高い品等が家柄のある者に偏り、門閥貴族が形づくられたとされる。
  7. つまりいったん緩んだ序列も、放っておけば別の形で固まり直す。ここまで書けて、古代社会の一巡が説明できる。
身分を緩めた力 働き方 事例
戦争と動員 戦う者は見返りを要求できる ローマの平民、アテネの漕ぎ手
技術と生産の伸び 共同体を離れて自立できる 春秋戦国の小農
貨幣と商工業 生まれ以外に富を得る道が開く ギリシアの商工業、ローマの解放奴隷
統合の技術 支配される側を成員に変える ローマの市民権の拡大
選抜の仕組み 功績や学識で登用する 秦の爵位、のちの中国の科挙
地中海と中国は、同じ病にかかり、別の処方を出した中小の自作農が没落し、土地が有力者に集まる——この変化はローマでも漢でも起きました。答案で差がつくのは処方の違いです。ローマは被支配者を市民に変えることで枠を広げ、中国は官吏を選ぶ仕組みによって上へ抜ける通路を作ろうとしました「外へ広げたローマ、上へ通したのちの中国」と対にすると、東西比較の設問でそのまま骨組みに使えます。
「中国に奴隷はいなかった」と書かない漢代にも奴婢と呼ばれる人々は存在しました。ただし社会を支えた主な労働力は自作農と小作であり、大農園を奴隷で動かしたローマとは、規模も位置づけも異なるとされます。「古代はどこでも奴隷制社会だった」と一括りにすると、この差が消えてしまいます。どの労働が社会の中心だったのかを地域ごとに確かめるのが安全です。

入試で狙われるポイント総覧

  • 軸=身分は自然ではなく、祭祀の独占・法への明記・名簿への登録・通婚の規制で作られ、固定された
  • 帝国主義は19世紀後半の概念。古代や中世の征服にこの語を当てない
  • ハンムラビ法典=アウィールム・ムシュケーヌム・ワルドゥム身分によって刑と賠償が変わる
  • ヴァルナ=バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ。現実の集団はジャーティ
  • 『マヌ法典』はヴァルナごとの義務を定めた。仏教とジャイナ教はヴァルナによる区別を否定
  • アテネ=区への登録で市民と認められ、両親ともに市民と定められた。在留外人(メトイコイ)は納税と従軍の義務を負うが参政権はない
  • ローマ=解放奴隷は市民権を得るが制限が残り、子の代で消えたとされる。同盟市戦争ののちイタリアの自由民へ、カラカラ帝のもとでほぼ全自由民へ市民権
  • 征服の停止で奴隷の供給が細り、コロヌスによる小作へ。やがて移動が制限され身分として固まる方向へ
  • 中国=鉄製農具と牛耕 → 氏族共同体の解体 → 戸籍に登録された小農。漢では豪族、魏の九品中正門閥貴族が形成
共通テストでの出方「ハンムラビ法典は身分にかかわらず同じ刑罰を定めた」は誤り(身分の組み合わせで刑と賠償が変わる)。「アテネでは在留外人にも参政権が認められた」も誤り(納税と従軍の義務は負うが参政権は原則なし)。「ローマでは解放された奴隷が市民権を得ることはなかった」も誤り(市民権を得たが制限が残ったとされる)。負担と権利が一致していたかどうかを突いてくるのが、この単元の定番です。
この記事の一問一答(確認テスト)
Q1. ハンムラビ法典が区別した3つの身分を答えよ。
A. アウィールム(上層自由人)・ムシュケーヌム(下層自由人)・ワルドゥム(奴隷)
Q2. ヴァルナの4区分を上位から順に答えよ。
A. バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ
Q3. アテネで納税と従軍の義務を負いながら参政権を認められなかった人々の呼び名は。
A. 在留外人(メトイコイ)
Q4. アテネで市民権を両親ともに市民の子に限った法は、誰の提案とされるか。
A. ペリクレス
Q5. ローマで解放された奴隷が得たものと、残った制限を答えよ。
A. 市民権を得たが、公職就任などに制限があり、旧主人への義務も残ったとされる
Q6. 春秋戦国期に氏族共同体が解け、小農が自立した技術上の要因を答えよ。
A. 鉄製農具と牛耕の普及による生産力の向上

よくある質問

古代の身分は、結局は生まれで決まっていたのではありませんか?
結果としては生まれで決まりましたが、自然にそうなったのではありません。祭祀を独占し、法に書きこみ、名簿に登録し、通婚を制限するという手間をかけて維持されたものです。維持の手間が要るということは、条件が変われば緩むということでもあります。
答案に「古代の帝国主義」と書いてはいけないのですか?
避けてください。帝国主義は19世紀後半に成立した概念で、工業化した国が資本と市場を求めて世界を分割した段階を指します。古代の征服を指すなら「征服による広域支配」「属州支配」のように、その時代の言葉で書いてください。
古代の奴隷は、どこでも同じような存在だったのですか?
違います。ローマの大農園で使役された奴隷と、都市で技能を持ち解放されることもあった奴隷では扱いが異なります。スパルタのヘイロータイは土地に縛られた耕作者であり、漢の奴婢は社会の主要な労働力ではなかったとされます。ひとまとめにしないでください
この単元は論述でどう使えますか?
「統合の技術」というテーマで使えます。広い領域を長く保つには、支配される側をどう扱うかが問われます。ローマは市民権を与えて成員に変え、のちの中国は試験によって上へ抜ける通路を作りました。この対比は東西比較の設問で骨組みになります。
この記事について

世界史専門オンライン塾「日本世界史塾」の編集部が、入試での問われ方を基準に作成しています。当塾では次の講師が指導にあたっています。

藤原 進之介日本世界史塾 代表/株式会社数強塾 代表数強塾グループ創業者。東進最年少講師、代々木ゼミナールの日本初となる情報Ⅰ講師を務め、著書は9冊。累計2,500名以上の指導と、40名を超えるプロ講師体制を築いた。
伊藤 敏代々木ゼミナール世界史講師/数強塾グループの映像授業を担当筑波大学・同大学院修士課程修了。ダイヤモンド・オンラインで「カリスマ世界史講師が教える誰も知らない本当の世界史」を連載。「キャラクターがいて、ストーリーがある。それが歴史」を掲げ、通説を多様な視点から捉え直す授業を行う。

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