
世界史比較ガイド · 更新日:2026年9月14日
フランス革命期の三憲法は「国王がいるか」「選挙権の条件」「実施されたか」の三つで比べます。1791年は立憲君主政、1793年は共和政と男子普通選挙を掲げるものの施行されず、1795年は総裁政府と制限選挙という整理が基本です。革命の進行を、権利が一直線に広がる過程と決めつけないことが大切です。
まず比較表で違いを確認
| 憲法 | 政体・機関 | 選挙権と実施 |
|---|---|---|
| 1791年 | 立憲君主政・一院制 | 財産・納税条件を伴う男子の制限選挙 |
| 1793年(共和暦元年) | 共和政・一院制を構想 | 男子普通選挙を規定するが憲法は施行されない |
| 1795年(共和暦3年) | 共和政・二院制・5人の総裁 | 制限選挙に戻り、総裁政府が成立 |
表は高校世界史の学習用の整理です。制度の地域差・変化や例外は、以下の解説と参照資料で確認してください。
間違えやすい10の疑問
1791年憲法と1793年憲法の違いは?
1791年は国王を残す立憲君主政と制限選挙です。1793年は国王を置かない共和政の憲法で、男子普通選挙を規定しました。ただし施行されなかったため、条文の内容と実際の政治を分けて書きます。
1793年と1795年はどこが違う?
どちらも共和政ですが、1793年は一院制と男子普通選挙の構想、1795年は二院制・総裁政府・制限選挙です。共和国という名称だけでは、選挙制度や権力配分を判断できません。
1791年と1795年の共通点と相違点は?
財産・納税条件を伴う制限選挙という点は共通しますが、1791年は立憲君主政、1795年は共和政です。「制限選挙だから王政」という対応を作らず、政体と選挙制度を別々に見ます。
1793年憲法が施行されなかったのはなぜ?
対外戦争や国内の反乱への対応のなかで、革命政府による非常体制が優先され、憲法の実施は延期されました。民主的な規定があることを、そのまま恐怖政治期の実際の統治の説明に使わないようにします。
1791年憲法の制限選挙とは?
政治参加には性別・年齢・納税などの条件がありました。選挙制度は間接的な仕組みでもあり、住民全員が同じ権利を持ったわけではありません。人権宣言の普遍的な言葉と、制度上の対象を対照して読みます。
1793年憲法の普通選挙に女性も含まれる?
含まれません。高校世界史では男子普通選挙と表記し、女性を含む現代の普通選挙と区別します。また憲法は施行されていないので、「1793年憲法に基づいて恒常的な選挙制度が運用された」とも書きません。
1795年憲法の総裁政府と二院制は?
立法機関を二つに分け、行政を5人の総裁が担う仕組みです。立法・行政の権力集中を避ける設計として捉えます。5人は議会全体の人数ではなく、行政を担う総裁の人数です。
議会名と憲法をどう対応させる?
国民議会が1791年憲法を制定し、そのもとで立法議会が開かれました。1792年に国民公会が成立し、共和政へ進みます。憲法を作った議会と、その憲法のもとで活動した議会を区別します。
人権宣言と憲法の違いは?
人権宣言は権利や政治の基本原理、憲法は統治機構や権力・選挙の仕組みを具体的に定めます。1789年の宣言だけを読んで、1791年に全住民の平等な選挙権が実現したと結論づけないことが重要です。
三憲法の覚え方は?
1791=王あり、1793=王なし・未施行、1795=王なし・総裁5人、とまず政体を整理します。次に選挙権と議会の院数を加え、三つの軸から一つずつ説明できるか確認します。
数強塾オリジナル確認問題
この比較ガイド用の創作問題です。入試過去問の転載ではありません。
「制限選挙を採用した憲法はすべて立憲君主政であり、共和政の憲法はすべて施行された」。1791・1793・1795年のうち、反例となるものをそれぞれ答えてください。
解答・考え方を開く
前半の反例は1795年憲法です。共和政でも制限選挙を採用しました。後半の反例は1793年憲法で、共和政の憲法として制定されましたが施行されませんでした。政体・選挙権・施行の有無を独立に確かめる必要があります。
確認したい学習ポイント:一つの属性からほかの属性を決めつけず、比較表の列ごとに根拠を確認する。
時代の流れに戻って理解する
参照資料と作成について
作成:日本世界史塾サイトのAI編集補助。本ページでは「一つの属性からほかの属性を決めつけず、比較表の列ごとに根拠を確認する。」を軸に、上記の資料と照合して学習用に再構成しています。特定の講師による執筆・監修済みを意味するものではありません。
全体像を授業で学び直す場合は、講師紹介と映像授業の案内をご覧ください。自分の答案のどこで比較が崩れたかを相談する場合は、学習相談・体験授業の窓口をご利用いただけます。